性暴力事件は、もっと加害者を紐解くべき。『復讐が足りない』冬...の画像はこちら >>



Text by 今川彩香



とある小さなIT企業。休憩中の女性に「電話、出れる?」と上司。

「なんで私なんだよ! お前が出ろーー!」と叫び、箸を上司の首筋に突き立て、そのまま怒号とともに走り去る——という妄想をしてから、女性はしぶしぶ電話対応をする。



漫画『復讐が足りない』の主人公は暴力性を胸にしまい、善良に生きてきた。そんななかで、会社で起きた性加害の事件を知り、行動力が爆発する。本作は、小さな会社のなかで起きた性加害 / 被害を、第三者である主人公の目線を通して描いていく。



加害者、被害者、第三者——それぞれの立場と状況の描写は、現実のどこかで見たようなリアリティを感じる。著者の冬野梅子にインタビューすると、そこには、会社員時代の経験に基づく強い思いがあった。



連載「物語と沈黙のまわりで—性被害と加害をめぐる社会」1回目は、『復讐が足りない』冬野梅子へのインタビューを通して、性被害 / 加害事件が身近にあったとき、第三者には何ができるのか、考えていく。



―『復讐が足りない』は性暴力がテーマになっていますが、そのテーマを選んだ理由を教えてください。



冬野梅子(以下、冬野):もともと勤めていた会社で、性加害と思われるようなことがあって、被害者が辞めてしまったんです。会社のなかでは被害者へのバッシングのほうが強かった。そして、この2年くらい、年末になると大物芸能人の性加害疑惑が報道されていましたよね。報道をめぐって女性側へのバッシングも目にしましたが、私が働いていた中小企業と同じ構造だと、思い出すことが増えて。

ずっと気になって考えていたことだったので、一度、作品にしようと思いました。



性暴力事件は、もっと加害者を紐解くべき。『復讐が足りない』冬野梅子に聞く【連載:物語と沈黙のまわりで vol.1】

あらすじ:小さなIT企業に勤める復田朱里。心の奥底に秘めた暴力性は隠したまま、社会に適応し善良に生きている。そんな中、同僚の女性が退職した理由が社内における「性被害」だったと知らされ、くすぶっていた心と体の炎が燃え上がっていく——。



―その会社員時代、冬野さんは社内で噂を聞く、という経験をされたのでしょうか。



冬野:自分のいた部署でなくても、それぞれ社員の顔がわかるくらいの中小企業だったので、この人とこの人のあいだでそういうことがあったんだ、というのがわかったり、噂を聞いたり。



私はその出来事をきっかけに会社を辞めたんです。「被害者の言うことは全部嘘なんだ」みたいな噂話が強くなっていき、しかも誰も止めるわけではなく、加害者と言われている人はずっと会社に残っている。たぶんいまも出世とかしているんじゃないかと思う。そういう人と毎日顔を合わせて「おはようございます」と言うのが、本当に無理になっちゃって。退職間際は会社の人とほとんど口も聞かずに、急に全部嫌になって辞めちゃいました。



―冬野さんにとっても、とても大きな出来事だったんですね。



冬野:そうですね。被害者に味方する人がまったくいなくて、どう考えてもおかしいわけですよ。交際関係にあったとも読み取れないような人たちでしたし、実際にそのような関係はなく、なのに被害者は孤立していき、これを「性被害じゃない」って思い続けるのが厳しい。そんな状況でしたね。



―『復讐が足りない』の主人公・復田さんは、性暴力の事件には直接関わっていない「第三者」です。その位置付けは、自身の経験から表現したいことがあったからでしょうか?



冬野:私は直接的な被害者になったことがないので、被害者の気持ちを代弁するのは難しいと思いました。私が経験した立場は、第三者としてただ傍観するという立場。「おかしいな」と思いながら、ただ見ている——「あの人、辞めちゃったんだな」という感じで。主人公も私も被害者ではないし、ある意味で加害者でもあると思ったんですね。



―「ある意味での加害者」というのは、何もしなかったことや、傍観していたことから?



