45年経った今でも「今が一番DJうまいぞ!」と思っている
1980年にDJ活動を開始してから今年8月で45周年を迎えるTRFのリーダー・DJ KOO。7月5日には、鈴木亜美との一夜限りのスペシャルライブ「Ami Suzuki - One-day Disco Night - with DJ KOO」を神奈川・横浜みなとみらいブロンテで開催する。DJ KOOにインタビューし、DJ活動への思いやこれまでの転機を聞いた。DJ KOOは、小室哲哉のプロデュースのもと1992年にTRF(当時はtrf)を結成し、1993年にデビュー。同じく小室プロデュースで1998年にデビューした鈴木亜美がデビュー27周年を迎える7月に、2人でコラボライブを開催する。
――まもなくDJ活動45周年を迎えられますが、これまでの歩みを振り返ってどのように感じますか?
今までいろいろなことがありましたが、やってきてよかったですし、いつでも「今が一番DJうまいぞ!」と思いながらやってきたので、45年経った今でも「今が一番DJうまいぞ!」と思っています。それはテクニックだけでなく、気持ちの積み重ねや、病気をしたり、いろんな経験値がつながって、家族の支えなども全部持って今DJをやっています。盆踊りでDJをやったり、アニソンでDJをやったり、そういうことも踏まえて、今一番楽しくDJできています。
――ずっと今が一番うまい状態でいられるために日々努力していることを教えてください。
やはり曲をたくさん聴きますね。あと、現場に足を運んで、いろんなDJの選曲を聴いたり。TRFのライブは自分たちを見に来てくれますが、DJの場合は、非日常を発散させるような場。そこでお客さんを「来てよかった」「気持ちよく帰れた」とするのがDJなので、そのドキドキ感があり、いろんな仕事をやらせてもらっていますがDJが一番緊張します。
――どういう時に緊張しますか?
このぐらいの曲の中からかけていこうというセットリストのフォルダーを作っている時から緊張しますし、いろいろ準備して臨みますが、DJブースに行く時も緊張します。45年やっていても、一手間違えると取り返しがつかないような選曲があるので。
その緊張感は続けていく上で大事だし、手応えにつながっていくのかなと。僕は、DJをやっている手応えと、「よし! 今日もお客さんを盛り上げられたぞ!」という自信があるからこそ、いろいろなお仕事もできているのかなと思います。
――DJとしての軸があるからこそ、ほかの仕事でも堂々と胸を張っていられるわけですね。
そうですね。例えばバラエティに呼んでいただいたり、街ブラロケをしていても、DJが中途半端だったらダメだなと。DJとしての自信があるからこそ、そういう積み重ねができているので、余計にDJは緊張します。ここがブレてはいけないと。
○「小室さんとTRFと出会わなかったら『イエ~イ!』なんてやってなかった」
――45年を振り返って一番の転機とは?
やはりTRFへの参加です。それまではDJはアンダーグラウンドで、クールにしているのが一番かっこいいと思っていましたが、TRFとして活動を始め、画面にDJが出るようになって、「後ろで違う曲をヘッドホンで聴いているヤツはなんなんだ」と散々言われましたが、小室さんに「DJは1時間くらいかけて選曲で盛り上げていくけれど、TRFの時は3分でインパクトや存在感を出すことを考えて」と言われて、思いっきりアクションしたり、そういうことをしてきました。30年前のことですが、それが今の自分のスタイルにつながっています。小室さんとTRFと出会わなかったら、クールなDJとして淡々とやっていて、「イエ~イ!」なんてやってなかったと思います(笑)
――KOOさんはDJの存在を世の中に広く知らしめた先駆者で、世間のDJに対するイメージが変わりましたよね。
それまでは画面にDJが登場することがなかったですからね。
だから最初は、世の中から「アイツ何やってんだ?」「アイツいらないじゃないか?」という意見がたくさんあったし、DJの現場からも「アイツは魂を売ったな」と言われましたが、僕は小室さんについていこうと思ったので、小室さんの言葉を全身で受け止めて、それを信じてやってきました。
――当初は批判的な声もあった中、TRFとしてのDJのやりがいや手応えをつかんだきっかけを教えてください。
やはりライブですね。最初の全国ツアー「BILLIONAIRE ~BOY MEETS GIRL~」の初日が静岡公演だったのですが、忘れもしない、1曲目の「BOY MEETS GIRL」で幕が上がった時に大歓声が起きて、これがライブなんだなと。それまでのDJの場では体感したことがない景色を見ることができて、そこで大きく変わり、斜に構えて「クールでいなきゃいけない」「クールなのがかっこいいんだ」と思っていたのが、「お客さんと盛り上がれるのがかっこいいんだ」と思うようになりました。
――そこから迷いがなくなって全力で盛り上げる“盛り上げ番長”になられたのですね。
そうですね(笑)。あの景色が見られたからこそです。
還暦を超えて「年齢を気にしなくなった」 海外での活動にも意欲
――2023年にTRFデビュー30周年を迎えられ、30周年記念ライブを開催されましたが、この先のTRFとしての活動はどのように思い描いていますか?一度30周年でいい意味の区切りがつきましたが、TRFは常に目標があるわけではなく、目の前にあることを全力でやるチームなので、そのスタンスで変わらずやっていきたいと思います。平均年齢が60歳を超えたので、最年長ダンスユニットを目指して、それでギネス記録を狙いたいです。
――KOOさんは今年8月8日に64歳を迎えられます。
60歳の時に「還暦」という言葉がすごく気にかかっていましたが、今はもう年齢を気にしなくなりました。
60過ぎているDJを僕はあまり見たことがなかったので、20代のお客さんがいるクラブでDJしている絵を想像したら不思議な時もありましたが、そんなの自分が決めることじゃないなと。そこで楽しい空間が作れればいいなと思い、60過ぎてからその一山を越えた感じがします。
――生涯DJとしてやっていくぞという思いでしょうか。
そうですね。今、いろんなお祭りでDJをやったりして、お子様からシニアの人まで、僕のDJで踊ってもらえているというのがめちゃめちゃうれしいです。今度は海外で、いろんな国の人たちに僕のDJで踊ってもらいたいなと。さらにJ-POPで踊ってもらいたいなという希望があります。
――海外で活動したいという思いが芽生えたきっかけを教えてください。
これまでロックをやるならイギリスだし、ブラックコンテンポラリーダンスはアメリカみたいなイメージでしたが、日本はJ-POPというこれだけの文化があって、ここ数年すごく注目されています。一昨年ぐらいから友達になった韓国のDJ・Night Tempoくんが、日本の昭和の曲でDJをやっていてめちゃめちゃウケているんです。「一緒にやりましょう」という話もしていて、日本の90年代から今までのJ-POPを世界で広げていけたらと思います。
――もちろん小室さんが生み出したTKサウンドも?
そうですね。
以前、フランスで開催された「Japan Expo」に出演したときに、日本の文化・カルチャーをみんなで楽しむという空気があって手応えを感じ、さらにその波が来ていると思うので。90年代に僕らが作ってきた音楽を世界に広めたいです。K-POPの次はJ-POPです!
■DJ KOO
1961年8月8日生まれ、東京都出身。1980年にDJ活動を開始。1992年にTRF(当時はtrf)を結成し、1993年にデビュー。「EZ DO DANCE」「BOY MEETS GIRL」をはじめ、数々のヒット曲を生み出し、トータル2200万枚以上のCDセールスを記録。2021年に大阪芸術大学客員教授、2022年に日本盆踊り協会特別芸術顧問に就任するなど、多方面で活躍している。
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