1980年にDJ活動を開始してから今年8月で45周年を迎えるTRFのリーダー・DJ KOO。7月5日には、鈴木亜美との一夜限りのスペシャルライブ「Ami Suzuki - One-day Disco Night - with DJ KOO」を神奈川・横浜みなとみらいブロンテで開催する。
プライベートでは1989年11月に一般女性と結婚し、1999年に長女が誕生。愛妻家で子煩悩と知られているDJ KOOに家族への思いを聞いた。
○結婚生活36年目 借金生活だった下積み時代も振り返る
DJ KOOは、小室哲哉のプロデュースのもと1992年にTRF(当時はtrf)を結成し、1993年にデビュー。同じく小室プロデュースで1998年にデビューした鈴木亜美がデビュー27周年を迎える7月に、2人でコラボライブを開催する。
――いつも明るくて優しい印象のKOOさんですが、家ではどんな旦那さん、お父さんですか?
普段、家では「EZ DO DANCE」なんて言わないですよ(笑)。奥さんと娘と3人家族で、女性2人が話しているところになかなか口を挟めなくて、常に「パパは?」と聞かれるのを待って発言する感じです。家に帰ったらまず、奥さんの「今日こういうことがあって」という話を全部聞いて、娘にも「今日どうだった?」と聞いて。僕は聞き役です。
――結婚生活36年目ですが、これまでを振り返っていかがですか?
付き合っていた時期もあわせると奥さんとは40年ぐらい一緒にいます。TRFの活動を始める前は食べられない時期があり、借金だらけで楽器を買ったりしていて、常に300万円ぐらい借金がありましたが、奥さんは「これどうするの?」と一言も言わなかったんです。僕が日雇いの清掃業をして、1日1万円を奥さんに渡しながら生活していた時期もありましたが、「そろそろ考えなよ」ということを一言も言わずに。
――厳しい下積み時代もDJ活動を応援してくれていたのですね。
小室さんと会った時も、「これから日雇いのバイトもできなくなるけど小室さんの弟子としてやっていいかな?」と聞いたら、「あなたがやりたいならやりなさい」と言ってくれて。すべて応援に回ってくれたので、そのおかげでTRFとして成功できたというのはあります。自分の好きなことだけをやらせてくれて、奥さんには頭が上がらないです。
――家族を養うために成功するぞという思いも原動力になっていたのでしょうか。
そうですね。TRFでブレイクした時は欲しい物をいろいろ買って無駄遣いしていましたが、1999年に娘が生まれてからは無駄遣いをやめました。年取ってからの娘なので、全部娘に残していけるようにやっていこうということで、お小遣い制に変えて。それまでもお金のことは全部奥さんに任せていただんですけど。
――お小遣いはいくらですか?
今は1日2000円もらって出てきています。最初の頃はもう少しもらっていましたが、今は2000円でいいかなという感じで、5年ぐらい2000円でやっています。
――金額はご自身で考えて?
奥さんが決めたのかな。僕はそういうことを決められないので。
僕はお金がいくらあるということも全く知らなくて、90年代にTRFでブレイクして引っ越した時も、「このマンションって借りてるの? 買ったの?」と奥さんに聞いたら、「それは知らなくていいよ」って。あとで「買った」と聞きました。
――いつから奥さんにお金の管理を任せているのでしょうか。
結婚してからです。奥さんがもともと銀行員で、お金に関して長けていたので。
――頼もしい奥さんですね。
ありがたいです。
○2度の入院を経て健康をより意識「家族で長生きしたい」
――ちなみに奥さんとの出会いは?
新宿のディスコで僕がナンパしました。僕がDJをやっていて、毎週金曜日に(奥さんが)友達とディスコに遊びに来ていたので、奥さんが好きな曲をかけてナンパを(笑)。僕が23歳、奥さん19歳でした。
――即OKでしたか?
すぐOKもらいました。
――家族としての今後の抱負をお聞かせください。
家族で長生きしたいです。この間、アナフィラキシーで入院し、7年前は脳動脈瘤で入院したので、とにかくみんな健康で長生きして、少しでも家族で長く一緒にいられるというのが目標です。
■DJ KOO
1961年8月8日生まれ、東京都出身。1980年にDJ活動を開始。1992年にTRF(当時はtrf)を結成し、1993年にデビュー。「EZ DO DANCE」「BOY MEETS GIRL」をはじめ、数々のヒット曲を生み出し、トータル2200万枚以上のCDセールスを記録。2021年に大阪芸術大学客員教授、2022年に日本盆踊り協会特別芸術顧問に就任するなど、多方面で活躍している。
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