2025年9月3日に発売された『将棋世界2025年10月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)は、初タイトル獲得から5年で30期と、将棋ファンもびっくり仰天のハイペースでタイトルを獲得し続ける藤井聡太竜王・名人の軌跡を追った「藤井聡太、タイトル30期! 空前のハイペースを振り返る」を掲載しています。本稿では、この記事より一部を抜粋してお送りいたします。
○藤井竜王・名人 30期の歩み
初タイトルを獲得してから5年で30期。一時はタイトルをすべて保持していた藤井聡太竜王・名人のタイトル史を、藤井竜王・名人がタイトル戦で見せた妙手や印象的な手とともに振り返っていきます。
(以下抜粋)
○史上最年少タイトルなる
藤井が初めてタイトル戦の挑戦者になったのは20年の第91期棋聖戦だ。このときは挑戦者になる前からドラマがあった。
棋聖戦の挑戦者決定トーナメントが大詰めを迎えた頃、新型コロナによる緊急事態宣言の発令があり、将棋界でも長距離移動を伴う対局が停止されてしまったのだ。これによって、一時は藤井の最年少挑戦は絶望視された。
ところが、5月下旬に緊急事態宣言が解除された途端、対局が立て続けに付けられ、そこを勝ち抜いた藤井がそれまで屋敷伸之九段が持っていた最年少挑戦の記録をぴったり更新してしまったのである。デビュー29連勝のときもそうだったが、藤井の対局には絵に描いたようなドラマがつきまとう。藤井は強運であるとともに、ドラマを具現化する力を持っていた。
当時棋聖は三冠を持つ渡辺明。時の第一人者である。対戦前は、「さすがに渡辺ノリ」の声が多かった。
結果は、3勝1敗で藤井が初タイトルを獲得。やはり藤井は強かった。その一言に尽きる。第1局の終盤、渡辺が「詰みかと思った」という局面から藤井玉が盤面を横断して逃げまくる。とどめが逆王手で渡辺投了。中盤を耐える力と終盤の読みの正確さ。誰もが藤井の実力を認めた瞬間であった。
(中略)
○名局賞で四冠に
藤井が初タイトルを取ったのが17歳終わりの7月。1月後の8月、18歳になった藤井は王位を取って早くも二冠に。1年後の9月には叡王を取って三冠に。
第34期竜王戦第4局の終盤。私も現地控室にいたが、AIの示す評価値が先手よしから後手よしへ、そしてまた先手よしへとくるくる変わるので話題になった。最強のAIも容易に結論を出せないのだ。その高度な難解性が認められ、本局は将棋大賞の名局賞を受賞する。終盤の極限を見せるのが藤井将棋である。
(中略)
○最年少名人、七冠に
23年3月、藤井は棋王を取って六冠になった。挑戦者になれば確実にタイトルを取り、防衛戦も勝ち続ける。
最終第5局の終盤、苦戦を意識する藤井が勝負手を放つ。先手の渡辺が何とかできそうだが、これが難しい。長考した渡辺も勝ちを見つけることができず、最後は一気に藤井が押しきる。藤井の終盤力がいかんなく発揮されたシリーズでもあった。これで史上最年少の名人になると同時に羽生善治九段の記録に並ぶ七冠達成。あとは八冠に向かって前進するのみだ。
(中略)
○史上初の八冠に
23年10月。名人獲得から4カ月。藤井はついに最後のタイトルである王座を獲得した。最終第4局には歴史的なドラマがあった。
最終盤、藤井玉には▲4二金からの詰みが発生していた。仮に詰まずとも金を打てば、王手で5五の銀を取る筋もあって先手必勝の局面である。ところが、秒読みに追われた永瀬は▲5三馬と突っ込んだ。
なんと、これは詰まない。命拾いをした藤井は△6六桂の妙手を放ち、先手玉を寄せきる。21歳の八冠。空前、そして絶後かもしれない記録が誕生した。
(藤井聡太、タイトル30期! 空前のハイペースを振り返る 記/鈴木宏彦)