「困難の先には明るいことしかない」と思えるようになった理由
初の自叙伝『慟哭の冠』(KADOKAWA)が重版4刷と反響を呼んでいるお笑いコンビ・とろサーモン・久保田かずのぶにインタビュー。これまでの芸人人生を振り返って、自身の原動力や『M-1』優勝、お笑いへの思いなどを語ってもらった。大阪時代、賞レースで結果を出すもなかなか仕事が増えず、東京進出後も苦しい生活が続き、その間に妻が家を出てどん底を味わったという久保田。
『M-1グランプリ』優勝をずっと目標に掲げ、ラストイヤーの2017年に優勝を果たした。とろサーモン結成から23年。同書では本人が書き溜め続けてきた思いをつづっている。
自叙伝執筆のきっかけは、笑い飯・哲夫の言葉だった。
「哲夫さんから昔、『お前は語彙力や文章能力が高いから本を書いてみたら?』と言われたのがずっと引っかかっていて、書こうかなと思って書きました。2017年に書き始めて8年かけたので思い入れはありますね。途中、何回もやめようかなと思いましたが、自分で自分のケツを叩いて書き上げました」
『慟哭の冠』というタイトルに込めた思いも聞いた。
「泣き叫ぶぐらい苦しくなったり頭がおかしくなったりすることがいっぱいありますが、それをすべて回収できるぐらい、きれいな花が一輪でも咲くような人生をみんな待っていると思うので。苦しいことがあっても、いつか花を咲かせられるような人生になりますようにという思いを込めました」
同書の執筆で自分の人生を振り返ったときに、「結局、困難の先には明るいことしかない」と改めて感じたという。
「みんな悩みや嫌なことを抱えながら生きている。僕も生きることに怯えていた時期がありましたが、結局みんな乗り越えていて、乗り越えられない問題しか起こらないと思ったら怯えなくなりました。だから僕は逃げません」
また、これまでも自分のつらい経験を笑いに昇華し、エネルギーに変えてきたと語る。
「困難の先に明るい未来が待っていると思えるのは、『M-1』で優勝できたというのもありますが、優勝するまでの15年間、つらいだけだったらとっくにやめています。でも、つらいことをネタにして話したらお客さんは楽しそうに笑っている。俺が苦しんで傷つけば傷つくほどみんな爆笑していて、僕はそれをエネルギーにしてきました」
続けて、葬式を引き合いに出し、「つらかろうが楽しかろうが、人はみんな楽しみたいんです」と自身の考えを述べる。
「葬式でみんな集まってお寿司を食べるとき、亡くなった人のバカ話をするでしょ? 『昔コイツあんなことあってさ』って思い出話をしてみんな笑顔になる。だから、瞬間的につらいと思うことも、どこかで人のエネルギーになるし、それを自分のエネルギーに変えた方が生きていて楽しい。そういうことを伝えていけたら」
つらい出来事もエネルギーにして生きている久保田だが、「もうダメだ」と心が折れそうになった瞬間もあったと明かす。
「歌舞伎町に住んでいたときに、もう死んでもいいやと思ったことがありました。仕事もなく、酒ばかり飲んでいて。でも、細い路地裏で生活している人を見て、僕以上に大変な状況の人がいるんだと思ったら、死ぬことはないなと思ったんです。だから、この本を読んでくれる人も、自分の悩みは僕の話に比べたら小さいと思ってもらえたらいいなと思います」
すべてを捧げた『M-1』 優勝できなかったら芸人をやめる覚悟だった
また、「感謝すること」も日々大事にしているという。「デビューした頃からずっと、家の寝室の天井に『感謝』という文字を書いて貼っています。僕は恨みもエネルギーにしていますが、誰かを恨んだことでいいネタができたら、それはその人のおかげなので、結局その人に感謝するんです」
「お笑いが好き」という変わらない思いも原動力になっていると言い、「お笑いが好きだし、お笑いしかできないと思っているし、そこから逃げてしまったら全部なくなるような気がします」と語る。
そもそもお笑いの道に進んだのは、相方・村田秀亮に誘われたからだった。
「もともとは洋服の学校に行こうと思っていたんですけど、相方がお笑いやると言って、僕のことを『めちゃくちゃおもろい』と褒めて誘ってきて。それがきっかけです。人生なんて勘違いですよ。褒められたらやってみようかなと思うじゃないですか。実際にやってみてやりがいも感じましたし、褒められたことが少ないから、自分にはこれが向いているんだと思って突き進んできました」
お笑いしかないという久保田だが、『M-1』で優勝できなかったら芸人をやめる覚悟だったという。
「例えば、キャバクラに落としたい女がいて、15年で落としてみろとなったとき、15年目に全財産を突っ込んで振り返ってくれなかったら生きていけないでしょ。『M-1』の女神を振り返らすためにどれだけ失ったものが多いか。感情も時間も全部捧げてきたので、それでダメだったらやめるしかないなと」
そして、「『M-1』は慟哭です。泣き叫ぶものですよ」とずっと苦しめられてきたと吐露するも、優勝で得られたものはとてつもなく大きかったようだ。
「僕のろくでもない生き方をみんな笑って、『コイツ何してんねん!』と面白がってくれる。それだけだったら、ただのクズ芸人のエピソードですが、優勝したことで全部がひっくり返って、実はクズじゃないんだと。
苦労した人のおもしろ話だったと思わせられたことがうれしかったです。『M-1』優勝でその証明ができました」
さらに、『M-1』優勝後の変化をRPG(ロールプレイングゲーム)に例えて表現する。
「優勝するまではブリーフのパンツで木の棒を持った初期設定の装備でうろちょろ歩いていただけだったのが、優勝したことによって黄金の甲冑が着られるようになったみたいな。みんな声をかけてくれるし、景色も変わるし、仕事も増えました」
今後については、『M-1』優勝のような具体的な目標はないそうで、「なるべく今日を楽しく、幸福度指数の高い生き方をしたいとは思っていますが、番組MCをしたいとか具体的なものはないです。目標は決めずに、そのときの自分の思いを大事にしていきたいです」と語っていた。
■久保田かずのぶ
1979年9月29日生まれ、宮崎県出身。宮崎日大高校の同級生だった村田秀亮と2002年にお笑いコンビ・とろサーモンを結成。2006年に第27回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、2008年に第38回NHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞。『M-1グランプリ』では9度の準決勝敗退を経て、ラストイヤーの2017年に初めて決勝に進出し、優勝を果たした。
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