Text by 山元翔一
Text by アボかど
ヒップホップとスケートボード、このふたつのカルチャーが親密な関係にあることはいまや疑いようがない。
超大物ラッパーLil Wayne(リル・ウェイン)はスケートボードに入れ込んでいることが知られ、東京オリンピックで金メダルを獲得したスケーターの堀米雄斗とともにミュージックビデオを撮影したことも報じられた。
ヒップホップとスケートボードの良好な関係は、ミュージックビデオや映画作品にも見いだすことができ、近年では映画『mid90s』(2020年に国内公開)がその代表格だろう。
もちろん、ジャズやロックにはじまり、ヘヴィメタルやハードコアパンクにラップメタル、エレクトロニックミュージックをはじめとして、スケートボード自体が音楽と親和性の高いカルチャーではある。しかしスケートボードと音楽の関係において、現在進行形でもっとも注目すべきものといえば、それはやはりヒップホップと言っていいだろう。両者は、いかにして接近して、関係を深めていったのか?
ドキュメンタリー『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』が今年10月に公開を控えるなか、1990年代から2010年代までの主要なトピックを取り上げて、ヒップホップとスケートボードの関係をライターのアボかどに振り返ってもらった。
現代屈指のスーパースター、Beyoncé(ビヨンセ)がリリースしたニューアルバム『RENAISSANCE』は、すでに今年を代表する一枚になりそうな風格を纏っている。
ハウスを筆頭にさまざまなダンスミュージックの要素を導入した同作は大きな話題を集めており、サンプリングの多さもあってクレジットされているソングライターの人数が非常に多いこともトピックのひとつになっている。
そのなかでも一部のヒップホップマニアのあいだで注目を集めたのが、“I’M THAT GIRL”でのTommy Wright III(トミー・ライト3世)の名前だ。
メンフィスで1990年代から活動するベテランラッパー / プロデューサーのTommy Wright IIIは、所属レーベルとのトラブルや服役などにより、同郷で同程度のキャリアを持つThree 6 Mafiaらほど注目を集めることはなかった。
しかし、その作品の数々は一部のマニアの間で密かに高い評価を獲得し、2011年にスケートボードブランド「Shake Junt」が公開した動画で楽曲が使用されたことをきっかけにその熱気は噴出した(*1)。
Tommy Wright IIIはその後、Diplo(ディプロ)率いる「Mad Decent」のイベントでヘッドライナーを務めるまでに人気を拡大。
Three 6 Mafiaメンバーの活躍(※)、1990年代のメンフィスヒップホップを再解釈するような動きもあり、その波は2010年代を通して徐々にメインストリームにも浸透。そして「Shake Junt」の動画から11年から経ったいま、Beyoncéの楽曲でTommy Wright IIIの楽曲“Still Pimpin”がサンプリングされるまでに至った。
このようなメンフィスヒップホップの成長も現行シーンの重要トピックのひとつだが、近年の音楽シーンのトレンドとしてより大きな存在感を放っているのがポップパンクリバイバルだ(※)。
そもそもポップパンクもスケートボードと距離の近い音楽で、スケーターのあいだで人気の高いストリートブランド「VANS」が主催するパンクとスケートボードのイベント『Warped Tour』など、そのつながりを示す例は多く挙げられる。現代のポップパンクリバイバルの重要プロデューサー、トラヴィス・バーカーもスケートボードゲーム『Tony Hawk's Project 8』(2006年)でキャラクターとしても使用できるなど、スケートボードとの関係は深い。
ポップパンクリバイバルとメンフィスヒップホップ。一見まったく異なるように見えるこのふたつだが、両者の背景には共通してスケートボードカルチャーが存在していることがわかる。
ヒップホップとスケートボードの関係が深まりはじめた1990年代において、もっとも象徴的なアーティストといえばBeastie Boysが挙げられる。
Beastie Boysはミュージックビデオでスケートボードのシーンを取り入れたほか、アートワークでもスケートボードを映していた。1992年リリースの代表作『Check Your Head』のアートワークでは、音楽とスケートボードの両方の分野で活躍するフォトグラファーのグレン・E・フリードマンを起用し、そのスケーターとしてのアティチュードを強く示した。
また、代表曲“Sabotage”のMVを手がけるなどBeastie Boysと親交のあった映画監督のスパイク・ジョーンズは、Beastie Boysのスタジオで開かれたパーティをきっかけにスケートブランドの「GIRL」を立ち上げている。Beastie Boysのスケートボード文化への貢献は、非常に大きいものがあるだろう。
なお、Beastie Boysは音楽的にもヒップホップとパンクをつなぐようなスタイルで、近年のMachine Gun Kelly(マシン・ガン・ケリー)のようなスタイルの先駆けと言えるかもしれない。
こうした事例もありながら、ヒップホップとスケートボードの本格的な接近が目立っていったのは2000年代に入ってからだった。