冬野:そうですね。「ちょっとひどいよね」で止まらずに、たとえ無視されても明確に「こうしましょう」と言えば良かった。周りの人たちが沈黙することに対して、もうちょっと責任を感じるべきではないかと思いました。

当時は私も、声をあげるのが遅くなってしまった。



いつも繰り返し考えるんですが——こういうことが起こる前に、例えば女性同士が仲が良かったら違ったんじゃないか、孤立させなかったら違ったんじゃないか、とか。未然に防ぐ方法って本当にたくさんあって、それを一つもしなかったら、「自分は被害者ではないし、加害者でもない」と言うことはできないんじゃないかな、と思うんです。



―物語のなかでも、主人公・復田さんは、事件やその対応について上層部に抗議をするシーンがありますが、同じように冬野さんも動いたんですか?



冬野:私の場合は退職を決めてから、その理由として「会社にはこういう対応が足りなかったと思います」といった内容を長めに書いて、提出しました。被害者へのバッシングをはじめ、ハラスメント講習さえも何もやらなかったことに対して、会社としての対応がなっていなかったと思うから、辞めたいと思います、と。でも会社としても、もう辞める人から言われても、いちいち重く受け止めないというか……。「ごめんね」「大変だったよね」みたいな感じで、響いているようには感じませんでしたね。



―『復讐が足りない』が連載されている「コミックDAYS」にはコメント機能があり、さまざまな反応が寄せられていますね。どんなふうに受け止められていますか?



冬野:連載をはじめた最初の頃、「性被害を受けたことがある」という書き込みが想像よりも多かったんです。経験を思い出すからこの漫画を読めない人もいるでしょうし、たまたまこの漫画を読んでいる人に搾られたなかでこれだけの人数だと考えると、やっぱり多い。ショックで、辛かったです。



―そんな読者に対して、何か思いはありますか。



冬野:周囲が不甲斐なくて申し訳なかった、と思います。性被害は女性に対する偏見を利用している側面もあると思うので、少しでも減らしていくことが社会人の使命でもあると思うんです。それが足りなかったということだと思うので、大人として申し訳ないと思います。



―復田さんには、冬野さんの会社員時代の行動や経験も落とし込まれながら、「こうすれば良かった」という思いも反映されているのでしょうか?



冬野:そうですね……。でも、性被害をテーマにするのであれば、本当はもっとひねりのない物語を描くべきだとは思っていたんです。派手な物語にしていい題材ではない——社会がまだそうなっていないというか。ただ被害者を掘り下げるのは気持ちとして難しくて、加害者を掘り下げたいという気持ちがありました。



主人公には、加害者を追体験させたいという思いもありました。主人公を通して、性加害をした加害者って、どういう人だったんだろう、というのを見てほしい——性被害では、もっと加害者にフォーカスするべきではないか、という思いもあるからです。



性暴力事件は、もっと加害者を紐解くべき。『復讐が足りない』冬野梅子に聞く【連載:物語と沈黙のまわりで vol.1】

2話より



―たしかに芸能界の性加害のニュースなど、ネットでは被害者を探し特定しようとする動きもよく見られますよね。加害者にフォーカスされるべき、そういうふうに考えられるようになったのは、どんな経緯があったのでしょうか。



冬野:会社などでも、性被害を受けた人がフォーカスされるんですよね——「嘘を言っているんだ」「会社も休みがちで迷惑しているよ」とか。

被害を受けた人に視線が集まっていくのですが、どう考えても「隣の部署のあの人が、やばい人の可能性があるってことじゃん」と、そっちのほうが引っかかっていて。でも誰も触れないんですよね。



そんななかで性被害を受けた人の本を何冊か読むようになって、加害者がなぜ加害をするのか、という議論までたどり着いていないという問題が指摘されていて。殺人事件だと「殺人犯ってどんな人なの?」という反応が大きいのと一緒で、性犯罪も本来であれば「加害者ってどんな人なの」「加害者は何で性加害をしたの」という方向にあるべきだと思う。加害者はどんな立場で、どういう状況で、どんな動機で加害をしたのか、ということは、被害を未然に防ぐうえでも共有されるべきだと思いますし。



―『復讐が足りない』では、登場人物それぞれの立場の状況や感情の描かれ方にリアリティを感じます。例えば、加害者である北広は、社内では評価が高く、人気者です。性犯罪者は他の犯罪者と比べたとき、社会的に地位が高かったり、弁舌が立ったりする傾向にあるそうですが、そういった背景を落とし込んだのでしょうか?



