AIは創造性を奪うのか、それとも解放するのか──。
「AIと創造性」のセッションでは、AIが生み出す新しい可能性やその倫理的課題に対して熱い議論を広げた。
AIは人間の創造性を奪う敵なのか、味方なのか?セッションの模様を振り返る。
登壇者は、名古 摩耶さん(MAGUS/ARTnews JAPAN編集長)と深津 貴之さん(THE GUILD 代表取締役)、平野 啓一郎さん(小説家)。
AIがない時代の創作と、オリジナルであること
AIを使う前の時代、創造的であること、オリジナルであることは、どういう意味だったのか?
小説家の平野さんは、「社会的に何かの大きな流れの起源になり得たものをオリジナルなものとして認めていると思うんですよね」と語る。
今までの歴史的なデータベース(美術史や技術、人類による発見)を、人間が学び、そこから何かを生み出すことが創作だったのではないでしょうか。一方、AIを使うと、学習がAIになる。人間が作っているシステムの中にAIが入ってくると、果たしてそれは創造なのか?オリジンなのか?となっているんだと思います。(平野さん)
これまで、創作とは個人の過去の学習や経験から生まれるものだと考えられてきた。しかし、AIが創造のプロセスに関わることで、誰が作ったものなのかという前提が揺らぎつつある。
AIにはできない「前例を作る」ことが創作
AIが作ったものが溢れる中、創作とは何か、それをどう定義し整理するのか。
この問いは、AI時代においてますます重要になっている。
THE GUILDの深津さんは、法的な立場から「著作権は財産権の一部であり、人権の一部でもある」と指摘。AIが著作権を持たないのは、「AIが人権を持っていないからだ」という考えもあると言う。
宇宙を想像してみてください。宇宙空間に、虚無と惑星がありますよね。虚無の中で探索されていない部分を探索して、水がある惑星を発見するのを創造と言うし、発見した惑星のところに宇宙ステーションを作り、さらに探索できる範囲を広げられることをオリジンと言うのかなと自分は理解しています。(深津さん)
つまり、探索されていない空間を探索して、発見されていないものを見つける。それは、課題に対する解決方法やビジネスモデルかもしれない。
その空間の中で情報資源、価値のあるものを見つけてくるのが創作ではないかなと?前例のない仕事は創作かなと思いますね。(深津さん)
AIとの付き合い方。まずはAIが得意なこと、苦手なことを理解する
AIとどう付き合っていけばいいのか。まずは、AIの得意なところ、苦手なところを理解しておく必要がある。
「AIは基本的にインターネット上の言語を組み合わせて、パターンを学習して確率的に話すマシーン。人間に探索された空間、すでに答えがある空間は得意」と深津さんは話す。
一方、人間が解いたことのない問いで答えを出すのは苦手。その場合は、AIに対して問いの立て方を考える必要がある。
たとえば、AIに対して平凡な答えを1万個出してもらい、その答えに被らない答えを出してもらえば、平凡な答えは省けるかもしれない。少なくとも、探索しなければならない空間を減らせるのだ。
AIは敵ではない。AIを使って創造性を高めればいい
AIを使って創造性を高めていくには?という問いに、深津さんは「自分の行動パターンを把握して、新しい出会いを見つけられる」と話す。
自分の日記やX、行動を読ませて、自分にどういう行動パターンがあるのか、そしてその中で出会えないものをリストアップして行動していく。自分が詳しくなかったり、不勉強だったり、思い込みで喋ってるような分野を精査して、その中で読んだらおもしろい本を引っ張ってくるとか。そういうような使い方ですかね。(深津さん)
その一方、AIにコントロールされているのでは?という危機意識もあるそうだ。
ミクロ的には新しい体験、見たことない体験を得られるので、僕の経験や創造性は上がっているかもしれない。でも、マクロ的にはソシャゲ(ソーシャルゲーム)のクエストをこなしてる人と僕がやってる行動は変わらない。
AIが作ったものはおもしろいのか? デジカメのない時代に生まれた、感情強度の高い文学
AIとうまく付き合いつつも、そこで生まれたものがおもしろいのかどうかは別問題だ。人間とAIの間にある大きな違いとはなにか。
その一つの答えが、「感情の強度」にあるのかもしれない。
平野さんは、「瀬戸内寂聴さんが若い頃に書いた旅行記には、旅先で出会った風景や人々への感情が色濃く刻まれている」と話す。
すごいなと思ったんですよね。デジカメで写真を撮れない時代に、旅行記がそのときの感情の強度に依存した書き方になってるんですよね。今の作家は、写真撮るのはもちろん、写真を参照しながら書くと言うこともあるわけです。そうすると情報性は高いけど、感情の強度は弱くなると思うんですよね。記憶に残ってるものだけを思い出しながら書く方がやっぱり断然おもしろくて。
そういう意味で言うとデータが揃っていて、 どこにアクセントをつけるのか。そこが難しくて。AIの提案が確かに今までやったことはないことかもしれないけど、じゃあおもしろいのか?というのはあると思います。
これに対し、AIは膨大なデータを参照し、高度な文章を生成することができる。しかし、そこに「失われてしまうかもしれない」という緊張感や、生身の人間が持つ時間的制約はない。
AIがつくる文章は、いつでも編集可能である一方で、人間の書く文章には、その瞬間の感情や体験が不可逆的に刻まれているとも言える。
また、平野さんは「AIを使って小説を書かないんですか?」とよく質問するとのこと。
答えは、「楽しいからやってるのにわざわざ一番おもしろい部分をAIにやってもらう発想がないんです」と。
ただ、ビジネスとして売れるコンテンツを効率的に出すか考え出したとき、AIを活用する話が出てきます。そこに対する課題として、「100通り出て、100通り読んでそれを人間がジャッジするとき、本当におもしろいのか?」と平野さんは言う。
結局、それがおもしろいと読者に受けいれられるのか。
芥川賞の選考委員もやっていますが、その作品がいいのかどうかは非常に難しい議論ですよね。非常に意見が割れます。実際に市場に出た時にどれぐらい支持されるかも非常に言語化しにくいところです。
AIが作ったものを人間がジャッジするときに、それが本当に効率がいいのか、どうかという問題もありますよね。
AIとの付き合い方は今後どうなるのか?
AIの活用が急速に進む中で、どうAIと付き合っていくかは重要な部分である。AIにすべて任せようと考えがちだが、このアプローチには落とし穴がある。
深津さんは、「企業でAIを導入する際に、強くやりたいと思う業務をAIに任せるのは避けるべき」と言う。
「本来、やりたいことをAIがやることで、人間のモチベーションが低下し、仕事そのものへの関心が薄れてしまう」というのがその理由だ。
企業がAIを導入する際には、まず単純作業やルーチンワーク、膨大なデータ処理など、「人間が積極的にやりたくない業務」から取り組むほうが効果的だと言う。
キャンプとか料理も同じですよね。キャンプで焚き火はやりたいけど、火を起こすのはさすがに大変だから、ライターを使うみたいな。やりたくない部分をAIに任せることで、やりたいところだけやれる。その結果、極端に尖った生き方とか、極端にとがった作り方をする人が出てくると思っています。(深津さん)
現代では、いつでも写真を撮り、動画で記録し、AIに要約をお願いできます。
しかし、それが創作の本質において「豊かさ」をもたらすのかは別の問題かもしれない。
※本記事は、2025年02月06日掲載のライフハッカー・ジャパン記事の転載です。
制作:ライフハッカー・ジャパン編集部