Text by CINRA編集部
映画『遠い山なみの光』の原作者カズオ・イシグロのインタビュー映像が到着した。
9月5日に公開される『遠い山なみの光』は、『わたしを離さないで』などで知られる『ノーベル文学賞』受賞作家カズオ・イシグロの長編デビュー作を、『ある男』の石川慶監督が映画化した作品。
インタビュー映像はイシグロが撮影地イギリスで同作と戦争、自身が育った長崎について語ったもの。
原作を書いてから40年が経ち戦後80年となる年に、この作品が日本で公開されることについてイシグロは「適切な時期だと思います。日本だけでなく世界的に節目となる年で、我々は世界が混乱に陥っていた時代があったことを思い出さなければならない。特に若い世代の人たち、戦争が終わって何年も経ってから生まれた日本の人々はそう。今の日本は豊かさだけでなく、安定性を持った偉大な自由民主主義国家のひとつです。欧米諸国が経験してきたような不安定さは経験していないかもしれない。そんな中、この映画は、その平和な日常が当たり前のものではないことを思い出させてくれる」「ほんの数世代前は違いました。当時の日本はとても暗い時代で、恐ろしい世界大戦も経験しました。だから今こそ思い出すべきで、こんなふうにそれぞれの世代が、私たちは幸運なのだと忘れないことが大切だと思う。同時にこの平和と民主主義を守り続けなくてはいけない。
長崎がイシグロにとってどのような存在かについては「私が子供の頃、イギリスでは私が長崎出身と言うと大勢が一つのことを連想しました。原爆です。長崎は“死と破壊の街”だと思われていました。それを聞いてとても不思議でした。私にとって長崎は、希望と明るさの場所だったからです。当時の長崎の雰囲気は、人々が自信を高めていた時期で感嘆と驚きに包まれていたんです。あの頃は毎月のように見たこともない電化製品が登場していました。新しい建物も建てられました。物事がよくなっていると感じていましたし、経済は上向きで人々も明るかった。
原爆について深く考えるようになったのは、もっと大人になってからのことだといい「私にとって長崎は、皆が将来に対して希望を持つ街でした。多くの産業が回復して造船所も活気を取り戻し、全て復興していきました。父はアメリカで研究を行った後、イギリスでの生活を望んでいました。外に目を向ける時代でしたね。長崎は古くから『世界への架け橋』でその伝統は長い歴史に根ざしています。私にとって長崎は『近代への扉を開いていった街』です。現代の日本、そして世界への扉を」と語っている。
さらに「皆さんが石川慶さんのこの映画を観てくださると嬉しいです。
長崎で生まれ、5歳の時にその地を離れたイシグロは長崎で暮らしていた頃の思い出について「よく人は、そんな幼い頃の記憶など残っていないだろうと言いますが、実際にはそうではありません。幼いながらも、心の奥に刻まれた風景や感覚は、むしろ鮮明で、今でもはっきりと思い出すことができます。幼少期に離れた場所だからこそ、その記憶を失わないよう、無意識のうちに守り続けてきたのかもしれません」とコメント。
