家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「...の画像はこちら >>



Text by 常川拓也
Text by 今川彩香



父とその友人、つまり年配の男性2人と、険しくて長い道のりをハイキング、深い森のなかでキャンプをすることになった17歳の少女。父と友人の関係が円滑であるように気を遣い、下品な話題も苦笑いで受け流し、いつの間にか料理や皿洗いまでも少女が担っている。



この光景、見たことがある。映画『グッドワン』の舞台はアメリカの深い山の中であるが、日本のどこか、たくさんの親戚が集まる家で同じような現場を見た記憶がある。本作の脚本・監督を務めたインディア・ドナルドソンは、「離婚した両親のもとで、家族内の平和維持役を担ってきた」経験をもとにして、本作を着想したのだという。詳細の状況は違えど、ジェンダーロールや家父長制にもとづく価値観が根をはる問題は、こうも普遍的なのかと思える作品だった。



映画批評家、常川拓也が映画を通して社会を見つめる連載コラム「90分の世界地図」第8回目は、インディア・ドナルドソンにインタビュー。個人的な体験から本作を立ち上げたその背景とは? 父と娘の相互理解の難しさを描くうえでいったい何を大事にしたのか? そして、宮崎駿をはじめとするほか作品からのインスピレーションとは? 本作のさまざまな側面から、父と娘の関係、そして家父長制への批判的な眼差しを紐解いていく。



インディア・ドナルドソンは、コロナ禍のロックダウン時、ロサンゼルスに引っ越した。父であり、ハリウッドのベテラン監督でもあるロジャー・ドナルドソンと彼の3人目の妻、そして彼らの10代の子どもたちも一緒だった。これが、長編デビュー作『グッドワン』の土台となったという(父も製作総指揮のひとりとして支援している)。この思慮深く繊細な作品は、実際に父とたびたびハイキングに行き、異母兄弟とのふれあいを端緒に追想したもので、作品を通して父娘の関係を探求している。



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

インディア・ドナルドソン

アメリカの映画監督。父はニュージーランドの映画監督ロジャー・ドナルドソン。

映画監督になる前はテキスタイル業界で働いていた。監督デビューは2018年制作の短編映画『Medusa』で、その後2019年と2021年に短編『Hannahs』と『If Found』を発表。長編デビュー作『グッドワン』は、2023年にポーランド・ヴロツワフのアメリカ映画祭で制作途中作品として発表され、ポストプロダクション支援として5万ドルの賞金を受賞。完成版は2024年の『第40回サンダンス映画祭』と『第77回カンヌ国際映画祭』の監督週間で上映され、カメラドール(新人監督賞)ノミネートを果たした。同作はその後、同年の『第13回シャンゼリゼ映画祭』でアメリカ独立長編映画部門のグランプリを受賞、『第96回ナショナル・ボード・オブ・レビュー』で新人監督賞を受賞している。



本作で、17歳のサム(リリー・コリアス)は、父親のクリス(ジェームズ・レグロス)と彼の旧友マット(ダニー・マッカーシー)と3人でキャンプ旅行に出かける。父親のクリスは、サムの母親とはすでに離婚している。さらに、マットの息子はドタキャン。サムは離婚を経験した年配男性ふたりの愚痴や不満を聞きながら、よく喋る彼らのために料理をつくったり、皿を洗ったり、面倒を見る役を担う。



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

サム ©2024 Hey Bear LLC.



ドナルドソンは、幼少期に両親が離婚した自身の経験から、本作のテーマが生まれたと語る。



「本作をつくるうえで、感情労働についてよく考えていました。この映画では特に、ジェンダーによる側面が強く出ていると思います。

本作のために、私と同じように、離婚した両親のもとで、家族内の平和維持役を担ってきた人たちと話をしました。この映画では少女特有の経験を描いていますが、同じような経験をしている男性も多いと思います。感情に負担がかかっていることを親に理解してもらえない若者に、関心を持っていました」



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

マット(左)とクリス ©2024 Hey Bear LLC.



ほとんどスマホもつながらない森には、まるで3人しか存在しないかのようだ。本作では、レズビアンである若い女性が、高圧的な年配男性たちに囲まれる体験を静かに見つめる。特徴的なのは、サムがクィアであることが、物語の展開そのものには関与しないことだ。それはただ、彼女の他者との接し方やリアクションに織り込まれる。彼女がカムアウトで葛藤する物語ではない。ドナルドソンは、サムがレズビアンであることは「彼女のアイデンティティの一面として描きたかった」と語る。



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



「クィアであることが、物語を動かす主な課題や葛藤、プロットのポイントとなるのではなく、それが重要なアイデンティティの一部であるキャラクターをつくりたかったのです。



父親には、表面上は受け入れられていて問題になっていませんね。むしろ彼女の存在の一部として受け入れられている要素であり、同時に、女性であることや17歳であることと同じように、父親と娘が理解し合うのが難しい要素でもある。



