2020年10月、菅総理大臣(当時)は所信表明演説において、2050年までにカーボンニュートラルを目指すことを宣言した。これ以降、国内でも脱炭素の動きが加速している。
カーボンニュートラルは、温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させ、排出量を実質ゼロ(ネットゼロ)にすることだ。すなわち、2050年にカーボンニュートラルを達成しても、それまでは、排出される温室効果ガスの総量は増え続けることになる。
そのため、1年でも早くカーボンニュートラルを達成するためには、温室効果ガスの排出量を減らすことに加え、吸収量を増やす取り組みも重要になる。
海中で炭素を吸収するブルーカーボンとは
温室効果ガスを吸収する仕組みとしては、森林などの植物が光合成によってCO2を吸収し、酸素を排出することが知られている。この仕組みによって吸収された炭素を「グリーンカーボン」と呼ぶが、実は、陸地の植物以外にも、炭素を吸収する生態系が存在する。それは、「ブルーカーボン」と呼ばれる、海草(うみくさ)、海藻(うみも)、塩性湿地・干潟、マングローブ林などにより吸収される炭素だ。
国土の狭い日本は森林の面積を一気に増やすことは難しいが、四方を海に囲まれているため、ブルーカーボンの拡大に期待が高まっている。
ブルーカーボン生態系の育成に「鉄鋼スラグ」を活用
日本において、ブルーカーボンに積極的に取り組む企業の一つが日本製鉄だ。鉄の会社と海はあまり関係がないように思えるが、両者を結び付けるキーワードは「鉄鋼スラグ」。
鉄は鉄鉱石を主原料に、石炭や石灰石を加えて生産されるが、その過程で副産物として鉄鋼スラグが生産される。生成される鉄鋼スラグの量は、鉄1トンあたり300キログラムほどだという。
鉄鋼スラグは道路やダム、トンネルなどのコンクリート用骨材、護岸工事、軟弱地盤の改良などの用途で使用されるが、日本製鉄では20年以上前から、ブルーカーボン生態系を育む、藻場造成に活用する取り組みを行っている。
藻場とは、海草や海藻が群生している沿岸域の生態系を指す。現在、世界の海では、磯焼けが大きな問題になっている。磯焼けは、海草や海藻が枯れてしまう現象で、海の砂漠化とも呼ばれているものだ。
磯焼けの発生には海水温の上昇、水質汚濁、海藻を食べる魚やウニによる食害などさまざまな要因が絡んでいるといわれるが、鉄分をはじめとする栄養素不足も発生原因の一つとされている。
そこで日本製鉄では、豊かな海を取り戻すため、森から海へと供給される鉄分を人工的に供給する鉄鋼スラグ製品「ビバリー(R)ユニット」を開発し、2004年から全国66カ所の沿岸への適用を進めてきた。
ビバリーユニットは、鉄鋼スラグと廃木材チップを発酵させた腐植土を原料とした鉄分施肥材で、藻場の造成を助ける鉄イオンを供給する海藻のためのサプリメントともいえるものだ。
ビバリーユニットを使った「海の森づくり」プロジェクトを展開
ビバリーユニットには、透水性の良い袋に入れたビバリーバックや、麻袋に入れ鋼製の箱に充填したビバリーボックスなどがあり、用途に応じて使い分ける。そして、日本製鉄はビバリーユニットを使った「海の森づくり」プロジェクトを全国で展開している。
北海道増毛町においては、増毛漁業協同組合と共同で、2004年から磯焼け対策、水産振興を目的に、ビバリーユニットによる海藻藻場の造成に取り組んでいる。
2014年からは、増毛町別苅海岸にて、海岸線300メートルにも渡る大規模事業へと展開。造成時から毎年実施している調査で、ホソメコンブの藻場面積は、造成1年後の2015年の0.6ヘクタールから8年目の2022年には3.3ヘクタールと5.5倍に拡大していることを確認した。施工3年経過で藻場は着実に拡大。
藻場は沖合50mまで再生し、ウニ漁獲高も増加している。
またその場所はニシンの産卵場所にもなりつつあるという。このように、ビバリーユニットを使った「海の森づくり」は、CO2の吸収だけでなく、水産業の再生にも貢献している。
「海の森づくり」プロジェクトの成果が認定
そして、造成された海藻藻場では大気中のCO2がブルーカーボンとして長期間貯留されることがすでに科学的に証明されていることを踏まえて、日本製鉄と増毛漁業協同組合は2022年、共同でJブルークレジット(R)(ブルーカーボンを定量化して取引可能なクレジットにしたもの)に申請し、直近5年間の2018~2022年に吸収・固定化されたCO2量(ブルーカーボン)として、49.5t-CO2の認証を受けた。
これは、当時、北海道のコンブ藻場で初めての認証であったという。
こういった取り組みは世の中で認められ、同社は「鉄鋼スラグによる多様な生態系を支える海の森創生技術の開発」で、「令和7年度 文部科学大臣表彰 科学技術賞(開発部門)」を受賞した。
また同社は、元駐日フランス大使・現フランス永世大使のフィリップ・フォール氏が2015年に創設した世界的なレストランサイト「LA LISTE(ラ・リスト)」より、2023-24年シーズン「LA LISTE特別賞・サステナブル環境賞」に選出された。食部門以外から「特別賞」の選出は初だという。
加えて日本製鉄は2025年6月15日と16日の2日間、大阪・関西万博会場内「EXPOメッセ」および真言宗御室派総本山仁和寺(京都市、以下 仁和寺)で開催された国際交流イベント「おいしさでつながる世界」に協賛し、日本製鉄が推進する「海の森づくりプロジェクト」を紹介した。
同イベントは、官民が連携し、食のサステナビリティも追求した新しいおいしさを発信することを目的にしたもので、日本製鉄以外にも、全日本・食学会、キッコーマン、農林水産省、京都府、日本貿易振興機構、日本食品海外プロモーションセンターが参画し、これらの企業や団体のメンバーで構成される「食のサステナビリティの追求と最高峰の食の提案」実行委員会が主催したもの。
仁和寺のイベント会場には、「海の森づくりプロジェクト」の展示コーナーが設けられた。
千葉県富津市に研究施設「シーラボ」を開設
同社は、2009年4月、海の森づくりにおける鉄鋼スラグ利用の有用性と安全性を科学的に解明するため、千葉県富津市の技術開発本部に「シーラボ」(海域環境シミュレーション設備)を開設している。
シーラボでは、干潟や浅場を再現した水槽を設置し、沿岸海域環境や藻場再生に関するさまざまな模擬実験を行い、鉄鋼スラグを活用したブルーカーボン生態系のCO2吸収量算定やカルシア改質土におけるアマモ成長評価実験など、藻場造成の有用性を科学的に実証している。
2010年には、シーラボなどでの実験結果に基づいて鉄鋼スラグの利用技術に関する安全性を証明し、「ビバリーユニット」が、全国水産技術者協会において認定・登録されるとともに、全国漁業協同組合連合会が新たに制定した鉄鋼スラグ製品安全確認認証制度で安全性に関する認証を受けている。
そのため、日本製鉄の海の森づくりが漁協や自治体から信頼を得ている背景には、シーラボにおける鉄鋼スラグの利用の安全性と有用性を科学的に解明して実績が裏付けになっているといわれている。
今後も同社は、「ビバリーユニット」を磯焼けした海に設置していくという。
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