最近、大阪の“歴史的文化”がにわかに脚光を浴びている。
大阪府堺市にある仁徳天皇陵を含む「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの世界遺産に登録される見通しになったという話題が冷めやらぬなか、さらなるホットなニュースが流れた。
この話題に、地元関西では異様な盛り上がりをみせている。今回、そんな地元民ならではの“知られざる飛田新地”への思いをお伝えしたい。
●大阪が誇る本当の文化遺産?
「なんでや?もったいない!G20で来はる世界のエライさんにも見せたってほしいわ。きっと喜んでくれはると思うで。仁徳天皇陵だけやない、飛田こそ大阪が誇るホンマの文化遺産やないか!」
こう語るのは、数多くある“男の遊び”に精通した50代後半の独身男性だ。今やベテランの域に達した“夜の戦士”である彼が、その初陣の場として選んだのは、言わずもがな飛田新地である。時はバブル真っ只中、街は活気に満ちていた。高校卒業後すぐの18歳、就職して初めてもらった給料袋の封も切らずジャンパーの内ポケットに入れて、“デビュー戦”へと飛田新地に足を運んでから、「飛田通い」は早35年を超えた。
その彼が、数ある“男の遊び場”のなかから飛田新地に選んだのにはワケがある。
「余計なことを話さんでもええからや。
●飛田新地が「男のロマン」を掻き立てるワケ
現在、関西には、飛田をはじめ、松島(大阪市西区)、信太山(大阪府和泉市)、滝井(同守口市)、かんなみ(兵庫県尼崎市)の新地がある。いわゆる「五大関西新地」だ。そこに今里(大阪市生野区)を加えて「六大新地」と呼ぶ向きもある。
この五大とも六大ともいわれる関西の新地のなかでも、優に約160店舗を誇る規模、そして大正や昭和初期の時代を今に伝える長屋づくりの日本家屋が立ち並ぶ飛田は、数ある新地のなかでも頭ひとつ抜けた別格的存在として、遊び慣れた夜の紳士たちの間で認識されている。これは昔も今も、そしてこれからも変わらないという。前出の男性がその理由を語る。
「言うなれば飛田は新地、いや男の遊び場のなかでも聖地やな。
そんな男たちの夜の遊び場・飛田新地は、大阪ミナミの新シンボル「あべのハルカス」の最寄り駅であるJR天王寺駅からひと駅、電車に乗ること約2分、JR新今宮駅から徒歩数分の場所にある。「日本でもっともディープな街」と呼ばれる釜ヶ崎・あいりん地区とは目と鼻の先だ。
そこは華やかな都会の繁華街、ビジネス街とは打って変わって、その時々の時代や社会から隔絶されたような空気が漂っている。誰もが、ここに一歩足を踏み入れると、まるで大正か昭和初期の時代へとタイムスリップしたかのような錯覚に陥ってしまうだろう。
数ある通りには、長屋づくりの日本家屋がずらりと立ち並ぶ。その家屋の1軒ごとに、赤や白の長襦袢姿、あるいはキャミソール、ランジェリーだけ、バニーガールといった男の欲望を掻き立てる格好の女性がひとりずつ座っている。
ここ飛田では、「お運びさん」「ホステスさん」と呼ばれる彼女たちは、道行く男性に微笑みを投げかけはしても、決して口を開くことはない。
代わりに、決まってこの彼女たちの斜め前に座っている年配女性が、通りを歩く男性に家屋の座敷前に座ったまま声を掛けている。
「遊んだって。見ていったって。可愛いで」
声掛け、つまり客引きを行う、この「やり手婆」と呼ばれる年配女性は、若い頃は「お運びさん」「ホステスさん」として活躍していた人たちが多いという。
早いところだと朝10時、多くは夕方5時から店開きし、店仕舞いは一律、深夜0時の飛田では、一日中このやり手婆の声がこだましている。
