Text by ISO
Text by 今川彩香
メキシコの熱い日差しと汗ばむ肌、気だるげに積み上がる吸い殻、夜の狂騒と街の明かり……。よれたスーツに身を包んだ中年の主人公は、若く美しい青年と出会い、恋焦がれ、やがてともに南米へと旅に出る。
『君の名前で僕を呼んで』(2017年)、『チャレンジャーズ』(2024年)などで、さまざまな「愛」のかたちを描いてきた、ルカ・グァダニーノ監督の最新作『クィア/QUEER』が公開された。主演の中年男性を演じるのは、『007』シリーズで6代目ジェームズ・ボンドとして活躍したダニエル・クレイグ。本作では、そのスマートでダンディな「ボンド」の印象とは打って変わった役柄を見事に演じている。
今回は、そんなダニエル・クレイグに、映画ライターのISOが行ったインタビューをお届けする。出会って20年、待望のルカ・グァダニーノ監督との初仕事はどうだった? 本作における「クィア」という言葉をどう捉えた? 異色のアドベンチャーロマンスを、ダニエル・クレイグの言葉から紐解いていく。
—『007』シリーズのイメージを一気に覆すような演技に圧倒されました。若く美しい青年に恋し、疎まれても渇望する姿や表情は本当に素晴らしかったです。歳とともにさまざまな経験を経ながらもどこか無垢な一面を持つウィリアム・リーという複雑なキャラクターをどのように捉えたのでしょうか?
ダニエル・クレイグ(以下、クレイグ):複雑な人間であるからこそ、リーという役に惹かれたんです。おっしゃるとおり、彼には無垢な一面もありますね。リーとアラートンにはかなりの年齢差がありますが、感情面では年上のはずのリーのほうが若いとすら思います。リーというキャラクターのそういった側面は演じるうえでとても惹かれましたし、彼の不器用さや、手に入らない何かをひたすらに渇望している姿は、人生のすべてが上手くいっていなかった10代の頃の自分を思い出させました。

©2024 The Apartment S.r.l., FremantleMedia North America, Inc., Frenesy Film Company S.r.l. © Yannis Drakoulidis
ダニエル・クレイグ
1968年3月2日生まれ、イギリス、チェスター出身。
—クレイグさんのなかにもリーと共鳴する部分があったと。
クレイグ:俳優というのは、演じるキャラクターに自分の一部分を落とし込み、反映するものだと考えています。意識的にやっているというよりかは、どうしてもそうなってしまうのです。
誰かを演じるためには、この世界で培ってきた知識や経験を駆使していく必要があるので、今回も演じるなかでリーと自分の経験が自然と結びついていきました。他者を強く求める気持ちや、愛を探求する姿、あるいは拒まれてしまう痛み、そういった彼のすべてに共感しましたね。
—資料によれば、グァダニーノ監督は20年前にクレイグさんとお会いして以降、一緒に仕事することを希望していたそうですね。本作でついに長年の願いが叶ったわけですが、グァダニーノ監督とのお仕事はいかがでしたか?
クレイグ:おっしゃるとおり、ルカと初めて会ったのは20年前です。そのときから「いつか一緒に仕事をしよう」と話をしていましたが、それがこのような作品として実現するとは夢にも思ってもいませんでした。ルカはとても賢く、博識で、いろんなものを与えてくれる素晴らしい監督です。俳優だけではなく、周囲にいるすべての人から最高のパフォーマンスをつねに引き出すことを追求していました。
彼は非常に寛大でもあり、自分が何を必要としているかを明確に見据えています。皆を率いる監督という立場からその場をコントロールしながらも、参加している誰もがルカに映画のアイデアを気軽に共有できるような雰囲気にしてくれるのです。ルカの喜びや包み込むような優しさ、そして一緒に過ごした楽しい時間を、私はこの映画の現場から持ち帰ることができました。
さらに今回はドリューやジェイソン、レスリー(※)をはじめとする、素晴らしい俳優たちとも一緒でしたからね。私だけでなく、みんな演じることへの強いこだわりを持っていました。演じることが我々の役割であり、そのために集まっているわけですから当然ですよね。ルカがそんな我々の背中を押してくれたおかげで、これまで経験してきた現場のなかでもっとも純度高く「演じる」ことができたのではないかと思います。

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—ウィリアム・S・バロウズがその人生を赤裸々に綴った自伝的小説『Queer』が原作ですが、バロウズについてはもともとよく知っていたのですか?
クレイグ:本作への参加が決まる以前から『Queer』と同時期に執筆された『ジャンキー』は読んでいたので、バロウズのスタイルは知っていました。ポップカルチャーと彼の関わり、とりわけパティ・スミスやNirvanaのカート・コバーンが惹かれたようなアイコン的側面についてはもちろん認識はしていましたし、写真でその姿を見たこともありました。ただそれほど深い知識があったわけではなく、彼の書籍にもあまり触れてはこなかったんです。『Queer』を読んだのもジャスティン(・クリツケス)が書いた脚本を読んだあとなので、もともと原作の内容についてはほとんど知りませんでした。

