4月30日で終わりを迎える「平成」。テレビや雑誌では記憶に残る事件やブームを振り返る企画が増えているが、平成史をたどる上で教育界最大のトピックといえば「ゆとり教育」だろう。
円周率を「3」で計算する、週5日制完全導入など、さまざまな試みが行われたゆとり教育。導入後に子どもたちの学力低下が指摘され、文部科学省は2008年に「脱ゆとり」に方針を変更した。果たして、ゆとり教育は本当に“失敗”だったのだろうか。
●実は40代も立派な“ゆとり世代”?
「多くの人は、ゆとり教育は平成のトピックだととらえていると思います。しかし、実際には1977年版の学習指導要領に『ゆとり』というキーワードが初めて登場し、80年以降の小学校ではゆとり教育が実施されていたんです」
そう話すのは、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏だ。「これだからゆとり世代は……」とこぼす40代のビジネスパーソンも、実際はゆとり教育を受けていた可能性が高いのだという。「まず、“ゆとり世代”という言葉はとても曖昧なものだと認識しておいたほうがいい」とおおた氏は指摘する。
意外と歴史が長いゆとり教育だが、学校教育に「ゆとり」を取り入れることになった理由は70年代の社会問題にあるという。
「70年代末から80年にかけて、『校内暴力』や『非行少年』が社会問題化しました。学校荒廃の原因として、通説になっているのは68年に告知された学習指導要領。その内容は“新幹線授業”と呼ばれるほど過密なもので、いわゆる『詰め込み教育』によって窒息しそうになった子どもたちの叫びが校内暴力や非行というかたちで表れたといわれています」(おおた氏)
つまり、ゆとり教育は詰め込み教育の反省から生まれたのだ。
「多くの人が『ゆとり=平成の教育』というイメージを抱くきっかけとなったのは、98年に告示され、2002年から実施された学習指導要領の改訂があまりにも衝撃的だったからでしょう。
同時に学習内容や授業時間も削減、思考力を育てる目的で「総合的な学習の時間」が導入され、話題を集めた。しかし、この大変革は世間から激しいバッシングを受けることになる。
「大きなきっかけは、国際的な学力調査『PISA』の結果で日本の子どもたちの学力低下が指摘されたことです。その後、行政は08年に『脱ゆとり路線』への変更を余儀なくされました。中学校主要5教科の総授業時間数は1980年代頃と同程度にまで戻されています。しかし、完全週5日制は据え置きなので、現代の中学生の平日はとても過密なものになっていると考えられます」(同)
平成の間に二度も学習指導要領が大きく方針転換されたことで、学校教育の現場は大きく混乱したといわれる。教員や子どもたちが国の方針に振り回されたのは確かだろう。
●ゆとり教育は本当に“失敗”だったのか?
さまざまな物議を醸したゆとり教育だが、その成果がわかるのは“まだ先”だという。
「ゆとり教育の本当の成果が表れるとしたら、これからでしょう。現状でもゆとり世代と呼ばれる若者たちから世界に通用する優秀な人材が出てきているので、すでに成功しているというとらえ方もできます」(同)
近年では、主にスポーツ界において、16年のリオ・デ・ジャネイロオリンピックのメダリストが1987~2004年生まれ、つまりゆとり教育を受けた世代が多いという好意的な意見も出てきている。ゆとり教育によって時間的な余裕が生まれ、もともと素質があった彼らは練習に時間を費やし長所を伸ばすことができた、と考えられているようだ。
そして、おおた氏は「テストの点数が多少下がったからといって、失敗だと決めつけるべきではない」と指摘する。
「確かに、ゆとり教育が何を目的としていてどのようなものなのかをあらかじめ明示せず、世間に対して『基礎的な勉強をしなくていいんだ』という誤解を与えてしまったことなど、広報的な意味での失敗はあります。ゆとり教育は、目先のテストの点数を上げる『詰め込み教育』から『点数にとらわれず、大人になってから本当に役立つ力を身につける教育』に変えるのが真の目的。その成果が見えてくるのは、彼らが大人になってからなんです」(同)
また、改訂当時はゆとり教育の思惑通りに授業を進められる教員の能力や環境が不足していたという問題はあったものの、長く続けていれば現場のスキルを上げることも可能だったはずだ。そう考えると、10年もたたずに「脱ゆとり」へ方向転換してしまったのは時期尚早だったのかもしれない。
「教育の成果が表れるには数十年という時間が必要です。本当に価値がある教育は、その教育の成果が表れて、時間的にも空間的にも広い視野を持つことができるようになるまで、その良さが理解されないものです。それにもかかわらず、テストの点数や一流大学の合格者数など『今すぐに効果が得られる教育』が求められてしまうという、日本全体の根深い問題があるのは確かですね」(同)
●超進学校に「裁縫」の授業がある理由
おおた氏は著書『名門校の「人生を学ぶ」授業』(SBクリエイティブ)を執筆するなかで、灘高校や麻布高校など全国屈指の進学校で行われている授業に触れる機会があったという。その授業内容は「裁縫」や「水田稲作学習」など、一見受験と関係ないように思えるユニークなものばかりだったそうだ。
「そのような授業から得られるものは、一流大学に進学して一流企業に就職し、順風満帆な生活を送っているときは、それほど必要がないかもしれません。しかし、人生に逆風が吹いたときや先行きが見えなくなったときにこそ、そのありがたみを実感できるはずです。教育とは『将来こうなるから先手を打つ』というものではなく、『どんな世の中になっても生きていける人間』を育てること。それ以上でもそれ以下でもないのです」(同)
教育に対して「成功か、失敗か」を判断すること自体、ナンセンスなのかもしれない。
(文=真島加代/清談社)