ファッション誌「ViVi」(講談社)の専属モデル、嵐莉菜の映画初出演&初主演作となる日仏合作映画『マイスモールランド』が、5月6日(金)から全国公開されます。第72回ベルリン国際映画祭で、アムネスティ国際映画賞の特別表彰を日本で初めて授与されたことでも話題の本作は、在日クルド人の少女、サーリャ(嵐)が、在留資格を失ったことをきっかけに自分の居場所について葛藤し、成長していく姿を描いた物語です。

今回クランクイン!トレンドでは、サーリャを演じた嵐にインタビューを実施。初挑戦となる演技で印象に残ったシーンや、5ヵ国のマルチルーツを持つ嵐自身が感じた“アイデンティティーへの悩み”について聞いてきました。(取材・文=楢崎瑞姫/写真=松林満美)

■意識したのは“表情”の変化

――本作は第72回ベルリン国際映画祭、全部門の作品から選出されるアムネスティ国際映画賞の特別表彰を、日本で初めて受賞しました。受賞を知らされたときの率直な感想を教えてください。

あまり実感はないのですが、評価していただきたい作品だったので、特別表彰を授与いただけたことがすごく嬉しいです! 日本の方々の反応もとても楽しみです

――複雑なバックグラウンドをもつクルド人のサーリャ。演じる上で意識したことはありますか?

最初の頃のサーリャは自分のことを友達にもあまり話さなかったし、色々なことを隠していた部分があったので、できるだけ感情が表に出ないように、何を考えているか分からないイメージで演じました。聡太(奥平大兼)と出会ってからのサーリャは、自分のことを打ち明けるようになったので、それと同時に表情が豊かになるように意識しました。

――川和田恵真監督から演技についてアドバイスはありましたか?

自分がうまく理解できない繊細な演技の部分は、監督がとても丁寧に教えてくださったので、それを台本にメモしてイメージトレーニングをしていました。

ただ自分が考えていたサーリャと、監督が考えていたサーリャが違った時には、何度かNGを出してしまい、「どうしよう」「ちゃんとやらないと」と焦って、プレッシャーを感じたこともありました。でも、その度に私が自分で考えられるように、監督がヒントを与えてくれました。

――演技につながる答えではなく“ヒント”なんですね。

そうなんです! 監督のヒントを受けて、色々と試行錯誤することによって、自分の中でサーリャがどんどん出来上がっていきました。
自分自身の大きな成長につながったと思いますし、監督にはすごく支えていただきました。

――印象的なシーンが多い本作ですが、嵐さんが特にこだわったシーンはありますか?

最後のシーンです。サーリャのこれまでの思いや、さまざまなメッセージを伝えなければならないのが難しくて…。

その時に監督とお話しをして、これまでの撮影期間でサーリャになりきったことを思い返し、その思いを全て映画のラストシーンにぶつけました。何回も撮り直して苦労した部分ではありましたが、こだわりの詰まったシーンになりました。

――個人的にはサーリャが聡太と話し、自分のことを打ち明けるシーンがすごく印象的でした。奥平さんとのやりとりで、印象に残っていることはありますか?

奥平さんは、休憩時間に話し相手になってくれていたこともあって、本当に友達のように会話をしながら演じることができました。あのシーンは“素の私”でもあるし、“サーリャの素”をうまく出せた部分でもあります。

それに、映画の撮影前に、ワークショップなどで共演者の方々とコミュニケーションを取る機会があったのですが、そこで奥平さんとは趣味が合うこともあって仲良くなれたので、その関係性がサーリャと聡太に表せられていたのであれば、すごく嬉しいです(笑)。

――とてもすてきなシーンでした! 本作で描かれている「当たり前の生活が、ある日突然奪われてしまう」という点は、現在のコロナ禍で生きる私たちにも少し通じる部分があるのではないかと思います。日常が大きく変化した今、本作を演じ切った後で、嵐さんの中で感じた心境の変化などがあれば教えてください。

やっぱり考え方は大きく変わりました。
今まで知らなかったことをこの映画を通して知りましたし、さまざまな状況で悩んでいる人が世の中にはたくさんいるんだと思いました。

アンデンティティについて悩みを持った人が「自分は自分でいいんだ」と思える世界になってほしいし、もっと自分を大切にしようと思えました。

■中学生までは「日本人に生まれたかった」

――嵐さん自身もサーリャと同じく、アイデンティティーについて悩んだことがあったそうですね。

幼稚園の頃から自分の髪色や外見など、ほかの子と違うことに気付いていて、それが嫌になってきたのは小学生の頃でした。レストランに行っても外国語のメニューを渡されたり、「日本語話せるの?」と聞かれたり…。

――そこからどうやって乗り越えられたのでしょうか?

中学生くらいまでは「日本人に生まれたかった」とずっと思っていました。でも、高校に入ってから「私も外国のルーツが欲しかった」とか「その髪色になりたいな」とか、それまでネガティブに言われていたことが、ポジティブに言われるようになって。そのあたりから「自分はうらやましがられるものを持っているんだ!」と気付いて、自分を誇りに思えるようになりました。自分自身が変わったというよりは、周りの受け止め方が変わったことが大きかったですね。

――周りが肯定してくれたことで、自分のアイデンティティーを認めることができたんですね。

そうですね。小学生・中学生の頃は、思ったことを相手に何気なく言ってしまいがちな年代だったのだと思います。
高校生になってからは悪く言ってくる人はいなかったので、それがすごく嬉しかったです。

■日本と世界の架け橋になれるような人に

――モデルとしての活動に加えて、女優としての活動、バラエティー番組への出演なども増え、今までと環境の変化を感じることも多いかと思います。不安や戸惑いを感じることはありましたか?

演技に関しては、自分が演技初経験だったこともあり、「私が主演で足を引っ張ってしまうのではないか」という不安やプレッシャーを感じましたし、大好きなバラエティー番組に出演させていただいたときも「私が出ていいのかな」と戸惑うこともありました。

ただ周りには自分のために動いてくださる方がたくさんいるので、その人たちのためにも絶対に成功させたいという気持ちで不安やプレッシャーは乗り越えていました。それに「周りの方にいつか絶対恩返しをしたい」という気持ちが、仕事を頑張る原動力にもなっています。

――今後、挑戦してみたい役柄はありますか?

一番やりたいのは悪役です(笑)。演技で“自分が普段なれないような人になる”ことがすごく楽しいので、悪役や自分と全く違う性格のキャラクターを演じてみたいです。あとは、アニメの実写化も大好きなのでやってみたい! すごく憧れています!

――最後に今後の目標やかなえたい夢を教えてください。

モデル業はこれからもどんどん成長していきたいですし、演技の仕事もすごく興味があります! 研究して、モデルと演技のお仕事、どちらも任せてもらえるような人になり、最終的には日本と世界の架け橋になれるような人になりたいです。

【『マイスモールランド』概要】
公開日:5月6日(金)

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