父親は理解しようとはしていますが、でも彼女の立場を実感することはできずに諦めている。

サムが中年男性を理解しようと努力している一方で、白人で中年、異性愛の男性である父は、彼女がどのような人間であるかについては、同じような感受性をもって接することができないのです。



彼女の経験の特異性はクィアな女性であることに由来するけれど、それが彼女の葛藤にはなっていない。むしろ、父親との関係性によるものです」



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



父は娘のセクシュアリティを表面上は受け入れている一方で、「Good One=いい子」という題名の通り、娘を従順な子どもとして扱い続けている。



「このタイトルには英語でふたつの意味が込められています。ひとつは『いい子』です。サムは従順な子であり、何事も反論せずに受け入れ、問題を引き起こさないことでほめられる。



まさにその資質こそが彼女の美徳であり、共感力に優れ、相手の話をよく聞き、他者の欲求に敏感に気づくことができる。それは素晴らしい資質である一方で、彼女が自分の欲求を主張しづらくする要因にもなっている。キャンプを通して、そして、この映画が終わったあとの彼女の人生においても、おそらくサムはさまざまな困難に直面し、他人の目には『いい子』でなくなること――例えば異なる意見を主張したり、お互いを理解するために必要な対立を恐れない姿勢をとったり――に慣れていかなければなりません。



そして、もうひとつこの言葉には意味があります。誰かがつまらない冗談を言ったときに『いい冗談だね(oh, good one)』みたいな言い方をするのですが、そういう皮肉の意味も含めています。このダブルミーニングが、私にとってつねに重要なものでした」



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



キャンプファイアーを囲むなかで、知人の「つまらない冗談」がセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)へと変貌する一瞬を本作はじっと凝視する。

2024年のアメリカの調査では、女性の約80%がセクハラや性的暴行を経験し、その多くが10代の頃から被害を受けていると報告されているが(※)、その危険がこの森にも潜んでいたことを炙り出すのである。しかし、娘がマットからセクハラを受けたことを知っても、依然として彼女を「子ども」とみなす父親は、真剣に話を聞かない。むしろ、男同士の絆を優先してしまう。ドナルドソンは、ここに家父長制への批判を込めようとしたのだろうか?



「人生で誰かが自分を怒らせたり、動揺させたりしたとき、必要なタイミングで適切な言葉を見つけるのは本当に難しいということを考えていました。



サムが自身の身に起きたことを父親に話したとき、父として最も認め難かったのは、娘をその瞬間から守ることができなかったことだったと思う。期待に応えられなかった自らの無力さを受け入れきれないから、彼は出来事を否定してしまうのです」



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



「これは家父長制やいわゆる『男らしさ』といったテーマに関わってくる部分だと思います。彼は自分を守護者だと見なしています。だから、映画の序盤で、テント内で食事をしたマットに対して、『熊が寄ってきたらどうするんだ、娘の身も危ないじゃないか』と怒りますよね。そのときはきっぱりと対応できたのに、別の瞬間には娘を守ってやれなかった。自分は父親失格なのかと感じ、娘の訴えを聞くことができない。



なので、この父親も娘も、自分たちが育った家父長制のシステムによって、ある意味で破綻させられているということを考えていました。ふたりとも、あのような局面でどういう話をして向き合えばいいかがわからず、本当に必要な対話を行うための手段を持っていなかったのです」



テキスタイル業界から映画業界へと転身したドナルドソンは、父の足跡をたどっているものの、短編時代から一貫して女性を描き続けており、スローペースで大きな筋書きを持たないその作風は父とはかけ離れている。



むしろ、自然と人々との関係を扱いながら、日常のなかで見過ごされがちな、女性に課せられる労働の細部を描くその視点や、叙情的でミニマルなアプローチは、ケリー・ライカート(※)と通じる。彼女は、「ケリー・ライカートの映画は大好きで、彼女の作品は間違いなく私のインスピレーションの源です」と屈託なく認める(父役を演じたレグロスはライカート作品の常連俳優でもある)。



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



ゆるやかな川のせせらぎ、葉のざわめき、虫の鳴き声、山積した石に留まる蝶、林床を這うなめくじ……ライカートのタッチを取り入れた本作は、穏やかな音色とともに、世界の小さな美しさを逃さないように、手つかずの自然の美しさを収めていく。この自然へのまなざしには、宮崎駿からの影響があることをドナルドソンは公言している。



「自然界に畏敬の念を持ちながら、静かに雄大に描く宮崎駿の方法は、私が『グッドワン』をつくる際に念頭に置いていたことでした。実写映画であっても、自然界の細部を注意深く見るなかに魔法のような感覚を吹き込みたいと思ったのです。



宮崎の映画を観ていると、まるで生きているかのように呼吸する風景が、独自の視点と存在感を持って、映画の登場人物のように感じられる。そして、森そのものがまるで観察者のように感じられるようにも描きたかった。



