Text by 村尾泰郎
Text by 川浦慧
Text by 廣田達也
Text by 矢島和義(ココナッツディスク吉祥寺)
デビューアルバム『しばたさとこ島』のリリースから10年、柴田聡子はふと自分の口から出た「あ~、もう、ぼちぼち銀河だわ~」という言葉にはっとした。「ぼちぼち銀河」とは一体何なのか? そのことに向きあい探求しながらつくり上げた6枚目のアルバム『ぼちぼち銀河』が、5月25日にリリースされた。
そんな新作『ぼちぼち銀河』評、そして柴田聡子の10年について、柴田を長らく追い続けてきたライターの村尾泰郎と、ココナッツディスク吉祥寺の矢島和義が綴る。

柴田聡子(しばた さとこ)
シンガーソングライター / 詩人。北海道札幌市出身。1986年札幌市生まれ。武蔵野美術大学卒業、東京藝術大学大学院修了。2010年、大学時代の恩師の一言をきっかけに活動を始める。2012年、三沢洋紀プロデュース多重録音による1stアルバム『しばたさとこ島』でアルバムデビュー。文芸誌や新聞への詩作の寄稿や『文學界』でのエッセイ連載など、詩人としても注目を集める。自身の作品発表以外にも、NHK Eテレ『おかあさんといっしょ』やadieu(上白石萌歌)やRYUTistなどへの楽曲提供、映画『ほったまるびより』やドラマ『許さないという暴力について考えろ』への出演、ミュージックビデオの撮影・編集を含めた完全単独制作など、その表現は形態を選ばない。
柴田聡子が1stアルバム『しばたさとこ島』を発表したのが2012年。それから10年という節目を迎えようとしていた2021年8月に、柴田は「あ~、もう、ぼちぼち銀河だわ~」と思ったという。去年の夏といえば世間はパンデミックで自粛状態だったが、柴田の頭には銀河がちらついていた。
「自分の作品には責任持って顔を出す」という強い決意のもと、これまで柴田のアルバムのジャケットには本人が必ず登場してきた。ジャケットにおける顔の占める割合でいうと、『ぼちぼち銀河』は『しばたさとこ島』に次ぐ大きさ。
この2つのジャケを並べると、「柴田聡子の10年」が感じられて興味深い。上京したての女の子めいたすっぴんの『しばたさとこ島』に対して、どぎつい照明が当てられた『ぼちぼち銀河』は都会の女の風格がある。殺人事件の容疑者として逃亡中のホステスのような凄みさえ感じさせて、それが今回のアルバムのテイストを伝えているような気がした。

1stアルバム『しばたさとこ島』(2012年)

6thアルバム『ぼちぼち銀河』(2022年)
ギターの弾き語りから出発した柴田は、『愛の休日』(2017年)あたりから本格的にバンドサウンドを取り入れるようになり、前作『がんばれ!メロディー』(2019年)では、イトケン、かわいしのぶ、岡田拓郎などによる自身のバンド、柴田聡子inFIREを結成。バンドという強靭な「身体」を手に入れたことで柴田の音楽性は広がった。
バンドを従える、というより、彼女もまたinFIREの一員といった立ち位置で、バンドとの一体感がこれまでの柴田のアルバムとは違った手応えを感じさせた。『ぼちぼち銀河』もinFIREの面々が中心になっていて、Ken Sanoや谷口雄などさまざまなゲストが参加。バンドサウンドを軸にしながらプロダクションは緻密につくり上げられて、曲ごとにさまざまなアイデアが散りばめられている。
そんななか、前作以上にシンガーソングライター=柴田聡子を強く意識させるのは、ボーカルの存在感が増しているからだろう。低音がニュアンス豊かになって声に深みが生まれ、高音に伸びる声にも丸みを感じさせる。1曲のなかで細やかに変化していく歌の表情を追っているだけで聴き飽きない。
例えば“ようこそ”のサビ、<ようこそ>の「そ」のあとの多彩な伸ばし方。
“サイレント・ホーリー・マッドネス・オールナイト”で、歌詞の一節の最後をくるっとカールさせるように歌うことでグルーヴを生み出す歌い方。<風水として論外>というフレーズで、「風水」と歌う前のアドリブっぽいスキャット。
そうした細やかな工夫をいたるところで聴き取ることができて、これまで以上に「歌うこと」に重点が置かれているように思える。脇を固める才能溢れるミュージシャンが繰り出す音を乗りこなす。そんな自信と決意のようなものが自由自在な歌声から伝わってくるようだ。楽器のひとつのように使われるコーラスのアレンジも細やかで、曲を飛び交う柴田の声が多幸感を生み出している。

