Text by 後藤美波
Text by ISO
想像してみてほしい。自分の存在が不適切と判断され世界から拒まれたら、と。
強い悲しみや、怒りを覚えることは想像に難くないだろう。そんな恐ろしい話はない。
だが、いま現実にそれが起きている。しかもそれを行なっていたのは世界のエンターテイメント業界を先導するウォルト・ディズニー・カンパニーだ。今月3月9日、ディズニーが傘下であるピクサーに対し、LGBTQ+のキャラクターやその愛情表現の描写を作品から削除するよう検閲していた、とピクサー社員およびその賛同者から内部告発された。
事の発端はアメリカ・フロリダ州で3月8日に可決され、現在ロン・デサンティス知事の署名待ちとなっている法案「House Bill 1557」だ。学校における性自認や性的指向についての議論や指導を厳しく制限するこの法案は通称「ゲイと言ってはいけない(Don’t Say Gay)法」と呼ばれ、民主党議員やLGBTQ+コミュニティーをはじめ多方面から抗議の声があがっている。ホワイトハウスも「LGBTQ+の学生を危険に晒す法律だ」と異例の声明を発表した。
一方でディズニーリゾートを中心にフロリダ州で巨大ビジネスを展開し、経済的に大きな影響力を持つウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・チャペックは、LGBTQ+コミュニティーを支持する旨を述べたが企業として公に非難することを拒んだ。加えて「ゲイと言ってはいけない法」を推進していた共和党議員にディズニー社が多額の寄付を行なっていた事実が明らかになったことも相まって、同社はかつてないほどの批判にさらされる事態となった。
その後ボブ・チャペックは態度を一変させ、企業として明確な立場を表明しなかったことを謝罪し、今後同法案に反対する行動を取ることや、政治献金先を見直すことを表明した。だがその一連の騒動の余波は大きく、ディズニーがこれまでピクサーに対し「同性間の愛情表現描写があるシーンを一方的な検閲で削除してきた」という事実がピクサー内部の有志によって暴露されてしまったのだ(*1)。
ディズニーはいまでこそ人種やセクシュアリティーの多様性を尊重することを遵守すべき社会的責任として掲げているが、その歴史を辿ると過去の作品からは当時の社会に根づいていた差別意識や偏見が垣間見られる。
人種の多様性に目を向けてみても、ディズニー映画の代名詞とも言えるディズニープリンセス作品群のなかで、往年の名作である『白雪姫』(1937年)や『シンデレラ』(1950年)、『リトル・マーメイド』(1989年)の主人公はいずれも白人女性で、そこに有色人種は存在しない。
愛らしい子ゾウが主役の『ダンボ』(1941年)では、ダンボを助けてくれる5羽のカラスが登場するが、そのリーダーは「ジム・クロウ」という名前がつけられていた。それは当時アメリカ南部に存在した、アフリカ系アメリカ人への差別を公的に容認する州法「ジム・クロウ法」と同名である。
同様に、実在した差別を覆い隠していると非難されアメリカではホームビデオ化されていない『南部の歌』(1946年)や、オランウータンなどの霊長類キャラクターがアフリカ系アメリカ人を彷彿とさせるイントネーションで喋る『ジャングル・ブック』(1967年)など、アフリカ系アメリカ人に対する差別が問題視された作品は他にもある。
また、未だに根強い人気を誇る『ピーターパン』(1953年)ではネイティブ・アメリカンを「レッドスキンズ」という蔑称で呼び、『おしゃれキャット』(1970年)ではアジア人を揶揄するような見た目と訛りの猫が箸でピアノを弾く描写があるなど、その当時白人以外の人種がどのような見方や扱い方をされていたかがわかる。こうした作品の一部は現在Disney+において、「差別的、ステレオタイプ的な表現が含まれる」という旨の注釈つきで配信されている。
非白人のディズニープリンセスが初めて登場したのは中東を舞台にした『アラジン』(1992年)で、それはディズニー映画の1作目『白雪姫』から55年経ってからのことだった。『アラジン』が未曾有の大ヒットをした勢いに乗ってか、その後はネイティブ・アメリカンを主役に据えた『ポカホンタス』(1995年)や、中国を舞台にした『ムーラン』(1998年)と立て続けに白人以外のプリンセスが描かれ、2009年に公開されたニューオリンズが舞台の『プリンセスと魔法のキス』ではついにアフリカ系アメリカ人のプリンセスが誕生した。
最近でも『モアナと伝説の海』(2016年)でポリネシア人、『ラーヤと龍の王国』(2021年)では東南アジア系のプリンセスが登場。プリンセス系列以外の作品だと『ズートピア』(2016年)では多種多様の動物が暮らす大都市を舞台に「多様性に富んだ社会」が比喩的に描かれた。
こうしてようやく多様な世界観の表現に向けて舵を取り始めたディズニーであったが、そんななかでも性的マイノリティーの存在は頑なに覆い隠されており、その態度に変化が見られつつあったのがこの数年のことだった。
実写版『美女と野獣』(2017年)では、監督のビル・コンドンが、「主人公ベルに結婚を迫るガストンの手下ル・フゥはゲイである」と語り、ディズニー初のLGBTQ+キャラクターであると話題になった。
ディズニーの傘下であるピクサー作品では特にその流れが顕著で、『ファインディング・ドリー』(2016年)と『トイ・ストーリー4』(2019年)ではモブキャラクターとしてレズビアンと思しきカップルが登場し、『2分の1の魔法』(2020年)では女性警官のスペクターが「彼女がいる」旨の発言をして作中でLGBTQ+だと明言されたディズニー初のキャラクターとなった。
