アートディレクター・映画ライターの高橋ヨシキによる連載〈高橋ヨシキの最狂映画列伝〉。第2回は、サム・ライミ監督の初のスタジオ映画『XYZマーダーズ』(1985)を取り上げる。
最新作『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(2022)まで通ずる、ライミ監督の<スラップスティック=ドタバタコメディ>への狂気愛を考える。
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■『死霊のはらわた』で華々しくデビュー
「映画監督の初監督作品には、その監督の全てが詰まっている」とよく言われる。これは作家主義的な考えに基づく物言いなので、必ずしも全ての映画監督に当てはまるわけではないのは言うまでもない。しかしながら、往々にして「あれっ、本当にそうだなあ」と思わされる「第一回監督作品」に出会うこともまた事実だ。なぜなら誰にとっても「第一回監督作品」がそのまま「生涯で一本の監督作品」になってしまう可能性があるからで、意識するとしないとに関わらず、作家性の強い監督は最初のチャレンジに己の全てを注ぎ込んでしまうからだ。そして運良く2作目、3作目が撮れたとしても、毎回「これが最後の作品になるかもしれない」という条件は変わらないため、彼ら彼女らは自身の作家性を作品に強く反映させようと間断なく努力を続けることになるーーそうやって「作家」が誕生する。
1981年、『死霊のはらわた』で華々しくデビューを飾ったサム・ライミ監督はどうだっただろうか? 確かに『死霊のはらわた』には間違えようのないサム・ライミ監督の刻印が全てのコマに刻み込まれている。それは高校時代、大学時代に仲間たちと8ミリ映画を作り続ける中で獲得した、研ぎ澄まされたタイミングの感覚であり、何がなんでもこの一本で映画界に殴り込みをかけるのだ、という意志がもたらした「映画的」としか形容できない表現のつるべ撃ちであり、パワフルでノンストップな怒涛のスプラッター展開の中に垣間見えるスラップスティック感覚である。
スラップスティックはサム・ライミが、スコット・スピーゲルやブルース・キャンベルらと「メトロポリタン・フィルム・グループ」という名義で8ミリを撮っていた時代のトレードマークである。彼らはテレビで放映されていた『三ばか大将』の大ファンで、『三ばか大将』そのままの暴力ギャグは「メトロポリタン・フィルム・グループ」のほとんど全ての8ミリ映画で再現されている。『三ばか大将』だけではない。そこには『マルクス兄弟』シリーズを踏襲したナンセンス・ギャグもあれば、『モンティ・パイソン』的なディスコミュニケーション・ギャグもあった(コメディはどれも基本的にディスコミュニケーションを基軸とするものだが、『モンティ・パイソン』あるいは『フォルティ・タワーズ』はそれを極限まで推し進めたと言ってよいと思う)。
ただそのようなオリジナルの8ミリ・フィルム作品を作っているとき、自分がプロの映画監督になれるとサム・ライミは考えていなかった。
■『死霊のはらわた』の戦略的ヒット そして『XYZマーダーズ』始動
それが変わったのは、大学に入って(兄のルームメイトだった)ロバート・タパートと出会ったからである。ロバート・タパートはサム・ライミの8ミリ作品に可能性を見出し、資金集めをして実際に映画館にかかる作品を作ろうと提案した。サム・ライミが大学時代に撮った初の長編8ミリ映画『It’s Murder!』(1977)の学内上映会での反応は芳しくなかったが(サム・ライミはそれで大変落ち込んだという)、特定のショック場面や恐怖演出が観客の強い反応を引き出していたのをロバート・タパートは見逃さなかった。その長所を活かして作られたのが『死霊のはらわた』だったわけだが、スラップスティックではなくホラー作品を選んだ理由にはもうひとつ、「素人しか出ていないコメディ作品で興行的な成功を勝ち得ることは不可能に近い」という冷静な判断も働いていた。『死霊のはらわた』は戦略的な作品で、ジャンルの選択自体もその戦略性のうちにあったのである。
ライミとタパートの目論見は奏功し、『死霊のはらわた』は大ヒット、わずか22歳のサム・ライミの才能は業界の注目を浴びることになる。『死霊のはらわた』の製作で知り合ったイーサン&ジョエルのコーエン兄弟が書いた『XYZマーダーズ』の脚本にゴーを出したのはエンバシー・ピクチャーズ。70年代から80年代にかけてジャンル映画を量産したエンバシーは1981年に『魔界からの逆襲』というオカルト・ホラー映画を作っているが(学校のドッジボールの試合でボールを腹に食らった生徒が口からドバーッと血を吐いて死ぬ場面が印象的)、この『魔界からの逆襲』の編集を担当していたエドナ・ルース・ポールが『死霊のはらわた』を編集していたとき、助手でついていたのがジョエル・コーエンだった(エドナはコーエン兄弟のデビュー作『ブラッド・シンプル』(1984)にも編集コンサルタントとして参加している)。サム・ライミにとって初の「スタジオ映画」となる『XYZマーダーズ』がこうして動き出した。
『XYZマーダーズ』の物語を要約するのは難しい。映画はある夜、デトロイトの刑務所で一人の無実の男が電気椅子へと連行されていくところから始まる。
ヴィックという名の冴えない男(リード・バーニー)は何件もの殺人の容疑をかけられて逮捕され、いまや彼の命は風前の灯火である。電気椅子の処刑が刻一刻と迫る中、観客はヴィックの回想という形で、とある嵐の晩に起きたスラップスティックな一連の大騒動を目撃することになる。共同経営者を殺そうと企んだ男とその妻、彼が殺人を依頼した二人組の殺人請負人(「ネズミから人間まで」なんでも殺すのがモットー)、ヴィックが出会った夢の美女ナンシー(シェリー・J・ウィルソン)、イヤミでイケメンな彼女の元カレ(ブルース・キャンベル)がさまざまなドタバタ的なシチュエーションの連続の中で交錯する『XYZマーダーズ』は、スラップスティックであり、フィルム・ノワールであり、ヒッチコック的なサスペンスもあれば派手なアクションもあるという、「究極のエンターテインメント映画」(サム・ライミ)になるはずだった。足りないのは『死霊のはらわた』を真っ赤に染め上げた血糊だけだったーー『XYZマーダーズ』には一滴も血が映らないのである。
■現場は大混乱!