冬野:会社員として働いていたとき、そういう噂があったタイプの人は信頼が厚い男性が多かったんです。家族も信じないだろうと思えるくらい「完璧なパパ」だったり、上司からも信頼されていたり。そんな人の女性関連の話題が広がって、結果として女性のほうが辞めてしまう——「噂では不倫らしいよ」と言われて、消えていく。不倫なわけがない、そんな違和感のある状況でも。だから、子どもがいて、いいパパで、仕事も頑張っていて、上司からも信頼されている——この作品の加害者像は、そんなふうに出来上がりました。



―性加害を恋愛の問題にすり替えようとする人の描写もありました。これも冬野さんの問題意識が反映されたのでしょうか。



冬野:そうですね。おそらく被害者側がそんなふうに言うわけがないので、きっと加害者側が言っているのだろうとしか、私には思えないんですよね。



そもそも「泣いている女性の話は信憑性が弱い」というジェンダーによる偏見がまずあると感じていて、一方で、泣いても怒ってもいない無表情の男性が「いや、僕たちじつは不倫していて」と言っただけで、周囲は女性側が振られた腹いせで何かやり返そうとしているんだ、というふうにつなげているようにも思うんです。そして、影響力が強い加害者側の言い分が独り歩きしていく。



そこに恋愛がなくても、具体的に付き合っていたような証拠がなくても、「女性が嫉妬や恨みで仕返しして、なおかつ示談のお金目的でやったんだ、全部腹いせなんだ」というストーリーがあまりに共有されすぎて、変な感じです。そういうの、誰がつくったんでしょうね。



―自分のすぐ隣に被害者・加害者がいるかもしれない——本作は、そのことを強く感じさせます。「加害者にフォーカスする」ということ以外に、大事にしている視点はありますか?



冬野:周りの人——会社でいえば私含め第三者だった人、ひいては社会にいる人を描くということです。本当はその人にも責任があるはずなのに、被害者を批判することによって、それを免れている。「落ち度があったから性被害にあった」と言えば、会社や社会の問題ではなく、個人の問題に収束されますから。



予防策はあるんです。例えば、周囲の人間が、軽いセクハラの時点でドン引きするとか、相談窓口として第三者機関をあらかじめ提示しておく、とか。「性被害があれば、ここに電話しましょう」と整備しておくことは、性被害が起こるという前提がまずありますよね。会社内で、ひいては社会のなかで、性被害は起こりうるという前提で、起こったらどうするか、周りの人はどう動くべきか、そこまで示されていれば、それ自体が抑止力になり、そもそもの被害が起こりにくくなるのではないでしょうか。



だから、「周りの人=第三者」の存在って、本当はすごく大事だと思うんです。周りの人の態度によって、性被害を助長することも大いにあると思います。男女関係なく「性の話」って、会社で聞きたくないじゃないですか。性被害と聞いて反射的に拒否感が生まれるのはわかるのですが、性的な話ではなく重大な人権侵害というイメージが共有されると少しは相談もしやすくなるのではないかと思います。



―例えば性暴力の問題に関心がもともとある人も、いまはまだない人も、多様な人に届けることができるのが、カルチャー、ないし漫画(物語)の力だとも思います。読者に向けて、どう思ってほしいとか、どう変わってほしいという思いはありますか?



冬野:やっぱり第三者ですよね……抑止力を持っている第三者、という自覚があったほうがいいと思いますし、そうなってくれたらうれしい。本当に興味がない人や、「こういうのは被害者が嘘をついている」という考えが真っ先にくるような人は、そんなに大きく変わるということもないのかなと思いますが。そもそも、自分が被害者になるかならないかということも、偶然のようなものであり、誰でもなりうることなんですよね。



常日頃から「同意がない」のは性加害であり、性犯罪だよね、という前提をしっかり共有していくこと——被害者の方々が声を上げて不同意性交罪ができて(※)、同意の有無という点に焦点があたりました。「同意を取る / 取らない」というのが本当に大事なところで、そこを起点にするだけでも全然変わってくると思います。



