King & Prince『STARRING』の考察がもっと...の画像はこちら >>



Text by 原里実
Text by 島晃一



12月24日、King & Prince(以下、キンプリ)の7thアルバム『STARRING』がリリースされた。



タイトルの「STARRING」は「主役・主演」の意味。

「映画」をテーマにした本アルバムでは、収録曲を「架空の映画館で上映される映画の主題歌」として位置づけ、各映画の特報映像やポスターをオリジナルで制作するなど、かつてない試みを行っている。



制作された架空映画は、サイバーパンク、サスペンス、ラブロマンスなどバラエティ豊かな11本。キンプリのメンバー2人が企画し、『サマーフィルムにのって』の松本壮史監督などの制作陣が手がけたその映像とポスターからは、実際の映画作品のようなクオリティと細部へのこだわりが見てとれる。



本稿では映画・音楽ライターの島晃一が、MVや特報映像から連想される名作映画の数々に触れながら、収録曲の世界観や込められたメッセージを考察する。



King & Prince『STARRING』の考察がもっと面白くなる、名作映画の知識。映画ライターが解説

マスコミ向け視聴会用につくられたポスター。下部に11本の架空映画のポスターが並んでいる



アルバムの冒頭を飾るのは、リード曲の“Theater”。ソウル、ファンク、R&BなどをルーツとするAyumu Imazuが手がけたディスコファンクだ。<Welcome to our シアター>と、タイトルどおり映画館に誘う歌詞で、今作の幕開けを告げる。



この曲のMVはニューヨークの街並みから始まるが、明るい表通りや少し暗い裏路地でキンプリの2人がダンスする姿、そして後半の集団で踊るシーンからは、ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズ監督による『ウエスト・サイド物語』(1961年)をまず思い浮かべる。



1957年にブロードウェイで上演された同名作を原作とし、不良グループ間の抗争と恋愛、悲劇を魅力的な楽曲とともに描いたこの作品は、言わずと知れたミュージカル映画の金字塔だ。2021年にはスティーヴン・スピルバーグ監督もリメイクしている。



MVの冒頭部分から思い浮かべる映画はもう1つある。

サングラスをかけてから音楽に合わせてリズミカルに歩く様子は、エドガー・ライト監督『ベイビー・ドライバー』(2017年)で主演のアンセル・エルゴートがコーヒーを買いに行くシーンも彷彿とさせる。『ベイビー・ドライバー』はミュージカル映画ではないものの、ソウルやファンク、R&B、ロックなどの音楽と役者の動きをシンクロさせることでも話題になった映画だ。



途中、つなぎを着てビームを発射する姿は、もちろん『ゴーストバスターズ』シリーズだろう。この映画は、ソウル、R&Bミュージシャンのレイ・パーカー・ジュニアが手がけたポップでファンキーな主題歌も有名だ。加えて、キンプリの2人がホテルマンのようなピンクを基調とした衣装を着ているカットからは、独特な映像美で知られるウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)を想起した。



“Theater”のMVは、アルバムのオープニングにふさわしいさまざまなジャンルの映画、そしてAyumu Imazuのルーツでもあるソウル、ファンクを用いた作品へのオマージュになっていると言えるだろう。



アルバム3曲目の“Stereo Love”は、架空映画『Home, Stupid Home』の主題歌として位置づけられている。「2118年、ガスの公害で陽の光が当たらなくなった都市が舞台のサイバーパンク映画」という設定で真っ先に思い浮かべるのは、リドリー・スコット監督『ブレードランナー』(1982年)だろう。



この映画は公開されるやいなや、映画、アニメ、ドラマなど数多くのSF作品に多大な影響を与えた。『Home, Stupid Home』の特報映像で映し出されたネオンサイン、日本語の看板、薄暗い街といった背景は、まさに『ブレードランナー』的な都市の特徴だ。



『Home, Stupid Home』は、家族を失ったカネダ(永瀬廉)とヴァンパイアのチバ(髙橋海人)によるバディムービーという設定。「カネダ」という名前、そして両親の不在からは、大友克洋による漫画を原作として大友自身が監督したアニメ映画『AKIRA』(1988年)の主人公、金田正太郎を連想させる。

『AKIRA』は『ブレードランナー』と並び、1980年代のサイバーパンクを象徴する作品のひとつだ。



SF映画におけるヴァンパイアといえばマーベル映画『ブレイド』シリーズ、人間とヴァンパイアの関係性という点では『トワイライト』シリーズなど、さまざまな映画が思い浮かぶが、重要なのは、『ブレードランナー』では「人間と人造人間レプリカント」、『AKIRA』では「金田と超能力に目覚めた鉄雄」という「異なる存在同士」の関係がテーマとしてあったという点だ。