『XYZマーダーズ』の現場はトラブル続きだった。自主映画とまったく違う「スタジオ映画」の現場にサム・ライミと仲間たちは戸惑い、一方でスタジオ側は予算もスケジュールもまともに管理できないライミたちに不信感を募らせた。殺人を依頼した男の奥さんを演じたルイーズ・ラサーは『XYZマーダーズ』最大の「スター」だったが(彼女はウディ・アレンの元妻で『何かいいことないか子猫チャン』『ウディ・アレンのバナナ』『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』などに出演)、彼女はメイクアップは自分でやると頑として譲らず(スタッフは彼女のメイクアップがまるで「白塗り」だと陰でささやいていた)、おまけにコカインに溺れていた。殺人鬼の一人を演じたブライオン・ジェームズ(『ブレードランナー』のレオン役で有名)も当時はひどいコカイン中毒で、撮影中に滞在先のホテルの部屋をラリッてメチャクチャに破壊した。立ち並んだドアが次々と倒れるというギャグ場面では、思ったより早く倒れたドアのプロップがもう一人の殺人鬼を演じたポール・スミスを押しつぶした(幸いにしてけがはなかった)。多数のスタッフに囲まれ、時間に追われるプロの現場でサム・ライミも疲弊していった。ようやくのことで撮影を終えたサム・ライミだったが、彼には編集のファイナル・カット権も与えられていなかった。
にも関わらず、完成した『XYZマーダーズ』は100%サム・ライミの作品としか言いようのないものに仕上がっている。
これは驚くべきことだ。テンポ、画角、語り口、ギャグ、それにキャラクター。1980年代初頭のデトロイトで撮影しているにも関わらず、どこか1930年代~40年代を思わせるクラシックな手触りも特筆すべきものだ。余談になるがコーエン兄弟はのちの『未来は今』(1994)で時代は違えど類似のレトロ感覚を追求し……そしてまたもや興行的に失敗した。スラップスティック同様、「レトロ映画」でヒットを狙うのもなかなかに難しいのである(その手の作品は1970年代には大いに歓迎されたが、80年代、90年代になると徐々に下火になっていった)。
■サム・ライミの“究極的作品”としての『XYZマーダーズ』
結果、『XYZマーダーズ』はまともに劇場公開すらされず、興行は大惨敗に終わった。サム・ライミは『XYZマーダーズ』で何を成し遂げようとしたのだろうか? 究極のノンストップ・スプラッター映画『死霊のはらわた』で世に出たものの、ホラー・ジャンルに閉じ込められるのを恐れたということは確実にあるだろう。得意のある意味クラシックなスラップスティックが現代でも有効だと示したかった、ということもある。事実サム・ライミはその後のキャリアを通じて、スラップスティック愛、あるいは『三ばか大将』愛をついぞ手放すことはなかった。そして先にも書いたように、観客が笑い、驚き、スリルとサスペンスを体感できるエンターテインメントの極北に迫りたい、という気持ちが『XYZマーダーズ』を真のサム・ライミ映画たらしめている。この感覚は(現時点での)最新作『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(2022)でもまったく変わっていない。というか、『XYZマーダーズ』の失敗で窮地に追い込まれたサム・ライミが次に放った『死霊のはらわた2』――もう一度ヒット作を作らないと映画界のキャリアが終わる、という切迫した状況が生んだ続編だ――において、『XYZマーダーズ』のテイストがそのまま継承されていることを考えるに、サム・ライミ自身が『XYZマーダーズ』の「失敗」を要素に還元していないことは明らかだ。
スラップスティックもサスペンスも、『三ばか大将』ギャグの数々も、それ自体の持つ力への確信がサム・ライミの中で揺らぐことは決してなかったのである。
<高橋ヨシキ>1969年生まれ。早稲田大学第一文学部中退・復学のち除籍。雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなどメディアを横断して映画評論活動を展開。著書に、『悪魔が憐れむ歌』(洋泉社)シリーズ、『高橋ヨシキのシネマストリップ』(スモール出版)シリーズ、『暗黒ディズニー入門』(コア新書)、『高橋ヨシキのサタニック人生相談』(スモール出版)など。8月26日より、長編監督デビュー作『激怒』の公開が控える。
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