お正月や番組改編期の特番として恒例になった『芸能人格付けチェック』(テレビ朝日系)を見たことがありますか? 1本100万円のロマネコンティと1本3000円のチリ産カベルネ・ソーヴィニヨンをブラインドで比較して、高級ワインを嗜んでいるはずである芸能人の半数以上が答えを外してしまいます。通常、私が自宅で飲む赤ワインは1000円もしないので、3000円ぐらいになるとかなり質が高いのかと気になったりします。
そのほかにも、気仙沼産高級フカヒレと春雨の味の違いがわからない、1億円のスタインウェイと20万円の中古のタケモトピアノでは音が同じように聴こえる、小学生が描いたのならまだしも、サルが描いた絵と10億円のモダンアートとを区別できないなど、滑稽ではありますが、おそらく自分もわからないだろうと、変に納得をしながら番組を見ています。
似たような事例として、米ワシントンポスト紙に掲載されたジーン・ウェインガーテン氏による2007年4月の記事『朝食のまえの真珠』をご紹介します。この記事は、ラッシュアワーで慌ただしい米国の首都ワシントンの地下鉄駅構内で、世界的に有名な演奏家ジョシュア・ベルが、素性を隠しストリート・ミュージシャンとしてバイオリンを弾いたときの人々の反応を書いたものです。
グラミー賞も受賞したジョシュア・ベルは、カジュアルな服装に野球帽をかぶると、1億円以上もするストラディバリウスでコンサートと同じ曲を弾きました。45分間の演奏中、ベルの前を通った1097人のうち、立ち止まって耳を傾けたのはたった7人、半数以上の人は見向きもせずに目的地に向かって行ったのでした。もらったチップはわずか32.17ドル。そのうちの20ドルは、ベルと気づいた人からのものでした。
この状況は隠しカメラによってビデオ撮影もされていました。ウェインガーテンはこの記事で、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威あるピューリッツァー賞を獲得しました。
その分野の専門家でもない限り、一流のものとそうでないものの区別は、一般人にはなかなかつきません。しかし事前に「大変、貴重なものだ、高価なものだ」という情報を知ると、そう見えてくる、そんな感じがしてくる効果は、確証バイアス(自分が欲しい情報だけを探し、自分が欲しい情報だけを信じたがる選択的知覚による偏った情報で物事を判断して、「わかったつもり」になってしまう)の一種といえるでしょう。
●知識が経験(テイスティング)自体を変える
それではもし、情報がテイスティング(消費)のあとに与えられたのならば、人はどう判断するでしょうか?
ここでは、コロンビア大学のリーら(2006)による興味深い実験を紹介します。
まずはテイスティング用に2種類のビールを60ミリリットルずつ用意しました。Aは普通のバドワイザー、Bはそれにバルサミコ酢を微量(10ミリリットルに対し1滴)加えたものです。そして被験者を3つのグループに分けて、それぞれ異なった状況でテイスティングをしてもらいました。
事前条件では、この2種類のビールの中身を説明したうえで試飲させて、どちらが好きか評価してもらいます。事後条件では、両方のビールをまず試飲させてから、AとBそれぞれの中身を明かして、どちらが好きか評価してもらいます。ブラインド条件では、事前・事後ともに何も伝えずに2種類のビールを試飲してもらったあとで、どちらが好きか評価させます。
中身を知ったあとに回答を変えてしまう後知恵バイアス(バルサミコ酢入りのBのほうが好きだというと味音痴だと思われてしまう)の影響を最小限に抑えるために、どちらが好きかの評価は、(1)自己申告、(2)選んだほうのビールを1杯無料でプレゼントする、(3)レシピ(10ミリリットルに対し1滴の割合)とともにバルサミコ酢を用意して、プレゼントしたバドワイザーに自発的に酢を加えるかを隠れて観察する、の3通りで判断しました。
結果は、バルサミコ酢入りビール(B)を好んだ人の割合は、ブラインド条件が一番高く(59%)、事前条件が一番低くなって(30%)、この差は統計的に有意でした。
事前条件に割り当てられた多くの被験者が、おそるおそるBを試飲していたことからも、この結果は容易に想像できました。事後条件でBを好んだ人の割合(52%)は、この2つの条件の中間になりましたが、事前条件の割合より有意に高く、ブラインド条件とは有意な差がありませんでした。
結果をまとめると、バルサミコ酢入りビールを好んだ人の割合は、
【ブラインド条件】●【事後条件】>【事前条件】
※●部分はニアリーイコールの記号
となったのです。つまり、ビールを飲んだあとでバルサミコ酢のことを知った被験者は、そのことまったく知らない被験者と同じくらい気に入ったのですが、そのことを試飲前に知ってしまうと、選好は大きく下がるのです。
このことから何がわかるでしょう。経験が知識に惑わされないのであれば、バルサミコ酢が入っているという知識は試飲の前に得ようが、あとに得ようが、ビールの選好には同じ影響をもたらします。したがって、ここでは、知識が経験(テイスティング)自体を変えたと解釈すべきです。
事前条件の場合は、飲んだときに感じた普段と少し違う味や曖昧性の理由を、ビールに本来入れるべきでない添加物(バルサミコ酢)のせいだと思い、試飲自体がネガティブな経験に仕立て上げられたのでしょう。
他方、事後条件の場合には、曖昧性はこのビールの特徴であって、必ずしも(飲んだあと初めて存在を知った)添加物のせいではないと考え、試飲経験は中立のままなのです。
●消費者の経験に影響を与える副次的な要素
ここから得られるマーケティングの示唆は、ビジネスでは、消費者の経験に影響を与える副次的な要素を理解することが重要であるということです。
高級レストランであれば、味だけでなく、豪華な内装や雰囲気、ウェイターのマナー、美しい食器、さまざまな形状のワイングラス、これらすべてが食事経験に重要な役割を果たします。メニューの表記も、単に「エビの冷製サラダ」などとするのではなく、「オマール海老のカルパッチョ、マンダリンと根セロリのカリソン仕立て、黒トリュフとトピナンブールの軽やかなソース」といったものにするべきです。
コンサートであれば、ホールの環境・内装も非常に重要です。製品ではブランド名が期待を高めます。同じようにつくられたバッグでも、COACH、Louis Vuitton、キタムラとブランド名がつくことによって、所有体験が高揚します。つまり消費者の期待を上げることが、経験全体の質を上げることにつながるのです。
ここで一つ問題が出てきます。一般的に顧客満足度は、購買後の知覚パフォーマンス(価値)と購買前の期待との差で規定されます。つまり得られた価値が期待を超えれば超えるほど、顧客満足度は高まるのです。しかし、ここでみたように、期待を上げれば消費経験自体の価値も上がるので、顧客満足を上げるために期待と知覚の差を大きくすることは、なかなか難しいということです。
(文=阿部誠/東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)