トゥバースキーとノーベル経済学賞を受賞したカーネマンが提案したプロスペクト理論では、心理物理学による人間の主観的な感覚量とリスク選好を考慮して効用関数(彼らは価値関数と呼びました)に図のような非線形を仮定しました。
この価値関数が意味することは、3つあります。
複数の利得や損失があった場合に、価値関数のインプリケーションはどうなるでしょうか。基準点からの利得として、ロトの賞金が当たった場合を考えてみます。1回のロトで1万5000円が当たった時に得られる効用よりも、ひとつのロトで1万円当たった時の効用と、もうひとつのロトで5000円当たった時の効用とを足し合わせたほうが、効用が高くなります。つまり複数の利得は分離して受け取ったほうがうれしく感じるのです。
同様のロジックから、それぞれ複数の損失は統合、大きな利得と小さな損失は統合、大きな損失と小さな利得は分離して受け取ったほうが、効用が高くなります。このことをマーケティングの例でみてみましょう。
(a)複数の利得は分離
クリスマスが大きなイベントである欧米では、「プレゼントをひと箱にまとめるべきではない」、つまり分けて小出しにしなさいというコトワザがあります。テレビショッピングなどでも、最初からすべての商品パッケージを提示しないで、付属品、オプション、おまけ、送料無料などを次から次へと加えることによって魅力を高めています。
(b)複数の損失は統合
金銭的支出はまとめて支払うことで、痛みが減ります。
(c)大きな利得と小さな損失は統合
税金や保険料を給料から天引きしたほうが、それらをあとで払うよりいいという人が多いです。ギャンブルの賞金も、あとで税務局に税金を支払うのはかなり辛いですよね。
(d)大きな損失と小さな利得は分離
現金値引よりリベートやポイント還元によってあとで他の物を買えたりすると、なんとなくハッピーな気持ちになりませんか? このような小さな利得は、店舗へのリピート購買を促すだけでなく、顧客満足度を高めるという心理効果もあります。
最近の人件費、原料費、輸送費の上昇により、商品・サービスの値上げを検討している企業も多いことと思います。同時に2019年10月には消費税率が8%から10%に上がる予定です。消費者にとっては、商品の値上げ分も税金の上昇分も、損失と知覚されます。このダブルパンチから消費者の感じる痛みをなるべく抑えるために、値上げと税率の変更を同じタイミングで行うべきか、それとも税率変更前(たとえば半年前)に値上げをするべきかを、価値関数を使って考えてみましょう。
例として、近隣で働いている人が、毎日通る定食屋の看板に掲示されているランチの値段を思い浮かべてください。価格が上がれば一目瞭然なので、店主としてはその悪影響をなるべく減らしたいのです。
まずは、ランチの価格が税込みで掲示されている場合を考えてみましょう。値上げを増税の半年前に行えば、掲示される値段はまず20円アップ、次にその6カ月後に30円アップと、消費者にとって損失が分離されてしまいます。一方、同じタイミングで行えば1回のみの50円アップなので、損失は統合されます。後者のほうが痛みは小さいため、値上げと増税は同時にするべきです。
それでは、ランチの価格が税抜きで掲示されている場合はどうでしょうか。値上げを増税の半年前に行えば、掲示される値段の上昇は20円の1回のみです。増税になったおりには精算時に30円が追加になりますが、他の商品もすべて増税の影響を受けるので、当然と思ってそれほど苦痛に感じません。
一方、同じタイミングで値上げを行うと、支払の際には看板で見た20円アップに増税分がさらに30円加算されることになり、ダブルパンチを強く感じるでしょう。したがってこの場合は、増税前に値上げをしたほうがダメージは少なくなります。もちろんこれ以外にも店主は、端数効果、看板作成費用、評判効果(便乗値上げと受け取られるマイナスのイメージ)などを考慮して総合的に値上げのタイミングを判断するべきです。
(文=阿部誠/東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)