この飛田にあるいくつかの通りを歩いていると、座敷に誰もいない状態に遭遇することがある。これは、お運びさんが“接客中”であることを示すものだ。
ここで接客サービスを受けた男性には例外なく、店から「棒つきキャンディー」が配られる。そして、このキャンディーを手に持つか、口に含んでいると、ほかの店にいるやり手婆から客引きの声掛けをされることはない。なぜなら、これは「もう店でサービスを受けてきました」というサインだからだ。
●飛田新地にある店は、すべて飲食店
さて、ここ飛田の各店舗での“サービス”について、世の多くの男性は“風俗店”だと思い込んでいる。だが、それは大きな誤解だ。
飛田新地にある各店舗は、そのすべてが「料亭」である。あくまでも客は「お運びさん」「ホステスさん」目当てに店に通う。そして、そこで短時間で肌を重ねるほどの情熱的な自由恋愛に陥る――。その料亭での“滞在時間”への対価として謝礼を支払う。
その費用と時間設定は、飛田新地のなかでも店舗ごとに若干異なる。
若く美しいお運びさんが集うとされる表通りに位置する各店舗では、最小サービス時間15分で1万1000円だ。他方、ベテラン女性が数多い裏通りに位置する各店舗では、やや割安で最小サービス時間20分で1万1000円である(詳細は別表参照)。
この15分、20分という小刻みな時間設定から、ともすればリーズナブルな価格帯の風俗店と捉えられがちな飛田新地だが、その実情は、やはり料亭だ。かかる費用も庶民には縁遠い料亭並みだ。
もちろん、料亭なので、料理でも飲み物でも頼めば出てくる。だが、そのメニューは、飛田新地のどの店も一律、ビールと清酒、お造りの3つしかない。ごくまれにこれらを注文する客もいるようだが、そもそもここに足を運ぶ客の多くは、お運びさんとの自由恋愛への期待を持って来ている。料理や飲み物を注文する客など、滅多にいないそうだ。
ちなみに、その代金は、ビールと清酒が1杯1000円、お造りは時価となっており、頼めば近くの仕出し屋から取り寄せるという。
●写真厳禁の飛田新地
料亭はどこでも、無粋な客は嫌われる。
店外での撮影もお勧めできない。かつて記者が、飛田新地内でカメラを肩にぶら下げて歩いていた際、地元住民とおぼしき年配女性から、こう言われた。
「もし写真撮るんやったら、女の子がおる時間帯は絶対写したらあかんで。(女の子が)おらへん時間やったら、文句言う人もおらへんやろう」
よく耳にする「飛田新地撮影絶対NG」とは、ここで働く女性たちへの配慮に尽きる。もし営業時間中にカメラを向けると、やり手婆が即座にやってきて「写真あかん」「データ消しや!」と叱られる。従わなければ、地元の自警団に厳しく注意されるという。
とはいえ、今や全国区、いや世界的にも著名な観光地となりつつある飛田新地では、ここにやってきた記念に写真撮影をしたいという向きが後を絶たない。
そうした人たちが心置きなく飛田新地での思い出をカメラに収められる場が、登録有形文化財である「料亭 鯛よし百番」だ。ここは飛田新地で唯一、料理や酒をたのしむ場として存在する料亭だ。
時折、この「鯛よし百番」をバックに写真撮影する男性複数人のグループを見かける。彼らの多くは、取引先との接待、職場での同僚、学生時代からの仲間内といった集まりだ。そんな彼らに話を聞くと、一様に口を揃えてこう言うのだ。
「みんなで飲んだ後の流れで遊びに来ました。だから短い時間のほうがいいんです」
男に余計な言葉は要らない。短い時間でハイレベルな女性との自由恋愛を楽しむこの飛田新地での“遊び”は、古きよき時代を今に伝える大阪の、いや、日本の文化なのかもしれない。
(文=秋山謙一郎/経済ジャーナリスト)