2000年にリリースされたスケートボードのゲーム『Tony Hawk’s Pro Skater 2』(国内発売は2001年)のサウンドトラックにはラップメタルなどと混じってヒップホップの楽曲も収録。UKのラッパー / プロデューサーのWu-Lu(ウールー)がRolling Stone Japanのインタビューで同ゲームからの影響を語っているように、スケーターのあいだにさまざまなジャンルを並行して聴く趣向の形成を後押しした(*2)。
同シリーズはその後もたびたびヒップホップの楽曲をサウンドトラックに使用し、スケートボードとヒップホップをつないでいった。
一方ヒップホップのメインストリームでは、1990年代後半から人気を集めはじめた2人組プロデューサーユニット、The Neptunesの活躍があった。The Neptunesのファレル・ウィリアムスはスケーターとしても知られており、「Skateboard P」という名前を名乗ることもあった。
2003年にリリースしたファレル・ウィリアムス名義のヒット曲“Frontin’”のMVは、スケートパークで撮影したシーンを導入。プロスケーターのテリー・ケネディもカメオ出演した。
また、The Neptunesがプロデュースし、ファレル・ウィリアムスが客演したSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)の2004年のヒット曲“Drop It Like It’s Hot”のMVでもスケートボードのシーンが確認できる。ファレル・ウィリアムスのヴァースではSkateboard Pを名乗るラインも登場し、そのスケートボード愛が打ち出されている。
さらにファレル・ウィリアムスは、2005年にはテリー・ケネディ、実弟のケイトー・ウィリアムスとともにスケートチーム「Ice Cream Skate Team」を結成。2006年にはスケートビデオ「Team Ice Cream Vol.1」を発表するなど、2009年の解散まで精力的に活動した(*3)。
2006年にはファレル・ウィリアムスとも親交のあったLupe Fiasco(ルーペ・フィアスコ)がスケートボードをテーマにしたシングル“Kick, Push”でブレイク。
The Neptunesの作風と通じる音楽性を持つベイエリア発のムーブメント「ハイフィ」のシーンからも、VANS賛歌を発表するなどスケーターキャラを前面に押し出したラップグループのThe Packなどが登場するなど、スケートボードとヒップホップはこの頃にさらに接近。
スケートボードとヒップホップの距離が近づくのと比例して、トラヴィス・バーカーのヒップホップ仕事も増加していき、ハイフィの代表格、The Federationとも“Black Roses”(2007年)で共演。2009年頃には当時人気絶頂にあったLil Wanye(リル・ウェイン)との制作も報じられた。
そのLil Wayneも2010年頃にはスケートボードをスタート。Lil Wayneはのちにスケートショップをオープンするなど、ファレル・ウィリアムスと並んでヒップホップ界のスケートブームを牽引していった。
2010年前後には、西海岸からスケーターとしての側面をしばしば打ち出していた大型コレクティブ、Odd Futureがブレイク。中心人物のTyler, the Creator(タイラー・ザ・クリエイター)は自身が運営するストリートブランド「GOLF WANG」でのスケートデッキの制作や、VANSとのコラボなどを行なってきた。
また、Odd Futureはスケートボードショップ兼ブランドの「Supreme」の服を好んで着用し、後にブランド側が正式に衣装提供やモデルとして起用するなど、Odd FutureはSupremeの広告塔としてその人気の上昇に貢献した。なお、Tyer, the Creatorはファレル・ウィリアムスからの影響を常に語っており(*4)、ここでもその存在の大きさが感じられる。
ほかにもYelawolf(イェラウルフ)やWiz Khalifa(ウィズ・カリファ)など、この時期に登場したラッパーにはスケートボードを楽しむラッパーが多くおり、こういった時代の流れのなかで、Tommy Wright IIIはブレイクを掴んだというわけだ。
また、「DGK」や「Zoo York」といったスケーター系のブランドとラッパーのコラボもこれまでに多く見られていた。ヒップホップの影響が強いストリートブランド「LRG」がスケーターとコラボするなど、ファッションの面でヒップホップとスケートボードの文化は相互に交流しながら発展・人気を拡大していった流れがあるのだ。
こうしたことからわかるように、スケートボードとヒップホップは、お互いに歩み寄りながら進んできたのだ。
近年ではラッパーのRich The Kid(リッチ・ザ・キッド)がスケートボードのVlogを更新し、スケーターラッパーレジェンドのLil Wayneともコラボ作を発表。日本のスケーターの堀米雄斗ともMVを撮影するなど、スケートボードとヒップホップの密接な関係を示していた。
ベテランラッパーのGhostface Killah(ゴーストフェイス・キラー)は、「Karmaloop TV」のインタビューで「俺のなかではスケートボードとヒップホップは同じものだ。ヒップホップは生き方で、生活のひとつ。歩き方から服の着方、話し方にまで表れる」と話している。
スケートボードは単なる路上の遊びではなく、ファッションや音楽などさまざまな分野と結びついているカルチャーであり、それはヒップホップともたしかに共通点が多い。そしてスケーターのコミュニティーによって過去の音楽が再発見され、アーティストたちのクロスオーバー感覚が培われてきた流れがある。これからもヒップホップとスケートボードの関係には要注目だ。