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『崖の上のポニョ』。さかなの子のポニョのかわいらしさ、不思議な出来事の数々、大きな波と一緒に疾走する画など、アニメーション映画としての楽しさがいっぱいの本作には、「あれはどういうことだったの?」とモヤモヤしたり、「ひょっとすると、こういうことかも!」と想像が膨らむシーンもたくさんあります。


本記事では、そのモヤモヤをちょっとだけでも解消できるかもしれない、さらに作品を奥深く知ることができるポイントについて、解説してみます。

※以下からは『崖の上のポニョ』のネタバレに触れています。未鑑賞の方は、鑑賞後に読むことをおすすめします。

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1.なぜ宗介は両親を呼び捨てにしているの?

【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


多くの方が違和感を覚えるであろうことは、5歳の男の子の宗介が、両親を「リサ」「耕一」と呼び捨てにしていること。劇中では、そのことを疑問に思ったり、指摘する人はいません。

このことについて、鈴木敏夫プロデューサーは「(宮崎駿監督の設定としては)おそらく母であるリサがそう呼ぶように宗介を育てている」「(呼び捨てにさせるのは)家族間であっても、一個人として自立すべきだということの象徴なのだと思います」「もしかすると、今後の日本の家族のあり方なのかもしれない」と答えていました。

なるほど。
両親を名前で呼び捨てにしたほうが、お父さんやお母さんという普遍的な立場への依存度が低くなり、子どもの自立を促しやすいのではないか、というのはわかる気もします(もちろん、両親を呼び捨てにするなんてとんでもない!と思う人のほうが多いでしょうが)。

【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


筆者個人の見解ですが、宮崎駿作品では“名前を呼ぶ(呼ばれる)”こと自体にも、大きな意味があるのだと思います。例えば『千と千尋の神隠し』では主人公の千尋が名前を勝手に奪われてしまう恐ろしいシーンがありましたし、『崖の上のポニョ』のポニョは宗介に付けてもらったその名前をいたく気に入っていたようでした。その他の宮崎駿作品でも、登場人物が自分の名前や素性を話すシーンは特に重要なものとして描かれているようでした。

宗介が母親のリサを探しに行った先でクルマを見つけ、何度も何度も「リサ」と叫ぶシーンは痛切な印象を残します。5歳の男の子が、母親という肩書もない、ただただ大切に想う一個人を呼び続けるこのシーンのために、この両親を呼び捨てにするという設定があったのではないか、とも思えるのです。


【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


ちなみに、『崖の上のポニョ』のBlu-rayには英語音声の北米版が収録されていますが、こちらでは宗介はリサを呼び捨てにせず、「Mom」または「Mommy」と呼んでいます。耕一という父親の名前も「Dad」に代えられていた箇所がありました。英語圏では友だち同士でなくともフランクに呼び捨てをするという印象がありますが、それでも親を名前だけで呼ぶというのは、ギョッとしてしまうところがあるのでしょうね。

2.母親のリサは無責任?

【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


前述した“子どもに呼び捨てにさせる”以外でも、リサという母親は「無責任だ」などと批判の対象になりがちのようです。確かに大津波という事態ならともかく、リサは大して緊急でない時も危ないクルマの運転をしすぎですよね。

ただし、リサの「子どもを家に置き去りにすることが母親としてあり得ない」という点に関しては、ちょっと異議を唱えたいです。

リサは正体のわからない光(おそらく老人ホームのおばあさんたちからもの)を見て、そこに向かおうとするのですが……波が静まったとはいえ、暗い夜に、どこが水没しているかもわからない道を進むのは明らかに危険です。
リサが「この家は嵐の中の灯台。誰かがいなきゃ」「ここにいてくれたほうがリサの助けになるの」と宗介を説得したのも、危険を冒してでも誰かを助けたいと願う宗介の正義感と優しさを知っていたからでしょう。リサは人の命を救おうとしているのはもちろん、息子のことをとても大切に想っています。

【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


また、あれだけ乱暴な運転をしていたリサでしたが、宗介が「女の子が海に落ちた!」と言った時、すぐにクルマを止めています。嵐が起きて道が水没していった後も老人ホームのおばあさんたちを真っ先に心配していましたし、リサが決して無責任な人間ではない、大切な人の命に関しては人一倍気にかけていることは、明白ではないでしょうか。

余談ですが、リサが夫の耕一に帰れないと電話で告げられ、「家で(ご飯を)食べたい」と宗介に言われると、冷蔵庫を開けてビールをすぐさま飲もうとする、というシーンがあります。
宮崎駿いわく、これは「もともと自分が飲もうと思っていたビールではなく、夫が帰ってきたら出そうと思っていたんだと思います」ということなので、無責任というよりも、気分屋で猪突猛進なリサの性格を表しているのでしょうね。

3.後半は死後の世界が描かれていた?