それは、子どもの頃から宮崎駿の映画を愛して観てきた経験から得たものだと思います。私には4歳の息子がいるので、彼に宮崎作品を見せるのをいつも楽しみにしています」



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



思えば、以前、同じく森を舞台にした『秘密の森の、その向こう』(2021)でセリーヌ・シアマ(※)にインタビューした際、彼女も宮崎駿からの影響を語っていた。そのシンクロニシティをどう感じるかを尋ねると、ドナルドソンは笑顔でこう答えた。



「『秘密の森の、その向こう』は素晴らしいですよね。

セリーヌ・シアマの全作品が大好きで、彼女の執筆や映画製作について語っているものを読むのも大好き。彼女が物語を書き、発見していくプロセスは、私にインスピレーションを与えてくれます。



『秘密の森の、その向こう』を観たあと、関連する情報を読み漁って、彼女が宮崎からインスピレーションを受けたと知って、とても興奮しました。私も彼の映画が大好きだからです」



現代を代表する米仏のフェミニスト映画作家に親愛を寄せるドナルドソン。作中では、繰り返しサムの生理(月経)を表象する。特にキャンプ中、年上男性2人に対して生理期間中であることを隠しているサムが、画面手前の茂みの陰でタンポンを交換する場面では、背後でやきもきしながら待つ父とマットにも同時にピントを合わせた「スプリットディオプター・ショット」が用いられている。これは、サスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマ(※)が緊張感を増幅させるために多用する技法として知られる。



「映画のなかでスプリットディオプターを使うアイデアをみんなと練っていたとき、たしかにデ・パルマの話をしました。彼はあの技法を素晴らしく効果的に使っていますから。



このショットには、ある種の不穏な効果があります。視界が平坦化され、すべてに焦点を合わせながら、観客にサムの視点と密着した感覚を抱かせることができると思う。つまり、彼女がプライベートな瞬間を過ごしているときでも、まるで男たちがすぐそこにいるかのような感覚を生み出せるのです。脅威が迫っている状況というわけではありませんが、あの撮影方法によって、サムが抱く不安感が増幅するのを、うまく表現できていると思います」



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



ドナルドソンは、映画を使って誰かを滑稽な人物としてわかりやすく批判するのでも、何か明確な答えを提供するわけでもない。一見、些細に思えるような出来事から、表面的な部分にとどまらない考察を促す。このような、鋭い観察眼と洞察力を含んだ彼女のまなざしは、イギリスの巨匠マイク・リー(※)の作品から学んだものだ。



「マイク・リーは、私の最も好きな映画監督のひとりです。彼は人間関係を非常に繊細かつ深く掘り下げているため、どの作品も共感を呼ぶと思います。そして、題材がどれほど暗くてもつねにユーモアが込められている。彼の映画を観ると、どこにでもユーモアを見出そうと心がけさせられます。また、俳優たちとのコラボレーションも本当に素晴らしい。キャリアを通じて同じ俳優たちと繰り返し仕事をし、それが彼の作品でどのように進化してきてたかを見るのが大好きで、私もそれを目指しています。彼は偉大な監督の一人であり、つねにインスピレーションを与えてくれます」



※以下では、本作のラストシーンに触れる内容を含みます。あらかじめご了承ください。



『グッドワン』で描かれた体験を通して、サムは、「冷静な傍観者」から「苦悩する当事者」へと変化する。ドナルドソンは、過剰なセリフやアクションで大胆に自己主張させるのではない。言葉の代わりに、石のメタファーによって、若い女性の解放を描き出した。映画終盤で映される、川べりに積み上げられた石の塔は、3人がかろうじて保つバランスの調和、そしてサムの心の重荷の象徴として機能する。



家族の「平和維持役」だった経験をもとにした『グッドワン』。「いい子」からの解放と苦悩とは。監督に聞く

©2024 Hey Bear LLC.



「最後に彼女が石を父親のリュックに詰め込む部分は、撮影直前に加えました。私自身ハイキングをしているといつも思うのですが、自然というのは別に人間が来ようと来なかろうと何とも思っていないのに、人は自分がここにいたという痕跡を残したがる。そういうところが人間臭いと思って、石の塔というアイデアはもともと脚本に入れていました。



最後の石の仕草(サムが父親のリュックに石を詰めたこと)は、サムが言葉にできない感情を表現する手段でした。彼女は後で言葉を見つけるかもしれませんが、その瞬間には言葉が見つからなかった。ときには、話すよりも仕草で示すほうが簡単なこともあると思います。



それに、この仕草の意味を彼女の父親も理解できるはず。彼はその瞬間の彼女の言葉の意味よりも、その重みの意味を理解していると思う。なので、あのラストは、サムなりの方法で父親とコミュニケーションを取ろうとしているようなものなのです」

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