本は価値観を共有するツール。TABFディレクターが10年の歩...の画像はこちら >>



Text by 吉田薫



恵比寿の書店・POSTを営む中島佑介さんは、『TOKYO ART BOOK FAIR』のディレクターを務めて今年で10年目を迎える。2015年の就任以来、国際的なブックフェアを目指し、いまでは世界30か国から出展者が集まるイベントへと成長させてきた。



インタビューでは、国際的なブックフェアへの歩みについて、また毎年1つの国や地域に焦点をあて出版文化を紹介する『TABF』の名物企画展示『ゲストカントリー』について語っていただいた。デジタル全盛の現代において、本が「価値観を共有するツール」「手渡せる言語」として機能していること、ブックフェアが単なる販売の場ではなく、人と人の対話が生まれるプラットフォームであることなど、出版とブックフェアの現在地を聞いた。



ー『TOKYO ART BOOK FAIR』(以下、『TABF』)は2009年にスタートして以降、徐々に規模を拡大しています。中島さんがディレクターを務めるようになった2015年から、どのように拡大してきたのか教えてください。



中島佑介(以下、中島):じつはディレクターを担当するようになってから2年ほどは、素人の集まりのようなところが抜けきれず、天王洲の寺田倉庫(2017年)で開催したときに、運営体制があまりにも未熟だったこともあって、会場の方や来場者、出展者の皆様に迷惑をかけてしまったんです。イベントとしての規模も大きくなってきていたので、このままではいけないと思い、1年休んで体制を整えました。



また組織体制だけでなく、会場も変遷の時期でした。神田の「3331 Arts Chiyoda」、そのあとが青山の京都造形芸術大学・東北芸術工科大学、そして2017年に寺田倉庫と徐々に会場を大きくしていったのですが、それでもキャパが追いつかず。会場についてもあらためて整理して考えなくてはいけない時期でした。



そんななか、東京都現代美術館の学芸員の方が興味をもってくださり、東京都現代美術館で開催させていただくことになったのが2019年。組織体制の見直しと、美術館での開催を区切りとして、ちゃんと社団法人化というかたちをとり、徐々にいまの組織に育っていった感じですね。



ー2019年以降、海外の出版社が増えるなど出展者の顔ぶれが変わってきたという印象がありますが、中島さんとしてはどのようなフェアを目指されてきたのでしょうか?



中島:私自身、2015年に江口さん(ブックショップ・UTRECHT元代表)から引き継がせてもらう前は、いち出展者として参加したり来場したりしていました。

2014年以前の出展者は、どちらかというと日本国内を中心に活動されている方が多かったんです。



私はもともとずっと洋書を扱っていて、2011年ころから新刊も扱うようにもなったのですが、当時日本に入ってきている洋書の数が圧倒的に少ないことを、ヨーロッパなどに行って感じていました。



なので、ブックフェアという場所が、いい意味で国際色の豊かな場になれば、日本国内の来場者の方にも、本の幅の広さや表現の豊かさをより感じてもらえるんじゃないかと思いました。国際的なブックフェアの1つとして、『TABF』があるというかたちにできたらいいなというのが、最初のころ思っていたことです。



ー「国際的なブックフェア」を目指すにあたって、基準のようなものはあったのでしょうか?



中島:やはり海外からの出展者が増えたらいいなというのはずっと思っていました。それもヨーロッパやアメリカなどの特定の国だけではなく、アジア、中東、アフリカ、南アメリカなど、本を作っている世界中の人たちが集う場所になったらいいなと。



最初のうちは、私や濱中さん(洋書を扱うブックストア・twelvebooksディストリビューターで『TABF』の運営メンバー)が、つながりのあった出版社に声をかけて参加してもらうことから始めて、徐々に広がっていきました。いまでは30か国ほどから出展してくれていて、割合としても5分の2くらい、もうすぐ半分以上が海外になりそうです。



海外からの認知という点では、例えば『Paris Photo』というイベントにあわせて本を作ろうという潮流が2010年代にすごく強かったんです。そういうふうに、「『TABF』があるからあわせて何か作ろう」とか、各出版社の1年間のスケジュールのなかで重要なイベントの一つに位置づけてもらえるようになったらいいなと思っています。



ーディレクターを務めて10年目になる今年、目指してきたブックフェアにどれくらい近づけていると感じますか?



中島:だいぶ国際色豊かにはなったと思っています。その背景には運営側の、「みんなが満足して帰ってくれるような、楽しいイベントにしたい」という姿勢があるからこそと思っています。



出展者の人からしたらちゃんと本が売れる、来場者の人からしたら普段見ることのないような本に出会える、本を作っている人は買ってくれる人とちゃんとコミュニケーションが取れる。そういうプラットフォームとしての快適さを、メンバー全員がすごく大切にしているんです。



そういった思いが伝わっているのか、出展してくれた方からは「すごくいいフェアだ」と褒めてもらえることが本当に多くて、海外でも口コミで広がっているようです。



例えば今年はオランダの出展者がすごく多いのですが、Roma Publicationsという出版社のロジャー・ウィレムスさんがここ数年出展してくださって、かつすごく満足してくれています。彼はオランダの出版文化のキーマンなので、いろんな人に伝えてくれて。その結果、今年の応募数なのだろうと思っていますね。



ー中島さんがディレクターに就任されてからスタートした、毎年1つの国や地域に焦点をあて出版文化を紹介する企画「ゲストカントリー」についても教えてください。今年のイタリアは、どのように選定されたのでしょうか?



中島:毎回、2年先くらいまでのことを想定しながら、ゲストカントリーをどこにしようかと話をしているのですが、一昨年くらいに初めて参加してくれたイタリアの出展者の方から、「すごく豊かな出版文化が発達している」という話を聞きました。その話がきっかけで、今年はイタリアにすることが決まりました。



ー展示内容についても詳しく教えていただけますか?



