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うまくいかなかった現役時代現役時代は、どちらかと言うとうまくいかないことのほうが多かったんです。アトランタ・オリンピックに出場して、サッカー王国と呼ばれるブラジルに勝った。でも、僕のキャリアをトータルで考えれば、試合に出られなかったり、チームとの契約がうまくいかなかったり、大変なことのほうが多かった気がします。
学生時代から「プロになりたい」とは思っていたけど、確信はありませんでした。鹿児島の田舎で育って、そこから一歩外に出れば僕よりうまい人はたくさんいた。高校を卒業してプロになってからも、最初の1年は一度も1軍に上がれませんでした。同級生は他のチームでデビューしているし、やっぱり焦りますよね。俺、1年間何してたんだろうって。
「オリンピックの前園」から抜け出せない歯痒さ理由ははっきりしたんです。高校3年間は監督の家で下宿生活。
アルゼンチンのチームメイトは、練習が終わった後にアルバイトをしていました。サッカー選手としての彼らの給料は、たぶん10万円くらいだったんじゃないかな。明らかに目の色が違う彼らのハングリーな姿を見て、自分が恥ずかしくなりました。
あの留学を機に、サッカー選手としての姿勢は大きく変わりました。ただ、結果的にはワールドカップに出場することもできず、オリンピックの実績しか残せなかった。自分の中では、その事実をうまく処理できませんでした。引退してからもオリンピックのことばかり言われるのがイヤで、ほんの数年前まで、「アトランタ五輪にしか出場していない自分」を受け入れられなかったんです。
いつ引退してもいいと思った"五輪後"のサッカー人生は、本当にうまくいかないことばかりでしたね。
あの頃の自分? YouTubeなんかで映像を見ると、ぶっ飛ばしたくなりますよね(笑)。自分が一番だ、誰にも負けたくないという思いは大切だけど、少し間違えればただのひねくれ者。誰かに当たったり、「なんで俺が試合に出られないんだ」と平気で口にしたり、恥ずかしいけどそういう時期もありました。あの時、もっといろいろなことを分かっていれば、結果も少し違ったのかな。
ただ、当時の僕にはあれが精いっぱいだったんですよね。何かを崩すと、すべてが崩れてしまう気がしていた。うん。弱かったんですよね。
だから、今になってまた、サッカーがすごく楽しいんですよ。子どもたちに教えるのも、引退した仲間とボールを蹴るのもすごく楽しい。引退して10年以上経つのに、ずっとサッカーに携わらせてもらっている。ありがたいことだなと思います。
そういう意味でも、"お酒の一件"は人生を変える出来事でした。
引退後もサッカーのお仕事をたくさんさせてもらって、テレビにも出させてもらって、たぶん、ありがたみも感じなくなってしまっていたんだと思います。自分ひとりじゃ何もできないのに、自分のことしか見えていなかった。鈍感だったんですよね。本当に。
お酒の一件で、すべてがなくなりました。仕事がなくなって、まわりから人がいなくなって。
あの日以来、お酒は一滴も飲んでいません。考え方は大きく変わりました。それまでの自分は中途半端だった。サッカー選手だった自分のプライドみたいなものを引きずりながら、その後の自分を作ろうとしていた。それじゃあダメなんです。すべてをリセットして、"今の自分"をさらけ出さなければならない。そう感じました。
たぶん、初めて、本当の意味で自分にダメ出しすることができたんだと思います。サッカー選手である自分から、ようやく、はっきりと卒業することができた。
復帰するにあたっては、元にいた場所から逃げるのではなく、あえて同じ舞台に戻って出直さなければいけないと思いました。逃げ出さず、恥をかいて、もう一度やり直さなきゃいけない。自分と向き合う力? いや、そんな偉いものではなく、腹をくくるしか、覚悟を決めるしかありませんでした。
それ以来、自分で自分のことを評価しなくなりました。僕の姿を見て何かを感じるのは、僕じゃない。自分の中では"元サッカー選手"へのこだわりもなくなり、おかげさまで、本当にいろいろな仕事をやらせてもらっています。「スポーツキャスター」なんて肩書もあるんですけど、そんなカッコいい仕事、全体の2割くらいしかありません(笑)。もう、本当になんでもいいんです。「タレント」でも「解説者」でも、「サッカーを教えてくれるオジさん」でも。
もし、現役時代の僕が監督から「ゴールキーパーをやれ」と言われたら、たぶん発狂していたでしょうね。でも、今の僕にポジションはない。むしろベンチに控えていて、「どのポジションでもやります!」というスタンスが心地いい。
もちろん、それでも失敗したり、悔しい思いをすることもありますよ。うまくコメントできなかったり、「なんでそこまでイジられなきゃいけないの」と思うことも、正直に言えばあるんです(笑)。ただ、不思議なもので、それがネガティブに作用しない。前向きに「次も頑張ろう」と思える。
それってきっと、常に先のこと、未来のことを考えるようとしているからだと思います。だって、後悔しても時間を戻すことはできませんから。振り返れば、現役の頃からそうでした。"切り替える力"は、サッカーで養われたのかもしれませんね。
もしイヤなことがあっても、その瞬間でおしまい。そうそう、お酒の一件を機に少し勉強したんですよ。"怒り"というは第二次感情で、第一次には不安やストレス、悲しみや苦しみがある。だから、それを溜めない努力をすれば、怒りの感情が沸いてこない。
もし怒りが爆発してしまいそうになったら? 少し時間を置いて、落ち着いて、第一次感情を沈める努力をするんです。お腹が空いていたら甘いものを食べればいい。悲しいことがあったら楽しいことを考えればいい。とにかく未来のことを考えて、切り替えるようにしています。
切り替えて、いつも前を見ているそういうことも含めて、サッカーから学ばせてもらったことはたくさんあります。うまくいかないことが多かったからこそ、次こそ、今度こそと思えるメンタリティが鍛えられた。くよくよするより、次のプレー、次の試合に向けて気持ちを高めたほうが、自分の心に余裕が生まれていいプレーができるはずですから。本当に、サッカーには感謝しているんです。
未来のこと? いや、もう、本当に何も決めていません。今はもう、目の前のことにひとつずつ全力で取り組むだけ。仕事が全くない時期を経験しているからこそ、スケジュールが埋まっていくことが嬉しくて仕方ないんですよ。だから、これからもずっと、ひとつずつ。今の僕には、それを積み重ねていくことしかできませんから。
前園真聖(まえぞの・まさきよ)さん
1992年鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。1994年にはアトランタオリンピックを目指すU-21日本代表に選出されるとともに、A代表に選出。日本代表U-21主将として28年ぶりとなるオリンピック出場に貢献する。1996年、アトランタオリンピック本大会では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」を演出し、サッカーファンのみならず、広く注目されることとなる。その後、国内外のチームを渡り歩き、2005年5月19日に引退を表明。現在はサッカー解説者やメディア出演のほかに、自身のZONOサッカースクール少年サッカーを主催し、活動をしている。ペットはミニ豚。
撮影/佐坂和也 取材・文/細江克弥