昨年7月に芸能界デビューし、グラビア各誌を瞬く間に席巻した蒔埜ひな。学生時代はバレーボールに打ち込み、春高バレーにも出場した経歴を持つ“バレーボール女子” としても注目を集めている。
そんな今注目の存在である蒔埜にインタビューを実施。前編となる今回は、“バレー女子”だった蒔埜が、なぜ芸能界を目指したのか、そのヒストリーにフォーカス。幼少期のエピソードをはじめ、これまでの人生を振り返った。
○芸能界を意識したきっかけは“1本の映画”
――昨年7月に芸能界デビューを果たした蒔埜さんですが、いつ頃から芸能界に興味があったのでしょうか?
中学生の時から意識をするようになりました。小さい頃から人前に出ることに関しても苦手意識はなくて、堂々としているタイプでした。逆に、年を重ねるにつれて引っ込み思案になってきています(笑)。
――学生時代の学芸会とかでも、目立っていたタイプでしたか?
主役とかでも「そのくらいならやるよ」という感じでした(笑)。学級委員長も「みんなやらないなら、先生が困っているからやるよ」とやっていました。
――学校でも目立つ存在だったんですね。中学生の時に芸能界を意識したきっかけはあったのでしょうか?
私の家族はみんな映画を観るのが大好きなんです。中学生の時、私が落ち込んでいた時期に兄が『グレイテスト・ショーマン』という作品を勧めてくれて、家で一緒に観たんです。そこで衝撃を受けて、「私もエンターテインメントをやりたい」と思うようになったのがきっかけです。
――テレビや雑誌で観た誰かに憧れて……とかではないんですね!
そうなんです。取材をしていただくと、「憧れの人はいますか?」とよく聞いていただくのですが、私は“自分がなりたい自分になりたい”と思っていて、憧れの人をなるべく作らないようにしています。もちろん皆さん素敵ですし、いろんな方の演技などは勉強のために拝見して、参考にさせてもらっています。
――憧れよりもなりたい自分になるという気持ちのほうが大きいと。
自分の納得のいくラインまで行きたい、自分が思い描く像に追いつきたいという思いです。芸能のお仕事を始めると決めたときからずっとこのマインドでした。
○芸能活動を応援してくれる両親の存在 周囲からの好反応も
――お話を伺っていると、本当にしっかりした考えをお持ちですね! 目標を持ち続けることも難しいことだと思いますが、何が原動力になっているんでしょうか?
小さい頃から、人と同じことをしたくない、自分のオリジナルを作りたいという考え方があって……そういう考えが自分を動かしているなと思います。つい最近も小さい頃の話を親から聞いたんですが、当時から変わっていたみたいで、両親も「兄妹の中でも特に理解ができなかった」と言っていました(笑)。子どもって予期せぬ行動をすると思うのですが、私はそれを上回る行動をしていたと。でも、両親はその時から、他の子とは違っても好きなようにやらせてあげたいという思いがあったみたいです。私がこのお仕事をやりたいと言ったときも、本当に全力で応援してくれて、今も支えてくれています。
――ご両親の教育方針のおかげで今の蒔埜さんがあるわけですね。ご両親は応援してくれているとのことですが、デビューしてからの周囲の反応はいかがでしたか?
ネットニュースなどで見てくれているみたいで、私が芸能活動をしていることを知らなかった友達から、通っていた保育園の先生まで「見たよ」と言ってくれています(笑)。保育園の先生は、映画も観に行ってくれたみたいで、嬉しい反応をたくさんいただいています!
あと、皆さんグラビアに対しても、思ったより否定的ではなくて。むしろ「鍛えたんだね」と努力を褒めてくれるのも嬉しいです。
映画初出演で歓喜の叫び「とにかく嬉しかった」
――最近ではグラビアの見方も変わってきているのかもしれないですね! これまでの活動で印象的だったことはなんですか?
映画『お嬢と番犬くん』に出演させてもらったことです。映画初出演だったんですが、来たかった世界に足を踏み入れることができたということがとても印象的でした。私の好きな映画は、こうやって撮影されて、こんなにたくさんのスタッフさんが関わって、1つの作品を全国に届けていくんだなということを知って、感動しました。
――マネージャーさんから聞いたところ、衣装合わせの帰りに嬉しさのあまり外で叫んでしまったとか……(笑)
やばい(笑)。家の近くの歩道橋の階段をスキップで上がりながら、ちゃんと誰もいないことを確認してから、両手を上げて、「フォ~~~」とちょっと控えめに叫びました(笑)。
――それだけ大好きだった映画の世界に入れた喜びが大きかったと(笑)。
そうですね。エキストラさんとしてでも現場には入れたりするかもしれないですが、ちゃんと役割をもらって参加させてもらっていることがとても幸せで。
○バレーボールで活躍するも芸術大学へ進学
――そんな蒔埜さんは現役の芸術大学生でもあります。大学では何を学んでいるんでしょうか?
メインは写真です。ただ、それ以外にも心理学なども学んでいます。社会の仕組みや世の中で起きていることなど、最新の情報を取り入れて、それをどうアートにしていくかということを勉強しています。
――高校時代は春高に出場するなどバレーボール部で活躍しながらも、芸大への進学を決めた理由は?
芸大への進学は、本当にいろんな人に驚かれました(笑)。親は小さな頃からのアート気質を知っていたので、すんなり受け入れてくれたんですが、何も知らない友達とかは「え、芸大行くの!? バレー部から芸大!?」と(笑)。バレー部の同級生は何人か推薦で進学していて、監督は私にも推薦で進学して欲しかったらしいのですが、私は中学3年くらいから芸大への進学をイメージしたので!
――高校進学前から大学のことを考えていたんですね!
自分の中でバレーボールは中学校の3年間でやりきると決めていて、そこから芸大と芸能に進みたいというプランでした。ただ、当時の監督から「今まで頑張ってきたから、ここで終わるのはもったいない」と推薦を3校も出していただいたので、その中から高校に進学したんです。
そこで自分のプランは1回崩れたんですが、でも今のタイミングだからお仕事をもらえているとも思うので、結果としてはよかったのかもしれないです。
○グラビアで活きているバレーボール時代の経験と教え
――バレーボールをやっていて、今のお仕事に活きている部分はありますか?
中学校のときの先生から今の活動に活きることをたくさん教えていただきました。当時は正直怖かったし、嫌いだったんですけど(笑)。
その先生が教えてくれたことでいちばん記憶に残っているのは、“準備”をすること。「この大会で優勝したいんだったら、何カ月前にこういう練習をしておかなきゃいけない」など目標から逆算して考える計画性はとても活きています。グラビアで撮影日までに体を仕上げたいなら、~週間前から食事管理と筋トレをしておくなど、準備をする習慣には助けられています。
そして、こういう準備が自信に変わるんです。バレーの試合もそうだったんですが、試合中も「私たちはちゃんと何カ月前から準備してきたから大丈夫」と自信を持つことができて、不安を吹き飛ばすことができるんです。
――何事においても事前の準備は大切ですよね。また、蒔埜さんは学生時代に春高バレーなどの大舞台も経験していますが、そういった度胸もついたんじゃないですか?
レギュラーだった時期も仲間がいるということが私を支えてくれていました。コートに入ってるときも、自分の後ろに支えてくれる人たちがいるおかげで堂々とプレイできていました。
それは今も同じで、自分が現場に出ていても、ちゃんとマネージャーさんが後ろで対応してくれる安心感があることが大きいです。多分1人だったら、こんなに堂々とできないかもしれないです。
■蒔埜ひな
2004年2月12日生まれ。