中島:今回は4つの展示で構成されているのですが、メインとなるのは2つです。



1つ目は『YES YES YES Revolutionary Press in Italy 1966–1977』。1966年から1977年までのイタリアの出版物、特にアンダーグラウンドの出版物の系譜を紹介した同名書籍をベースに構成された展示です。

1960年代後半から70年代は世界的に政治的混乱期で学生運動が盛んだった時期でもあります。そういう時代背景のなかで生まれたZINEや出版物を取り上げています。



現代と比較して、当時はやはりインターネットもなかったので、情報を広く拡散する手段として本や印刷物は一番身近にあって、かつ有効な手段だったと思うんですよ。なので出版文化としてみると、現代とは役割が全然違うと思います。でも、いまもSNSで自由に発信できているようで、政治に関する発言はブロックされることも普通にありますよね。言論や発信の部分では、いまの私たちにも通じる部分があると考えています。



本は価値観を共有するツール。TABFディレクターが10年の歩みと出版文化を語る

Rosso, anno III, nr. 10-11, 1976



中島:2つ目は『OUT OF THE GRID: Italian Zine 1978–2006』。これも同名書籍をベースに構成した展示で、1978年から2006年にイタリアで発行されたZINEを批評的に紹介しています。政治的高揚期が落ち着いたあと、インターネットが普及するまでのセルフパブリッシングの歩みがわかる展示です。



最近、ZINEが本当に盛り上がりを見せていますが、同じZINEでも時代ごとに役割やあり方が全然違うと感じます。この時代の人たちは、自分の価値観を広く伝えるツールとしてZINEを使っていますが、いまのZINEブームは私としてはSNSのカウンターカルチャーのように思っていて。否応なしに広く伝わってしまうSNSと違って、一定のコミュニティに深く伝えることができる。

ZINEを制作することのスタート地点が違いますよね。この展示を見ることで、翻って現代の出版文化を考えることにもつながるといいなと思っています。



「1966-1977」「1978-2006」と2つの展示は年代的に連続していて、40年の出版文化を通して見ることができるかと思います。見た方にとって、現代にまで続く出版文化の変遷を知る機会にしていただけたら嬉しいですね。



本は価値観を共有するツール。TABFディレクターが10年の歩みと出版文化を語る



ーたしかに、ここまで長い時間軸で出版文化を見る機会はなかなかなさそうです。中島さんは、出版文化の40年を紹介することの意味や価値を、どのように考えていますか?



中島:最近、SNSで流れてきた発信で印象に残ったのが、「いまはどんな音楽でも簡単に聴けるようになったけれど、アクセスはしやすくなった一方で、文脈というものがなくなっている」という話でした。これは本や芸術全般についても言えることだと思っています。



少し批判的に聞こえるかもしれませんが、あるものを発表したときに、作り手自身もそれが何に影響を受けてできているのか理解していない作品が増えている気がします。やはり、歴史や過去の表現をしっかり知ったうえで、それをどう咀嚼するか。それが直接的な表現として表れなくても、自分の作品にどうつながっているかを意識しているかどうかで、表現の解像度が変わってくると思うんです。



なので、歴史を知ることや、どういう系譜にあるのかを感じてもらうことで、例えば「日本の出版文化の70年代はどうだったんだろう」とか、「他の国のこの時代はどうだったんだろう」といった新しい興味を誘発するきっかけになればいいなと思います。



ー出版文化についてお話しいただきましたが、現代のアートブックフェアの役割についてはどうお考えですか?



中島:この数年、本に求められている役割の1つとして、価値観の共有という部分が大きくなっていると感じています。

特に小部数の出版物や商業目的ではない出版物は、自分の価値観や「いい」と思う表現を知ってもらうためのツールとしての側面が強い。『TABF』では、実際にそれを作っている人がその場にいて、本という共通する価値観を通じてコミュニケーションを取れる。本が1つの言語のような役割を果たしていると感じますね。



やはり、物質として存在することの強みは大きいと思います。もちろんインターネット上で画像を見て伝わる部分もありますが、物として存在し、それを交換したり手渡したりできる。そういうリアルなコミュニケーションとの親和性の高さは、いまだからこそ際立っているのではないかと思います。



なので、ただ新しい本を探しに来ている方もいらっしゃると思いますが、それ以上のもの、一人一人との出会いや対話を『TABF』に期待されている方が多いのではないでしょうか。



ーありがとうございます。最後に、来場者の方々へメッセージをお願いします。



中島:私は普段恵比寿でPOSTという本屋をやっていますが、ブックフェアには店で会ったことのない方がたくさん来てくださいます。おそらく、普段アートブックに触れる機会が少ない方も、「面白そうだから行ってみよう」という感じで来てくれているのだと思います。入口になる場としてブックフェアが機能したらいいなと思っていたので、とてもありがたいですね。



ただ、アートに普段触れていない方ほど、「表現の意味を理解しなきゃいけない」と構えて見てしまいがちなのではないでしょうか。でも、そんなことはないと思うんです。あるページの絵の色が好きとか、何か自分の感覚を刺激してくれるものがあって、それに惹かれたのであれば、ぜひ買ってほしいです。あまり構えずに、自分の直感を信じて楽しんでもらえたら、きっといい出会いがあると思います。



私自身も、最初に本に興味をもったときは「このグラフィックがかっこいい」というだけでした。そこから「この本を作っているアーティストは誰だろう」と調べて、展示に行ってみたり、デザイナーを知ったり、どんどん広がっていきました。そういうきっかけをブックフェアで見つけてもらえたら嬉しいです。

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