サウンド面では、R&Bやヒップホップなどダンスミュージックからの影響が色濃くなった。なかでも、かわいしのぶのベースが果たす役割は大きく、イトケンが刻むビートと絡んで曲に躍動感を生み出している。
いちばんわかりやすいのがファンキーな“旅行”だが、ずっしりとしたドラムが曲を引っ張っていく“雑感”では、効果的に「~です」を繰り返し使いながらラップ的なフロウを聞かせ、<う~ん、腹がたつ>の「う~ん」がソウルフル。モータウン歌謡風の“24秒”の弾けるような歌声には柴田のソウルが炸裂する。柴田は昨年公開されたアレサ・フランクリンのドキュメンタリー『アメイジング・グレイス / アレサ・フランクリン』を見て感動したそうだが、柴田の内なるディーヴァが本作で覚醒している。
そして、独自の視点を持った歌詞の世界はますます絶好調だ。日常的な風景を描写しながら、ある瞬間にパタンと非日常にひっくり返るスリル。友達に話しかけるような気安さで、弾丸のように言葉が繰り出されていく。岡田拓郎のエレキギターが炸裂するギラギラしたR&Bナンバー“ぼちぼち銀河”の<体の中の真っ暗なカーテン開けば いっぺんは親に見せてやりたい光景>という一節も強烈で、歌詞を追えないくらい乱暴に歌う柴田の歌唱も荒ぶっている。
<だんだんと消える霧の中を走っていく><揺れながらあたたかい朝を待っているだけです>と歌われる“雑感”は、パンデミックの日々を歌っているようにも思えるが、パンデミックのなか、柴田は弾き語りライブやYouTubeチャンネルの開設など精力的に活動してきた。そうした闇雲なエネルギーがアルバムとして結晶化したのが本作だ。
<トイレの鏡に映る私は私を焚きつけてくる 諦めない顔と目つきが格好良くてしびれる>――そんな“雑感”の一節を聴いて、ジャケットのポートレートが頭をよぎった。こんな顔をして、こんな歌を歌う柴田をライブで見たら誰だって痺れるだろう。
ひとりぼっちの「島」から飛び出した少女は、バンドという仲間を引き連れて「銀河」という未知の世界へと向かう決意をした。
柴田さんのメロディーが好き。あの摩訶不思議な、聴いたことのないメロディー。柴田さんの新曲を初めて聴くとき、このあとどこへ連れて行かれるんだろうとハラハラしてしまう。気をつけてないと迷子になりそうで。どこの道を通ってどこへ着くのか、一度聴いただけではつかめなくて二度三度と聴いて、やっとつかめてくる。なのに、つかめたあとはこれほど人懐こいメロディーもないんじゃないかと思わせる。何度でも聴きたくなるし何度聴いてもいい気分にさせてくれるという、自分が考えるポップスの枠にちゃんと収まっている。斬新のあとに普遍がくるこの不思議。
柴田さんの歌詞が好き。わけわからない? ナンセンス? サブカル? いやいやそれだけじゃないでしょう。ぼくは柴田さんの歌に救われている。自分のことを歌ってくれてるからとか、共感とかじゃない。最大公約数的な「良きこと」以外の場所にいる人とか感情について歌う歌、恋愛以外の人と人との関係について歌う歌、そういう歌が存在している、ということに安心して、救われている。映画でも文学でも漫画でも演劇でもお笑いでも、ぼくはすべての文化にそうあってほしいと思っていて、音楽において自分にはいま、柴田聡子がいてくれている。

10年前に出た1stアルバム『しばたさとこ島』のなかの“カープファンの子”という曲。初期柴田聡子を代表する名曲だが、すでにこの時点で最大公約数的な「良きこと」以外の感情が歌われていることに気がつく。とはいえ、あくまでこの頃の楽曲は若さゆえのひねくれやオルタナティブでありたいという想いが根底にあると思う。ハラハラさせられて迷子になったまま終わるメロディーも多い(それはそれで魅力的なんだけどね)。
2015年の“ニューポニーテール”(3rdアルバム『柴田聡子』収録曲)あたりから柴田聡子的ポップスな「斬新の後に普遍がくる」メロディーが増え、2017年では“スプライト・フォー・ユー”“後悔”“あなたはあなた”(4thアルバム『愛の休日』収録曲)など名曲を量産、2019年に“ラッキーカラー”“涙”(5thアルバム『がんばれ!メロディー』収録曲)、2020年に“ナイスポーズ”(新潟のアイドルグループRYUTistへ提供した楽曲)というひとつの高みに到達する。
ああ、こんなWikipediaみたいなことを書いてぼくはいったい何が言いたいのか。
『ぼちぼち銀河』に“旅行”という曲がある。どこへ連れて行かれるのかハラハラしつつも来て良かった、となる柴田さんのメロディーは、なるほど旅行そのものだなと思う。と同時に誰かが言っていた「旅行と人生はとても似ている」という言葉も思い出した。
帰りたいでしょ / だけど帰れないんだよ / うっすら気づいてるけど / それでも来たでしょ- (“旅行” / 柴田聡子)
話したいことを話そう / 思いつくまま話そう / 全部話せなくてもいいし
柴田聡子のこれまでの10年間以上にこれからの10年間が楽しみでしょうがない。『ぼちぼち銀河』を聴いてますますその思いを強くしている。