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『崖の上のポニョ』は、よく都市伝説のように「後半は死後の世界が描かれているのではないか?」と語られています。確かに、海の上にたくさん船が寄り集まった“船の墓場”が登場したり、老人ホームのおばあちゃんたちが海の中で「あの世もいいわねえ」「ここってあの世なの?」と話していたり、そもそも知っている町が海に沈んでしまうというとんでもない状況でもあるため、死後の世界になっているという説の根拠はたくさんありますよね。

ここで、物語の大筋を振り返ってみましょう。ポニョは人間になって宗介に会いたいと願うあまり、“生命の泉”を爆発させてしまいました。世界には“大穴”が開いてしまい、人工衛星が落ち始めるほどに重力が崩壊し、月が地球に急接近するほどの大事態になってしまいます。そこで宗介にはポニョを人間にすることと引き換えに魔法を失わせる“試練”が与えられます。
宗介は試練に成功し、世界は救われ、ポニョは人間になることができました……。

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このように単純に物語を追うと、世界が滅亡しかけるほどの大事態が起こっていて、それらが解決したハッピーエンドであること自体には、異論はないでしょう。そもそも明確に誰かが死んだという描写はないですし、「後半は死後の世界」「登場人物はみんな死んでいる」という説は極端すぎるように思えます。

しかし、宗介が出会ったばかりのポニョに対して何度も「死んじゃったかな?」と言っていたり、前述の船の墓場や、リサが乗り捨てていたクルマなどで、それとなく“登場人物が死ぬ(死んだ)かもしれない不安”が描かれていることも事実です。『崖の上のポニョ』に潜在的な怖さを感じる人が多いのも、そのためでしょう。死が明確に描かれていなくても、「死(の世界)がすぐ側まで来ていた」ということは、あるのかもしれません。


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余談ですが、劇中に登場する“満月”も、映画の初めは水彩画のような見た目だったのに、中盤からはクレーターがはっきり見える写実的な描き方がされ、しかも地球に接近してくるためにどんどんどんどん大きくなっていくので、やはりゾッとさせられます。しかも、満月は人の精神を変調させたり、自殺者を増やすという説もあるのだとか……。

また、ポニョの本名である“ブリュンヒルデ”は、北欧神話における、戦死者を天国へ導く半神・ワルキューレの1人の名前です(しかも、宮崎駿が本作の構想を練っている時にBGMとして聞いていたのはワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の全曲盤であったのだとか)。ワルキューレには世の終わりまで闘っている勇士をもてなすという務めもあるので、このブリュンヒルデという名前は“世界が破滅する”という予兆を示していた、とも言えるのかもしれません。

※次のページではもっと深い謎を解説! 「ポニョはなぜトンネルをキライだと言った?」

4.ポニョが嫌がったトンネルの意味とは?


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終盤に宗介とポニョはトンネルを通ることになりますが、なぜかポニョはそのトンネルを「ここ、キライ……」と言います。トンネルを進めば進むほど、ポニョは人間から半魚人、そして元のさかなの姿に戻ってしまいました。

このトンネルが示すものは何か、ということにはさまざまな解釈があるでしょう。個人的には、このトンネルは、宗介にとっての“最後の試練”であり、“ポニョにとっての”宗介に嫌われてしまうかもしれないという恐怖”であると考えます。

ポニョの母であるグランマンマーレは、「ポニョの(もとはさかなであり半魚人でもある)正体を知っても、それでも好きでいてくれますか」と最後に宗介に質問していました。つまり、人間、半魚人、さかなと、どんどんポニョの正体がわかっていくトンネルは、この質問を前提とした試練になっていると考えてられるのです(もっとも、宗介はその前からポニョの正体を知っていますが)。

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また、ポニョの父のフジモトからは、試練に失敗するとポニョは泡になって消えてしまうことが語られています。つまり、最後のグランマンマーレからの質問で、さかなや半魚人のポニョと一緒にいたくない、と宗介が思ってしまうと、ポニョは死んでしまうのです。たとえ死ななくても、宗介のことが大好きなポニョにとって、そう思われてしまうことは、何よりの恐怖のはず。だからでこそ、ポニョは自分をさかなや半魚人にしてしまうトンネルのことを「キラい」と言ったのではないでしょうか。

なお、このトンネルは入り口「交互通行」「一車線」「譲り合い」などと書かれており、幅は狭くても一方通行ではない、どちらからも行き来できる場所であることが示されています。このトンネルは、海の世界と人間たちの世界の境目であり、注意しながら行き来するための通り道なのかもしれませんね。

5.「大好き!」という感情が世界を救う

【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


ポニョは宗介のことが大好きすぎて、人間になりたいと願ったため、あわや世界が破滅しかけてしまいました。その世界を救ったのも、宗介からポニョへの大好きという感情でした。本作の物語はつまるところ、ただただ「大好き!」という、子どもが持つ純粋な気持ちを肯定していると言っていいでしょう。

宮崎駿は、『崖の上のポニョ』を“神経症と不安の時代に立ち向かう”作品であるとしています。その不安とは劇中で描かれたことだけではなく、経済危機や環境汚染などの、現実の身近な問題のことも含んでいるのでしょう。映画の中でそれらに具体的な問題提起や批判をするのではなく、5歳の子ども(宗介とポニョ)の「大好き!」という感情こそが、不安なことや問題を解決してしまえるというのも、『崖の上のポニョ』の素敵なところです。

