■「アメリカの小麦戦略」が騒動の淵源
日本列島は、コメ不足による米価高騰という「令和のコメ騒動」に見舞われた。なぜ、このような事態に陥ったのか。
政府は「コメは足りているが流通業界が隠している」と責任転嫁してきたが、根本原因は違う。
コメ過剰が叫ばれる中、長年の減反政策、生産調整政策でコメ生産を減らし続け、また低米価が続いて、コメ農家の所得は時給換算で10円にしかならないような深刻な状況に追い込まれてきた。国の政策と「もう稲作は続けられない」という農家の疲弊とで、そもそもコメ生産が激減しているのだ。
それでは、日本の稲作農家を取り巻くこの苦境の発端は何か。実は、「コメの代わりに小麦を日本人の胃袋に詰め込む」というアメリカの小麦戦略が、日本人のコメ消費を減少させ、コメ減反政策を不可避としてきた大元なのである。
■食生活が「自然に」洋風化したのではない
ここで食生活について考えてみよう。例えば、アメリカの環境活動家レスター・ブラウンの著書『だれが中国を養うのか?――迫りくる食糧危機の時代』(ダイヤモンド社、1995年)の背景には、中国の食生活が際限なく洋風化していくという前提がある。
ブラウンにかぎらず欧米人は、自らの食生活が「進んで」おり、日本や他のアジア諸国は何十年か遅れてその後を追いかけていくと思い込んでいる節がある。
研究者も含めて大多数の日本人は、「食料自給率が下がったのは、食生活が急速に洋風化したため、日本の農地では賄い切れなくなったのだからしょうがない」と信じているが、この「常識」は間違いである。現象的にはそうだが、それはアメリカの政策の結果だということを忘れてはならない。
戦後、アメリカの要請で貿易自由化を進め、輸入に頼り、日本農業を弱体化させる政策を採ったのだ。しかもアメリカは、日本人の食生活をアメリカの農産物に依存する形に誘導・改変した。原因は政策なのだ。
■アメリカの余剰農産物の処分場
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の日本占領政策の狙いは、日本農業を弱体化させて食料自給率を低下させ、①日本をアメリカの余剰農産物の処分場とすること、②それによって日本人を支配し、③アメリカに刃向かえるような強国にさせないこと、であったとされる。
①のためには、日本人がコメの代わりにアメリカ産小麦に依存するようにさせる、「洗脳」とも言うべき政策が行われた。
日本人の食生活変化の大きな要因はアメリカの占領政策だ。戦後、アメリカは余剰農産物の最終処分場に日本を位置付けた。
日本の食料難とアメリカの余剰穀物への対処として、早い段階で実質的に関税撤廃された大豆、とうもろこし(飼料用)や、輸入数量割当制は形式的に残しつつも大量の輸入を受け入れた小麦などの品目では、輸入急増と国内生産の急減で自給率の低下が進んだ。
小麦、大豆、とうもろこしの輸入依存度がそれぞれ85%、94%、100%に達する(2022年度)という事態は、アメリカ主導の貿易自由化が日本の耕種農業構造を大きく変えたことを意味する。
■「コメを食うとバカになる」という洗脳政策
それだけではない。日本の著名な学者が回し者に使われて、「コメを食うとバカになる」と主張する本まで書かせ、小麦を食べさせるために「食生活改善」がうたわれる洗脳政策が行われた。
その本とは、昭和33(1958)年に書かれた林髞(はやしたかし)慶應義塾大学医学部教授の著書『頭脳』である。同書は発売後3年目にして50版を重ねるベストセラーとなり、日本の社会に大きな影響を与えた。
農林水産省所管の独立行政法人農業環境技術研究所(現 農業・食品産業技術総合研究機構)のウェブマガジンは、同書の内容を引いて次のように記している(*1)。
林氏は、日本人が欧米人に劣るのは、主食のコメが原因であるとして、
……これはせめて子供の主食だけはパンにした方がよいということである。(中略)大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。悪条件がかさなっているのだから、運命とあきらめよう。しかし、せめて子供たちの将来だけは、私どもとちがって、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのがほんとうである
