フジテレビの現役社員・初瀬礼氏が、最新小説『報道協定』(新潮社)を書き下ろした。在京テレビ局の報道記者が、報道協定が結ばれた誘拐事件に立ち向かう作品だが、テレビ局員だからこそ描けるリアリティも相まって、スリリングなストーリーに没入させてくれる。
なぜこのテーマで描こうと考えたのか。そして、テレビ報道のど真ん中にいる立場で書くことへの葛藤は。本人に話を聞いた――。
○今の時代に誘拐事件が起きたらどうなるか
今作のアイデアの発端は「誘拐事件」。これまで多くの有名作家が扱い、たびたび映像化もされてきた題材だが、犯人との電話のやり取りや現金の受け渡しという定番の描写は、「SNSやネットの発達で、今では絶対成り立ちにくいと思ったんです」と考え、今の時代に誘拐事件が起きたらどうなるか…と着想した。
そこで、物語のフックとして選んだのが、タイトルにもなっている「報道協定」。誘拐事件においては、取材・報道されることによって被害者の生命に危険が及ぶおそれがある場合、警察の申し入れを受け、それに合意した記者クラブ加盟メディア(新聞・テレビ・ラジオなど)が自制するという取り決めだ。
日本新聞協会によると、1960年に東京で発生した「雅樹ちゃん事件」で、被害者を殺害して逮捕された犯人が「新聞の報道で非常に追いつめられた」と語ったことをきっかけに始まった制度だが、時代を経て、記者クラブに加盟しないインターネットニュースメディアが次々に生まれた上、SNSの発達で“一億総メディア時代”と言われる現代において、今後その存在意義が問われる事態が起こるかもしれない。
前作『警察庁特命捜査官 水野乃亜 デビルズチョイス』(双葉文庫)でのインタビューで、初瀬氏は「いわゆるメディアの枠組みというのは、ネットに限らず、破られる要素がいくらでもあるので、そういう問題意識はいつも持っています」と話していただけに、今作で「報道協定」を切り口にするというアイデアは、自然と浮かんだそうだ。
○テレビ局記者の主人公は「避けていた」
これまで7冊の小説を書いてきたが、自身が経験したテレビ局の報道記者を主人公に据えたのは、今回が初めて。「現役の会社員なので、今までど真ん中の主人公にするのは避けていたところがありました」と打ち明けるが、「誘拐事件を描くにあたって、主人公を誰にするのかというのは、迷ったんです。警察、被害者家族、犯人と立場がありますが、“報道協定”という言葉がキーになったものですから、やはりメディアの人間を主人公にしたほうが自然に書けると思いました」と筆を走らせた。
自身が報道記者として取材した事件をモチーフにすることで、リアリティあふれる作品を書くことは以前もあったが、今回は主人公が主人公だけに、そのレベルが数段上った印象だ。実際に誘拐事件の報道協定の渦中にいた同僚や先輩に取材し、当時の雰囲気や、協定に至る細かい手順などを、自身の記者経験も加味して忠実に描写したという。
働き方改革、若手の受身姿勢、役職定年、さらにヤラセの責任で閑職への異動といった部分も描いているが、ここは一企業としてのテレビ局のリアルが映し出されている。ただ、テレビ局の登場人物で、1人だけをモデルにして作ったキャラクターはおらず、「やはり現役の会社員なので、一般的に触れられる情報の範囲内にとどめて、会社の中にいる一つの典型的なキャラクターとして書いている部分もあります」と意識。
それでも、「ここまでだったら大丈夫だろうとか、ここまで書かないと面白くないだろうというところで、迷いながら書いていました」と、自分の中でせめぎ合いがありながら、リアルな描写を追求したそうだ。
一方で今作のポイントの一つである、ネットメディアが誘拐事件の報道協定に関わってくるという描写については、実例がないため、「自分がネットメディアを率いる立場だったらどうするのか。組織の中でも立場によって違いが出てくると思うので、そういったところを想像しながら書きました」とのこと。ちょうど現在、自身がテレビ局でネット系の事業を担当していることも執筆に生きたという。
また、より深いネットメディアの現状については当事者に取材し、「PVで結果を出さなければいけないプレッシャーや、外資の厳しい実力主義といった部分も盛り込みました」と反映させた。
「マスゴミ」と揶揄されても…伝えたい思い
ネットやSNSの発達により、近年、マスコミが「マスゴミ」と揶揄されるなど、厳しい目で見られるようになってきた。そうした中で、マスコミの中にいる主人公を通して、組織のしがらみにもがきながら、矜持を持って仕事をしていることを伝えたい思いも「正直あります」と打ち明ける。
それと同時に、自分たちの仕事が“お手盛り”にならないことも強く意識。
近年は「記者クラブ」制度も、“権力との癒着”や“発表報道偏重”といった言葉で批判されがちだが、こと「報道協定」については、「多くの方が支持するのではないかと思います」と見ている。
京都アニメーション放火事件では、犠牲者の実名報道に対してネット上で反発の声が多くを占め、サイバー攻撃を受けたKADOKAWAと犯人との交渉内容を報じたネット媒体をKADOKAWA側が非難すると、当初はそれに賛同する声が多く上がった。やはり、被害者保護を何よりも最優先とする考え方が強い傾向にあるようだ。
そんな現状も踏まえて、今後の報道協定の位置付けは、どうなっていくのだろうか。初瀬氏は「実際にSNSによって報道協定の存続が脅かされるという事例が起きないと、その是非についての議論はしづらい部分があると思いますが、個人的な意見としてはギリギリまで維持すると思います。なので、ネットに出ているのに、大手メディアが報じないという状況もありえるのではないでしょうか」と予測した。
○働き方や組織のしがらみ…誰もが直面する要素
誘拐事件やマスコミという、多くの人にとっては遠い話と捉えられがちな題材を扱っている今作。「人の命がかかっている場面に遭遇することは、なかなかないかもしれません」としながらも、「どこかで決断しなければならないという場面は、誰にでもあると思うんです。特に今回の主人公は、働き方や組織のしがらみなど、どの会社にいても直面する要素があるので、皆さんに共感してもらえると思います」と呼びかける。
その上で、「誘拐は卑劣な犯罪ですが、もし今の時代に起きたらどうなるのか、自分なりのシミュレーションで描いてみたので、一つのエンタテイメントとして楽しんでいただければと思います」とアピール。
特にクライマックスは、展開が加速して緊迫感が高まり、頭の中に自然とその画が浮かぶシーンに仕上がっているだけに、「もし映像化することになったらうれしいですね」と期待を膨らませた。
●初瀬礼1966年、長野県安曇野市生まれ。上智大学卒業後、フジテレビジョンに入社し、社会部記者、モスクワ特派員、報道・情報番組のディレクター・プロデューサーを歴任、現在はネットメディア関連事業を担当する。小説家として、13年にサスペンス小説『血讐』で第1回日本エンタメ小説大賞・優秀賞を受賞。同作品でデビューし、パンデミックをテーマとした『シスト』(16年、新潮社)、アフリカと東京を股にかけたサスペンス『呪術』(18年、新潮社)に続き、双葉文庫から『警察庁特命捜査官 水野乃亜』シリーズとして『ホークアイ』(19年)、『モールハンター』(21年)、『デビルズチョイス』(22年)を発表。24年6月に最新刊『報道協定』(新潮社)を刊行した。