性暴力事件は、もっと加害者を紐解くべき。『復讐が足りない』冬野梅子に聞く【連載:物語と沈黙のまわりで vol.1】

6話より



―性加害 / 性被害を取り巻く問題で、まずは一番に解決しなくてはいけないというのは、どこだと思われていますか。



冬野:性犯罪では、裁判で有罪になると世間は加害者を批判しますが、無罪になると「(被害者が)嘘を言っていたんだ」とがらりと反応が変わりますよね。



ただ性犯罪って一概に有罪 / 無罪がすべてを決定付けているわけではない、ということがもっと知られるといいのかなとは思います。そこに被害があったとしても、どうしても具体的な証拠がなくて無罪になる場合もあって、それをもって「何もなかった」ということではないじゃないですか。



—無罪で本当に「何もなかった」ケースも存在する一方で、「何かがあった」けれど無罪、そもそも不起訴になるケースもありますよね。事件の性質上、密室で目撃者がいないという傾向や、被害の直後に病院や警察に行かないと残せない証拠もあり、物的証拠が残りにくいという面もあります。



冬野:それでも私たちは、まったく無力というわけではない、何もできないわけではない、という考えかたが大事だと思います。そこに被害があって無罪が下されたとしても、どんな抑止のルールをつくっていけるのか、考えることはできると思うんです。



自分が辞めた会社のこともよく考えるんですけど、法律上問題なかったから退職させられないとしても、月に1回面談するとか、上司が性加害やセクハラをしそうな面がないか逐一チェックするとか、そういうのはできたはずで。



―『復讐が足りない』というタイトルも印象的です。このタイトルには、どんな意味を込められたのでしょうか。



冬野:タイトルを考えているときに、友人たちがパワハラを受けた話をしているとき、とある作品で、パワハラで訴えられたけど本当はパワハラじゃなかった、というストーリーに疑問を呈していました。現実では、パワハラをした側が会社に残り、された人が辞めるというケースが多いはずなのに、フィクションの物語にはパワハラが誤解だったり捏造だったりというものが多くて。「した側がきっちり制裁を受ける話がない」という話をしていて、その友人が「本当に復讐が足りてないよね」って、さらっと言って、本当にそうだなと思ったんですね。



『復讐が足りない』で、「復讐」をテーマにするかどうかは曖昧なところだったんですが、言葉としてはすごくいいと思いました。性加害者が罰せられたとしても、二次被害が発生しがちという構造的にも、被害者のほうが何倍もの苦しみを受けてしまう。その「腑に落ちなさ」には、復讐心みたいなものがすごく沸いてくると思いました。



性加害をする人についていろいろ調べていたとき、「性加害をする人の目的は社会への復讐である」という記述を見て、それも腑に落ちるなと。この社会に復讐したいという気持ちは私にもわかる部分があり、そこは自分と加害者の共通点であるとも思いました。復讐というのは加害者の気持ちであるし、被害者の気持ちであり、第三者の気持ちでもあると思います。



ただ、性被害を受けた人の本を読むと、被害者はまったく復讐を望まず「もうどうでもいいです」という人も多くて。「どうせ私の人生戻ってこないんで、もういいです」と言っている人もいて、そこは想像がつかない部分でしたね。



「自分の感情さえ殺してしまえば、なんでもなかったようにできるのも知っていた。できなかった」——泥に伏して這うような気持ちのなか、すがるように書いた日記の一節。ある日突然、性被害にあった。



冬野さんが語ってくれたように、私もまた、被害者がたどりがちな道筋をたどった。加害者はそれなりに地位もあって周囲からの信頼も厚かった。「いい人だから騙されたんだろう」。そんな声が聞こえてきた。「好意があった」。事件が明るみになってから、加害者はそう言っていた。



それらを経験しても、私は何もわからなかった。なぜ、加害したのか? なんで、何も知らないはずの人が被害者を責めるのだろう? ただ海の底に沈むような日々、小説や漫画、映画、美術作品への没頭に逃げ込んだ。



性暴力を巡るニュースは絶えない。被害者には疑いや好奇の眼差しが向けられ、加害者はそもそも罪を認識しているのか曖昧なケースだって多い。冬野さんが答えてくださったように、社会のなかにはさまざまな問題と課題が幾重にも連なっている。



あのとき私を救った物語を通してならば、より多くの人に届くのではないだろうか。泥のなかを這う被害者が、少しでも救われるために。加害者が、もしくはこれから加害をしうる人が、暴力を認識できるように。そして第三者が、未来の被害を抑止できるように。



カルチャーを通して、性暴力を考える連載を始めます。

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