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—ユージーン・アラートンという魔性の魅力を持つ青年を体現したドリュー・スターキーさんとの共演はいかがでしたか? 彼は300人もの俳優のなかから抜擢されたそうですね。
クレイグ:ドリューは大変なプロセスを経て、ユージーンの役を獲得しましたね。実施したオーディションの映像をルカに見せてもらったときに、私もドリューの姿を見て「彼こそ求める人物だ」と言ったことを覚えています。
劇中でリーとアラートンがヤヘ(幻覚性植物)を摂取してトリップ状態になるというシーンがありますが、ルカはその場面で2人がダンスするという素敵なシーンを考案していて。撮影に入る前にそれを聞いて、私はお互いの内部に入り込み、絆を深めていくようなダンスを思い浮かべたんです。そして、それを実現するために、私たちはダンスを学ぶ必要がありました。だから、ドリューと初めて会ったのはニューヨークのダンススタジオ。そこで挨拶をして、振り付けのとおりに一緒に床を転げ回りました。その経験を経たことで、私たちはすぐに仲良くなることができたんです。

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—タイトルにある「クィア」という言葉をリーは幾度も口にしますね。それは性的マイノリティを包括する意味合い以上の含みがあったように感じました。この「クィア」という言葉がこの映画で果たす意味について、どのように考えられますか?
クレイグ:正確な翻訳はわかりませんが、「クィア」という単語はイタリア語で「Diverso」という単語にあたるのではないかと聞きました(※1)。「Diverso」とは「Different=異なる」という意味で、必ずしもセクシュアリティに関わるものではないと思っています。
この物語は「魂と肉体の分離(※2)」を描いていると個人的に感じていて、それはおそらく本作の重要な鍵となっている。性的な欲望というのはとても人間的なもので、つねに、それこそいまインタビューをしているこの瞬間にも起きていることです。当たり前のように存在していることですが、その複雑さはたとえ高名な心理学者であろうと真に理解することはできないのではないかと思います。なぜなら、私たちのセクシュアリティというものは、その人だけのものであり、他の誰のものでもないから。本作では同性愛が違法であった1950年代のアメリカを去った薬物依存症のリーが、メキシコシティのコミュニティの一部となります。もしかするとリーとともに過ごすそのコミュニティの男性たちは自分がゲイであるかどうか確信を持っていないかもしれないし、困難に直面しているかもしれない。そういった感覚と「魂と肉体の分離」はつながっているように思うのです。
「クィア」という言葉はもともとは蔑称として使われていましたが、今では性的マイノリティの人々が自分たちを示す美しい言葉として取り戻しました。

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—リーとアラートンが身体を交わすシーンは情熱的かつロマンチックで、リアリティにも溢れていました。撮影時のケア体制も含め、この部分をどのようにつくり上げていったか教えてもらえますでしょうか?
クレイグ:映画を撮影するうえで、安全性はつねに最優先で確保しなければいけません。その点、今回はとても安全な現場で、安心して撮影に挑むことができました。スタッフも俳優もみんな大人なので、お互いを気遣い尊重しあっていましたよ。そういった安全性は前提として、さらには演技を楽しむことも必要だと思っています。なので現場では笑いが絶えませんでしたし、ドリューと私が本当に笑いあっている姿が劇中のベッドシーンで使われていたりします。脚本には書かれていませんでしたが、ルカはその場面を使ったほうが真実味が出ると考えたのでしょう。
結果的にそのシーンは本作にとってとても重要な意味を持ちました。というのもアラートンは、リーと向き合うことにあきらかに消極的ですよね。不安を抱いているし、少しよそよそしくもある。

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—トレント・レズナー&アッティカス・ロスによるオリジナルスコアだけでなく、さまざまなアーティストの楽曲の使い方も素敵な作品でしたね。グァダニーノ監督は「映画のキャラクターを中心に音楽を考え、演じる俳優たちが曲と対話するようにしたい」と語っていましたが、クレイグさんのなかで印象に残っている楽曲を教えてください。
クレイグ:制作初期の段階でルカから使いたい音楽について教えてもらっていました。完成した映画で流れる音楽を聴くまではすっかりそのことを忘れていましたが。リーとユージーンが初めて一緒になるときに使われているプリンスの楽曲は本当に素敵ですよね。でも、それ以上に印象的なのはやはりNirvanaでしょう。Nirvanaの楽曲が流れるなか、あれほど美しいスーツに身を包んでスローモーションで歩くなんて……誰しもがやりたいと羨むシーンだと思います。俳優にとっての夢のような瞬間でしたね(笑)。
—グァダニーノ監督の前作『チャレンジャーズ』に続き、衣装を担当したジョナサン・アンダーソンによって再現された1950年代の衣装には惚れ惚れしました。ときに着衣を乱しつつも優雅に着こなすクレイグさんの姿が見事でしたが、衣装におけるこだわりを教えてもらえますか?
クレイグ:ジョナサンは天才ですよ。彼とはクランクインするずいぶん前から対話を重ねていました。50年代の逸品に見えるようなスーツをつくるのは不可能なので、50年代のスーツを手に入れようというのが彼の意見だったんです。その風合いは世界一のテーラーやアーティストでも再現することはできません。なぜならスーツには「着慣れた質感」というものがあり、誰かに長年着られることによって生命が宿るから。衣装は一着ずつしか用意がなかったので緊張しましたし、つねに細心の注意を払いながら着ていました。もしコーヒーをこぼそうものなら、替えがないので大変なことになるじゃないですか。幸いそのようなことは起こりませんでしたが。
彼がたしかな技術を持った眼識ある衣装デザイナーということは言うまでもありません。でも豊富な知識と情熱を仕事に注ぐ姿勢こそが、何よりも彼の素晴らしいところだと私は思うのです。

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