『Home, Stupid Home』の主題歌とされる“Stereo Love”の<イヤホンみたいな愛><ステレオみたいな愛>という歌詞は、上に挙げた映画のように異なる背景を持つ者たちの関係性を描いているとも解釈できるのではないだろうか。



髙橋海人自身が作詞・作曲したダンス・ポップ“this time”は、『Frankly, My Dear』という架空のモノクロ映画の主題歌。モノクロの映像、そしてバーという舞台設定からは、戦時下での再会と恋愛を描いたマイケル・カーティス監督『カサブランカ』を連想した。1942年に公開され、『アカデミー賞』では作品賞・監督賞・脚色賞の3部門を受賞した名作だ。



また、シーツを被ったかわいらしくもある幽霊は、デヴィッド・ロウリー監督・脚本、A24製作のファンタジー映画『ア・ゴースト・ストーリー』(2017年)を強く想起させる。



『Frankly, My Dear』というタイトルは、おそらく『風と共に去りぬ』(1939年)の「Frankly, my dear, I don't give a damn」という名台詞からきているのだろう。「正直言って、知ったこっちゃない」と訳されるこの台詞は、決定的な別れを象徴している。なお、ここで挙げた3作の映画は、どれも出会いと別れを描いている。



『Frankly, My Dear』のあらすじに触れよう。髙橋海人演じる若者は、ゴーストと歌い踊ることが日常になっている。

若者はあるときゴーストの秘密を知るが、そのうえであらためて「もっと踊ろう」と誘い出す。



“this time”は、<踊ろうよ midnight><終わらない this time>と2人の時間が続いていくかのように歌いながら、最後に<おやすみにばいばい have a good night…>という歌詞で終わる。この「ばいばい」は一時的なものなのか、それとももっと決定的な別れや日常の変化を意味するのだろうか。



エレクトロなダンス・サウンドの“I Know”は、『The DOOMER』の主題歌とされている。『The DOOMER』の舞台は、世界を終わらせるために人間を超越するものを研究しているという研究施設。施設に向かった2人の警察官が、何かの影に追われ、そして立ち向かうというSFパニック映画風の映像になっている。



未知の生物に追われる設定は、リドリー・スコット監督によるSFパニック映画の金字塔、『エイリアン』(1979年)を、警察がそうしたモンスターに立ち向かう要素からは、大人気ゲームシリーズを映画化した『バイオハザード』シリーズも思い起こされる。なお、『エイリアン』の前日譚にあたる『プロメテウス』(2012年)では生命の起源と創造など、壮大なテーマを描いていた。



「doom」は運命や破滅を意味し、「doomer」は人生や社会に対して極度に悲観的な思想を持つ人々を指すネットスラングだ。“I Know”の歌詞自体は、「君の嘘」を暴く内容だが、『The DOOMER』の内容やタイトルと合わせて聞くと、「嘘」とは陰謀などの何か大きなものを表しているように思えてくる。



11曲目の“What We Got ~奇跡はきみと~”は同名映画の主題曲だ。ディズニーとコラボレーションしたこの曲は、2016年の楽曲を元にアレンジを加えたミッキーマウスのオフィシャルテーマソングとなっている。

日本語訳詞はキンプリの2人が手がけた。



特報映像では、レコード店でのミッキーとの出会いや、ミッキーの仲間たちと街で踊る様子などが描かれている。実写とアニメーションの共存といった文脈で真っ先に言及されるのは、『ロジャー・ラビット』(1988年)だろう。この映画ではアニメーションと実写、異なる他者が交差する町として「トゥーンタウン」という設定があったが、『What We Got ~奇跡はきみと~』の舞台は渋谷だ。



<見つけ合えたことが最高のMagic><奇跡はここにある>という歌詞にもあるように、この曲は他者との出会いを魔法や奇跡ととらえている。映画の舞台が、音楽の街とも言われさまざまなカルチャーを生み出してきた渋谷であり、さらには出会いの場所がレコード店という場所であることを鑑みれば、この架空映画では、音楽を通じた出会いや交流が強調されているとも解釈できる。



この記事で挙げてきた映画は、あくまでMVや特報映像からの連想であり、所謂元ネタだとは考えていない。加えて、少し強引に結びつけた作品もある。



とはいえ、このアルバムおよび特報は、見る人それぞれがこれまでに得てきた映画体験を刺激し、さまざまな作品を思い起こさせるはずだ。そしてその過程で、ここで取り上げられなかった曲を含め、楽曲や歌詞の世界観の解釈にさらなる広がりが生まれることだろう。「すべての収録曲を映画の主題歌に見立てる」という前代未聞の取り組みで私たちを楽しませてくれたキンプリが、今後どんなエンターテイメントを届けてくれるのか、ますます目が離せない。

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