そして2020年にDisney+で配信された短編アニメ『殻を破る(原題:OUT)』ではディズニー史上初のゲイの主人公が登場した。両親に自分のセクシュアリティーをカミングするか葛藤するゲイの青年を描く本作。監督で、自身もゲイであることをカミングアウトしているスティーブン・クレイ・ハンターは本作品公開後、「子どもの頃にこの作品を観たかった」(*2)といったポジティブな反応がたくさん寄せられていることを明かした。
また同じくディズニー傘下のマーベル作品として昨年公開され、多様性に富んだヒーローチームが話題を呼んだ実写映画『エターナルズ』ではゲイのヒーロー、ファストスも登場しゲイカップルのキスシーンが描かれた。ディズニー傘下で同性間のキスシーンが描かれたのは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019年)に続き2例目であるが、驚くべきは『エターナルズ』配給時のディズニーの対応だ。
サウジアラビア、カタール、クウェートなど同性愛が違法とされる中東の国々の当局から、同作品を公開するにあたって同性愛描写を削除するよう要請があったが、ディズニーはこれを拒否したのだ。その毅然とした態度に同作品でファストスのパートナー役を演じ、自らもゲイであるアラブ人俳優ハーズ・スレイマンは「涙が出そうだった」と語っている(*3)。
一方、LGBTQ+コミュニティーを中心にディズニーのLGBTQ+描写を巡る動きが不十分だという声も多く挙がっている。
実写版『美女と野獣』ではル・フゥがゲイであるというのは劇中で明言されず、監督から裏設定として述べられたに過ぎない。『ファインディング・ドリー』や『トイ・ストーリー4』『2分の1の魔法』でもその存在を匂わせるだけで、同性間の愛情を明確に描くことが意図的に避けられてきたのは明白だった。
そんななかで今回暴露されてしまったのがディズニーからピクサーへのLGBTQ+描写の削除要請だ。それまでディズニーとともにLGBTQ+描写が不十分と糾弾を受けてきたピクサーだが、上述の『殻を破る』からも窺い知れるようにピクサー側はそうした表現に積極的だったと思われる。なぜディズニーはそんなLGBTQ+排除とも取れる指示を出してしまったのだろうか。
そこには商業的観点から極力波風を立てたくないというディズニーの思惑が見て取れる。
実写版『美女と野獣』でル・フゥはゲイであるとコンドン監督が明かしたことにより、アラバマ州の一部劇場では上映がボイコットされ、マレーシアは宗教的な背景からノーカット版での上映が中止(のちにPG-13で公開)、ロシアではPG-16の年齢制限が設けられた。直接的にル・フゥがゲイだとわかるシーンがないにも関わらずだ。その騒動があってか後日コンドン監督は「(ル・フゥがゲイだと報じられているのは)少し大げさだ」と発言を修正した(*4)。
レズビアンが登場する『2分の1の魔法』は、アメリカのキリスト教原理主義団体による上映禁止の署名活動が行なわれ、中東の一部の国々では上映が禁止された(*5)。その影響額は決して少なくはないだろう。
一方で上述したゲイ男性が主人公の『殻を破る』は配信限定で、保守層からの反発が起きても商業的な影響はほとんどない。また『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』や『エターナルズ』は同性間のキスシーンはあるものの、共にファン基盤が非常に強いフランチャイズであるために、ファミリー層がメインターゲットであるピクサー作品と比較すると商業的な懸念は少なかったと思われる。
ディズニーがこれほどまでに大きく成長してきたのはその並外れたバランス感覚にあるのは間違いないだろう。多方面に目配せをして、ときに批判を受けながらもその時代に合わせた大衆に愛される作品を数多く生んできた。その功績は多大なるもので、ディズニーが描く魅力的なキャラクターに勇気づけられた人は人種や年代、セクシュアリティーを問わず大勢いるだろう。
LGBTQ+描写に関してもそのバランス感覚が発揮され、保守派とリベラル派両側の様子を窺った結果として、現在のどっちつかずな態度に落ち着いていることは容易に想像がつく。
しかし、この問題において、ディズニーが求める中間地点は存在しない。沈黙し、上辺をなぞるだけのような態度は「味方をしない」という意思表明と同義なのだ。
言うまでもないが、LGBTQ+の人々は当たり前に社会に存在していて、誰かに承認を求める必要はない。ディズニーに求められているのは、現実に存在するさまざまなセクシュアリティーのあり方や愛のかたちを作品に反映させて欲しいという至極真っ当な意見であり、それは過度な要望でも、ましてやポリコレの押し付けなんてものでは決してない。自分を投影することができるキャラクターがスクリーンのなかで活躍することで救われる子どもがどれだけいるだろう。

Photo by Nathan DeFiesta on Unsplash
3月22日、ディズニーのLGBTQ当事者の職員やその支援者らはカリフォルニアのディズニーのスタジオ付近の公園およびオンラインで、「ゲイと言ってはいけない(Don’t Say Gay)法」をめぐる同社の対応に対する抗議運動を実施。ディズニーの関係各社は、LGBTQ+コミュニティーへの支持と連帯を示す声明を発表した。
これまであらゆる作品を通して「真実の愛」を世界中の人々に伝えてきたディズニー。
彼らがこれから描くのはそんな偽りの世界か、はたまた誰もが自由に愛し合う本物の世界か。ディズニーはいま、選択を迫られている。