と述べている。この記述は、まったく科学的根拠のない暴論と言わざるをえないが、当時は正しい学説として国民に広く受け入れられてしまった。
■洋食推進キャンペーンの数々
この本が書かれた当時、日本国内の各地で「洋食推進運動」が実施された。中でも目を引いた「キッチンカー」をご記憶の読者もいるかと思う。
このキッチンカーに象徴されるアメリカ産小麦の対日輸出キャンペーンには、主役ともいうべき人物がいた。それが、アメリカの小麦生産者組織(アメリカ西部小麦連合会)を率いた、「小麦のキッシンジャー」ことリチャード・バウム氏だ。
バウム氏らは何度も日本に足を運び、厚生省や同省所管の「日本食生活協会」に資金協力して前述のキッチンカーを走らせたほか、農林省所管「全国食生活改善協会」を通じた製パン業界の育成や、文部省所管「全国学校給食会連合会」を通じた学校給食の農村普及事業も行われた。
小麦を日本に普及させるためのこれらの事業はすべて、アメリカのお金で動かされていたのだ。
■日本が背負った「宿命」
アメリカ側の働きかけは小麦だけにとどまらなかった。日本の肉食化を推進するため、食肉用家畜に与える飼料の市場開拓も行われた。
肉食化キャンペーンの仕掛人であるクラレンス・パンビー氏(アメリカ飼料穀物協会)らの働きかけを受けて「日本飼料協会」が発足し、飼料産業の育成、アメリカ産飼料を必要とする種鶏の導入、消費者PRなどを展開した。
日本の酪農・畜産はこのおかげで発展できたが、それは、アメリカにとっての余剰とうもろこし・大豆のはけ口になるということでもあった。
アメリカの輸入飼料に依存してきたため、現在のような世界的な飼料穀物価格の高騰で窮地に陥るという宿命を負ってしまったのである。
■胃袋からの属国化
アメリカで農業が盛んなウィスコンシン州のウィスコンシン大学のある教授は、農家の子弟の多く聴講する講義において、次のような発言を行ったという(*2)。
「君たちはアメリカの威信を担っている。
このアメリカの戦略は戦後一貫して実行されてきた。日本は、アメリカによる「胃袋からの属国化」のレールにまんまと乗せられてきたのである。
冒頭で触れた減反政策も、「胃袋からの属国化」によりコメの消費量を減らされ、減反せざるを得ない状況に否応なく追い込まれた、というのが実態だ。
■「これは一過性のものではない」
コメの消費量が減り続けると、田んぼも生産農家も減り続け、やがてレッドゾーンを超えて「コメがない」状況になる。そうしてついに起こったのが「令和のコメ騒動」ということだ。
そしてこれは一過性のものではない。
アメリカの輸入圧力も強まる中、事態はむしろ悪化するかもしれない。戦後80年の今年、アメリカによる「胃袋からの属国化」の結果が顕在化したのは、象徴的な出来事に思えてならない。
以上述べてきた「胃袋からの属国化」が具体的にどのように進められたのかを知りたい方には、『米と小麦の戦後史』(高嶋光雪著)の一読をおすすめする。今私たちが置かれている危機的な食料・農業事情がどうして出来上がったのかを確認することで、日本の食料・農業問題解決の糸口を見出したい。
■引用文献
*1 小野信一「水田稲作と土壌肥料学(2)」『農業と環境』No. 106(2025年3月25日アクセス)
*2 大江正章『農業という仕事――食と環境を守る』岩波ジュニア新書、2001年
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鈴木 宣弘(すずき・のぶひろ)
東京大学大学院農学生命科学研究科特任教授・名誉教授
1958年三重県生まれ。82年東京大学農学部卒業。農林水産省、九州大学大学院教授を経て2006年より現職。FTA 産官学共同研究会委員、食料・農業・農村政策審議会委員、財務省関税・外国為替等審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員、コーネル大学客員教授などを歴任。おもな著書に『農業消滅』(平凡社新書)、『食の戦争』(文春新書)、『悪夢の食卓』(KADOKAWA)、『農業経済学 第5版』(共著、岩波書店)などがある。
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(東京大学大学院農学生命科学研究科特任教授・名誉教授 鈴木 宣弘)