筆者は最近、ビジョン作りにハマっています。ビジョンがない組織にビジョンの重要性を説き、その策定を支援する機会が増えてきました。
ビジョンは単なるスローガンではありません。ビジョンとは、すべての行動を方向づける羅針盤であり、組織全体を動かすエンジンです。今回はそのビジョンについて、重要さ、作成方法、および、定着方法を紹介します。

ビジョンがなければ組織は進むべき方向を見失い、戦略は立てられず、チームの一体感も生まれません。結果として、現実とのギャップを埋める改善も難しくなり、リーダーシップも確立できなくなります。それほどに、ビジョンは大事なのです。優れたビジョンは、組織の根本的な存在意義である「パーパス(Why)」に基づいています。パーパスとは、企業の志です。

ビジョンで有名なのは、アポロ計画ではないでしょうか。アポロ計画は、アメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初の月への有人宇宙飛行計画です。1961年から1972年にかけて実施され、全6回の有人月面着陸に成功しました。筆者が子供の頃に、月面着陸の中継テレビに釘付けになったことを思い出します。
技術がまだ追いついていない状況で、まずは「月面に着陸する」というビジョンから、それを実現しています。

企業の例では、筆者がいたマイクロソフトの「すべての机と、すべての家庭にコンピュータを」があります。今となっては当たり前ですが、すばらしいビジョンだと思います(実際はミッションといって呼んでいました)。
ビジョンは「ゴールデンサークル」から生まれる

ビジネスの概念を分かりやすく説明する「ゴールデンサークル」というフレームワークがあります。人はまず感情で物事を決め、後から合理的な理由をつけます。そのため、Why、How、Whatの順に説明することで、相手に深く共感させ、論理的な理解も促せるのです。実は、人間の脳がそのようになっているのです。感情は古くからある大脳辺縁系、論理は発展してきた新皮質で処理しており、人間は大脳辺縁系で判断するのです。

Why(なぜ):すべての土台となる組織の存在意義です。これは人々の感情(大脳辺縁系)に直接訴えかける部分であり、ブランドの差別化を生み出す源泉となります。
How(どのように):組織が大切にする価値観や行動指針(バリュー)を指します。
What(何を):組織が行う具体的な活動(ミッション)です。


Whyとは、ある意味で共有の夢です。マーチン・ルーサー・キング牧師の"I have a dream"のように、夢は共通の理念や価値観を持つ人を引き付けます。"I have a dream"の全文を読まれると、未来のイメージが鮮明に想像できます。イメージを持つことで、組織が強くなるのです。
全体構造とCiscoのVSEMフレームワーク

ビジョンは、戦略や戦術といった組織の行動と密接に関係しています。ビジョンは「目指す理想の世界や場所」であり 、戦略は「そのビジョンへの行き方」、戦術は「戦略を実行する方法」を指します。ビジョンがなければ戦略は立てられません。

この構造を具体的に実践するためのフレームワークの例として、Cisco Systems(シスコシステムズ)の「VSEM(Vision, Strategy, Execution, Metrics)」があります。

V(Vision):5~6年後のありたい姿。顧客にどのような価値を提供するのかを描きます。
S(Strategy):ビジョン実現に向けた2?4年間の道筋。他社との差別化を生み出す方法を定めます。

E(Execution):戦略を実行するための具体的な計画です。
M(Metrics):実行の目標となるKPI(重要業績評価指標)です。

このフレームワークは、当時のCisco SystemsのCEO、ジョンチェンバースがまず作成して、すべての階層で、末端の社員まで一貫性を持って作成されていました。これによって、ビジョンの浸透と戦略の一貫性が図れていました。筆者がCisco Systemsを離れて10年くらい経ちますが、当時学んだことをいまだに多く利用しています。
クリエイティブ・テンションを生かす

ビジョンを掲げると、理想と現実の間にクリエイティブ・テンションが生まれます。理想が左手で、現実が右手だとして、ここに輪ゴムでテンションがある状態を想像してみてください。クリエイティブ・テンションとは、現実をビジョンに向かって創造的に押し上げる力であり、組織の成長の源泉となります。

一方で、「エモーショナル・テンション」は、ビジョンを現実に合わせて引き下げる力であり、いわゆる、現状維持に陥る原因となります。リーダーはクリエイティブ・テンションを生かして、組織を前進させる必要があります。

