東大卒、ハーバードでMBA取得と、眩しいほどの経歴を持ちながらも、インタビュー中に「辛かった」「地獄でした」などの本音が飛び出すフランクな女性。周囲の方にこっそり聞けば、みんなが好きになってしまう魅力があるのだとか。キャリアや苦労話、プライベートを伺った。
トヨタへ入社後、自費でハーバードへ東京大学法学部を卒業し、トヨタ自動車へ入社した中島さん。配属されたのは「海外渉外部」という耳慣れない部署。新入社員が配属されることはほとんどない部署で、本人は「お試しだったと思います」と謙遜する。
まわりは、10~15歳も年上の男性ばかり。世界規模の交渉ごとに関われる毎日は刺激的で楽しかったが、3~8歳までアメリカで暮らしていたためか、アメリカの大学院に強い憧れがあり、留学を決意する。
「先に受験をして合格してから、会社と休職の交渉をしました。育休や病気以外に長期で休む前例がなく、認めてもらうのはなかなか大変でした。ただ、何人もの役員や上司が応援してくれて、自分では『奇跡の休職』だったと思っています」
2年間休職し、ハーバードビジネススクールへ。ところが、1年目は中島さんが「地獄でした」と言うほどハード。
そのうち、自力では間に合わないと気がつく。苦手な分野は得意な友だちに「30分でいいから教えて!」と講義を受ける作戦に。中島さんも、自身の経験を活かして業務オペレーションや工場生産管理についてレクチャーした。その甲斐あってか、2年目からは友だちと旅行に行くような余裕もできたという。
MBA取得後、トヨタへ戻り、生産管理部門へ配属となり愛知へ。結婚するタイミングで東京に戻りたかったことと、スピード感を持って成長したいという思いから、コンサルティング会社へ転職する。
製薬業界のプロフェッショナルコンサルタントにアメリカ留学中の夏休みにインターンを経験し、その際に内定をもらったコンサルティング会社があった。1年以上経っていたが、転職の意思を伝えるとOKの返事。
「入社してみると、"24時間仕事体制"と言ってもいいほどのハードワークでした。毎日深夜に帰宅する日々で、土日も仕事のことしか考えられません。半年ほどはまったく結果が出ませんでした」
ワーク・ライフ・バランスでいう「ライフ」のない日々。
3年目に入ると、少しずつ得意分野がわかってくる。英語を話す経営陣とのやりとりが増え、必然的に製薬業界のプロジェクトに関わる機会が多くなった。
「3年が経とうとした頃、プロジェクトリーダーを任され、コンサルタントとしてやりたかったことを成し遂げた、と感じたんです」
コンサルティングを経験した後に、事業会社に入りたいと考えていた中島さん。製薬会社に絞るつもりはなかったが、MSDからのスカウト。面接の後、他は一切受けず直感的に入社を決める。
「面接をしてくれた2人に、恋をしてしまったようなもの」
と中島さんは言う。「ハート」で決める要因となった2人は、入社後は経営戦略部門で一緒に働き、現在は取締役と執行役員に昇格している。執行役員の梅田千史さんは、いまでも「先輩であり、メンターであり、母であり、姉のような存在」なのだとか。
入社後は経営戦略部門で「10カ年戦略」を策定。複数の周辺事業開発やマルチチャネルマーケティング戦略を担った後、"前例のない"異動が相次ぐ。
「現場の経験がないので、まわりの人の話をよく聞くようにしていました。ほかの営業部長や、部下である課長、プロダクトマネージャー。判断をしなくてはならないときに、彼らの知見や経験を引き出すため『正しい質問』をするんです。
それはハーバードで友人に勉強を教わったり、コンサルティングでお客様から戦略を立てる上で必要な情報を引き出してきたりした経験から得たものだと思います」
その後、今年の6月に執行役員となり、経営戦略部門を統括する立場に。多くの部下を持ち、どこに自分の時間を投資するか、見極めることの大切さを実感しているという。
今後は、MSDのグループ会社のうち、どこか小さな国の社長をやってみたい、という中島さん。プライベートでは昨年に結婚。パートナーと漫画喫茶に行くこともあるという、親しみやすい一面も持ち合わせている。
中島理恵(なかじま りえ)MSD株式会社 執行役員 経営戦略部門統括
2000年に東京大学法学部を卒業し、トヨタ自動車へ入社。2007年にハーバードビジネススクールを修了しMBA取得。