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そういえば、宗介とポニョがボートに乗っていた婦人(声の担当は『千と千尋の神隠し』で千尋を演じていた柊瑠美)と別れる前、今まで人間だったポニョがなぜか半魚人に戻って、泣きじゃくっている赤ちゃんの顔をギュッとして笑顔に変えてあげる、というシーンがありました。これは、ポニョの“どんな姿であっても、人間の誰かのことを全力で好きでいられる”純粋な性格を表しているのかもしれませんね。

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さらに余談ですが、宗介が老人ホームのおばあさんたちに金魚の折り紙をあげている中、「天気予報なんか当てにならないよ」などとぶつくさ文句を言っていたトキさんにだけ、自分のお父さんの乗っている船の折り紙をあげる、というシーンもありました。これも、嵐に負けない船という、トキさんの“不安”を解消してあげるものをあげようとする、宗介の純粋な気持ちが表れたシーンなのでしょうね。

おまけその1.エンドロールにある秘密とは?

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おそらく地上波放送では流れないでしょうが、あの耳に残る主題歌に乗せて、スタッフが50音順に役職名もなしで表示されるエンドロールも印象的ですよね。

実は、このエンドロールのスタッフの中には、スタジオジブリの中に棲みついていたネコの名前までもが紛れ込んでいます(笑)。探せば(名前のすぐそばのイラストのおかげで)どれがネコなのかがすぐにわかるでしょう。

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また、Blu-rayに収録されている北米版のエンドロールでは、途中から大幅なアレンジが加えられたロングバージョンの主題歌(もちろん英語歌詞)が流れます。実は、この北米版のエンドロールでは、日本版のエンドロールにはない背景のイラストも見られるのです!日本版ではイラストの一部がカットされていて、北米版のほうが完全な“1枚の長いイラスト”が見られる、と言ったほうが正しいかもしれません。

おまけその2.『崖の上のポニョ』の原型になった作品があった!


【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


実は、宮崎駿が手がけた作品において、“いつもいる町が水没してしまう”というシーンがあるのは『崖の上のポニョ』だけではありません。高畑勲監督(クレジットでは演出名義)、宮崎駿が脚本を手掛けていた1973年の中編『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』でも、辺り一面が大洪水になってしまった後、ボート(ベッド)での大冒険が展開していくのです。

その他にも、「未来少年コナン」や『天空の城ラピュタ』や『ルパン三世 カリオストロの城』など、宮崎駿監督作品には、澄み切った水の中に沈んだ建物が幻想的に描かれていることが多くあります。もちろん現実で洪水が起ってしまうと建物が崩れ去ってしまうことがほとんどでしょうが、あり得ない光景が広がるからでこそ、見ていてとてもワクワクしますよね。これは、アニメでしかできない表現でもあるでしょう。

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また、『崖の上のポニョ』の劇中に出てくるインスタントラーメン(チキンラーメン?)は何ともおいしそうでしたが、これに匹敵するほどおいしそうにインスタントラーメンを食べるシーンが、“三鷹の森ジブリ美術館”で上映されている短編作品『やどさがし』の中にあります。同作は「ぞぞぞ」「ざわざわ」などの日本語の擬音を画面に表示して、かつ人の声でそのまま表現してしまうという一風変わったもの。絵柄そのものや、草や木の表現も『崖の上のポニョ』にそっくりだったりします。

【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


筆者はまだ観たことがありませんが、同じく三鷹の森ジブリ美術館で上映されている『水グモもんもん』も、水中のキャラの動きや泡の表現が、『崖の上のポニョ』の絵作りの原点になっているのだそうです。

さらに、宮崎駿作品でもジブリ作品でもありませんが、2017年には『夜明け告げるルーの歌』という、海の生き物の女の子との交流や、海辺の街という舞台、「好き!」という感情が大切になってくるなど、『崖の上のポニョ』との共通点が多くみられる(しかもオリジナリティも抜群!)アニメ映画も公開されていました。こちらは10月に東京の目黒シネマとキネカ大森、埼玉の川越スカラ座と深谷シネマでリバイバル上映も予定されていますので、『崖の上のポニョ』が好きという方に、ぜひご覧になってほしいです。

参考図書:ジブリの森とポニョの海 宮崎駿と「崖の上のポニョ」

(文:ヒナタカ)

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『崖の上のポニョ』作品情報

【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?


原作・脚本・監督:宮崎 駿

プロデューサー:鈴木敏夫

制作:星野康二

音楽:久石 譲

主題歌:林 正子 ⋅ 藤岡藤巻と大橋のぞみ

声の出演:山口智子 ⋅ 長嶋一茂 ⋅ 天海祐希 ⋅ 所ジョージ ⋅ 奈良柚莉愛 ⋅ 土井洋輝 ⋅ 柊 瑠美 ⋅ 矢野顕子 ⋅ 吉行和子 ⋅ 奈良岡朋子

上映時間:約101分

配給:東宝

公開日:2008.7.19(土)