これは、スティーブン・コヴィーが提唱した「7つの習慣」の「終わりを思い描くことから始める」という考え方にも通じます。すべてのものは「頭の中」と「形」の二度作られるという原則は、まずビジョンという設計図をしっかり描くことの重要性を示しています。
7つの習慣は人生で3回は読むことをお勧めします。筆者も最近、読み直して感動しました。
ビジョンの作成方法

ビジョンとはある意味、夢です。共通ビジョンを作るためには、その組織の主要なメンバーが集まって夢を語るのがよいと思います。それを集約するような形でビジョンを作っていきます。

その一方で、未来に起こることを予測する必要があります。夢だけではなく、そのときに現実がビジョンに影響するからです。その予測で有効なのが、シナリオプランニングです。シナリオプランニングは、未来に起こることを予測するのではなく、想像、仮定して、不確実だがビジネスの影響度の高いシナリオを作る手法です。

ここで言う不確実とは、一つの結論に終結するのではなく、複数の結論が考えられることです。シナリオプラニングについては、筆者が以前に書いたこちらの記事を参考にしてください。

ビジョンには、その組織や個人の個性(ならでは)が反映されていることが重要です。
また、達成できる(can)という手応えと、それを想像しただけでワクワクするような気持ちが不可欠です。

5年後のビジョンが実現した会社、組織、社員、顧客、パートナーなどの状態を新聞の形式で表現しても面白いと思います。インターネットで調べると「未来空想新聞」なるものがあるので、参考にされるといいと思います。また、昨今の生成AIの能力を使えば、未来のイメージを動画でも作成できますね。

ただ、これだけでは、実は良いビジョンは作れません。多くの場合、どこの組織でもあるようなビジョンになってしまいます。このため、パーパス(志)を実現するため、過去にどのような努力を組織がしてきたかと議論してまとめます。その要素が礎となり、ビジョンに組織ならではの個性を作り出せます。

また、ビジョンは行く先であり、現状からの違いを明確化しなければなりません。現状の課題を放置したり、古い慣習をやめたりすることが大事なのです。多くの企業のパーパスやミッションがありきたりになるのも、現状をしっかり見ていないことが原因だと思います。
ビジョンを組織に浸透させる実践方法

ビジョンは作成するだけでなく、組織全体に深く根付かせることで初めてその力を発揮します。
言語化とストーリーテリングとして、なぜこのビジョンなのか、なぜビジョンが必要なのか、そしてビジョンが実現した世界で社員はどうなるのかを明確に言葉にします。そのための手法として、以下を参考にしてみてください。

タッチポイントの活用:作成したビジョンを、Webサイトや社内イントラネット、会社のスライドテンプレート、会社案内、IR資料など、あらゆる場所で発信します。会議の冒頭や終わりでビジョンを語り、日常的な行動に落とし込むことで、社員の意識に浸透させます。

カスケードダウン:会社のビジョンをもとに、各部門やチームが独自のビジョンを作成し、全体で整合性を保ちながら展開します。これにより、従業員一人一人が自身のビジョンを持ち、組織全体の目標に向かうことができます。

ビジョンは、組織が目指す理想の姿や世界であり、戦略を立てるための羅針盤です。これがなければ、戦略は作れず、組織は方向性を見失ってしまいます。何よりも、ビジョンがない組織で働きたくないですよ。ビジョンは到達地点であり、状況に応じて変更すればいいのです。まずは言語化しましょう。

北川裕康 キタガワヒロヤス 現在は独立して、経営・営業&マーケティングのコンサルティングサービスを上場企業やベンチャー企業、および外資日本法人に提供している。2025年3月末までAI inside株式会社の執行役員CPO(Chief Product Officer)。38年以上にわたりB to BのITビジネスに関わり、マイクロソフト、シスコシステムズ、SAS Institute、Workday、Infor、IFS などのグローバル企業で、マーケティング、戦略&オペレーションなどで執行役員などを歴任。大学は計算機科学を専攻して、富士通とDECにおいてソフトウェア技術者の経験もあり、ITにも精通している。前データサイエンティスト協会理事。マーケティング、テクノロジー、ビジネス戦略、人材育成に興味をもち、学習して、仕事で実践。書くことが1つの趣味で、連載や寄稿多数あり。 この著者の記事一覧はこちら
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