2003年にフジテレビで放送された『Dr.コトー診療所』が、16年の時を経て映画化されることが発表。主人公を演じるのは、連続ドラマから主演を務める吉岡秀隆。
ドラマシリーズを手掛けた中江功が監督を務め、脚本も吉田紀子が続投する。
【写真】2020年に再放送された『Dr.コトー診療所2004 特別編』場面写真
『Dr.コトー診療所』は、累計発行部数1200万部を超える山田貴敏の同名漫画を元に、僻地の離島を舞台に、東京から赴任してきた外科医“Dr.コトー”こと五島健助と島の人々との関わり合いを通して命の尊さを描くストーリー。平均視聴率19%、最高視聴率22.3%の大ヒットを記録。続く2006年に放送されたシーズン2でも、シーズン1を上回る平均視聴率22.4%、最高視聴率25.9%という驚異の高視聴率マークした国民的大ヒットドラマだ。
そんな『Dr.コトー診療所』が、前作の放送から16年の時を経て映画化される。青い空と美しい海、雄大な自然に囲まれた志木那(しきな)島の舞台はそのままに、あれから16年経った今も変わらず島の人々と寄り添いながら生きるDr.コトー・五島健助の新たな物語を描く。
主人公を演じるのは、連続ドラマから主演を務める吉岡秀隆。若干7歳で『八つ墓村』に映画初出演、その後山田洋次監督が手掛ける映画『男はつらいよ』シリーズや、倉本聰が脚本を手掛ける「北の国から」シリーズなど、数多くの国民的人気を誇る作品に出演。さらに2005年、そして2007年にそれぞれ公開された『ALWAYS 三丁目の夕日』と、その続編『ALWAYS 続・三丁目の夕日』では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど日本が誇る名優の一人。16年の時を経て描かれる新たな物語で、自身の代表作であり、代表役ともいえる“コトー先生”として帰ってくる。
監督を務めるのはドラマシリーズを手掛けた中江功。2020年、2021年に放送されたスペシャルドラマ『教場』をはじめとして、繊細かつ骨太な人間ドラマを得意とする中江監督は『若者たち2014』(2014)、『早子先生、結婚するって本当ですか?』(2016)など吉岡が出演するドラマも数多く演出。
連続ドラマの放送が終了した後も、その都度“志木那島の今”について吉岡と話を交わしていたということもあり、監督曰く「吉岡さんとは雑談も交えて、続編の可能性について会うたびに話していたんですが、コロナ禍に入って、人の生死について考えることがありました。そのなかで“もう一度このメンバーで『Dr.コトー』を作りたい”という話になりました」というように、そこから一気に映画化の企画が動き出した。
そして、脚本を手掛けるのは同じくドラマシリーズも手掛けた吉田紀子。ドラマシリーズで、多くの視聴者の心を鷲掴みにする物語を紡いできた吉田が、本作で、吉岡も思わず「切なくて涙があふれた」と思いを語った心震える脚本を書き上げた。さらに、撮影、照明、美術、音楽など制作スタッフも本作のために再集結した。
加えて、スーパーティザービジュアルも解禁。今もなお志木那島にある診療所の前に佇むコトー(吉岡)がどこか遠くを見ているような儚げな表情浮かべるビジュアルは、ドラマシリーズをリスペクトしたもの。その佇まいから、16年の空白の期間もコトー先生の物語は島で紡がれてきたかのような、あたたかさと哀愁を感じることのできるビジュアルとなっている。
映画『Dr.コトー診療所』は12月16日より全国公開。
主演の吉岡、中江監督のコメント全文は以下の通り。
<コメント全文>
◆吉岡秀隆(五島健助役)
「Dr.コトー診療所」は、それまで20年間純役を務めた「北の国から」が終わったタイミングで、連続ドラマがはじまりました。中江監督が純のイメージを変えて、役者として新たな命を吹き込んでくれた作品なので、僕にとってはとても大事な作品であり、役でもあります。
最初に今作の脚本を読んだ時は、本当に切なくて涙が溢れました。
この作品を映画にする意味や、16年の月日の流れも含めて、大事なものをスクリーンに映すために、監督、スタッフと一緒に作品を磨いています。
与那国島でのロケは久々でしたが、自転車で少し走ってみたらお母さんと小さいお子さんが「コトー先生!」と呼びかけてくれて…。もう16年も経ってるのにこんなに幼い子がそう言ってくれるのがすごく嬉しかったです。「ずっとこの島ではコトー先生はコトー先生なんだ」と思うと、とても嬉しかったですし、頑張らなくちゃいけないと思いました。
いろんなものを背負っていて白衣はまだ重いですが、クランクアップまでの長い長い坂道を、信頼しているスタッフ、キャストの皆さんと一緒に上っていきたいと思います。
◆中江功(監督)
2003年は「コトーが島の人に受け入れられる」、2004年のスペシャルドラマは「身近な家族が病気になり別の形のつながりが島の人たちと出来ていく」2006年は「一番近い存在が病気になって、より「家族」を想う」というテーマを元にそれぞれ作ってきましたが、正直『Dr.コトー』としてはやりつくした感がありました。
その後も吉岡さんと会うたびに雑談も交えながら、続編をやるなら何をやるか、TVドラマでやるのか、映画でやるのかなど話していたんですが、大きなテーマが決まらず「さぁやろう!」とは中々ならなくて、そんなときにコロナ禍に入りました。
コロナ禍以降、会えなくなってしまった人が何人もいて、人の生死について考える時間も増えました。「やりたいことはやれるときにやらないと」と思いましたし、吉岡さんにも「もう一度同じメンバーで『Dr.コトー』をやりたい」という話をしました。
「監督がやるなら…」とOKはしてくれたものの、やっぱりプレッシャーはありましたね。吉岡さんが「コトー先生は常に何かを抱えていないと、あの坂道で自転車のペダルを踏むことができないと思うんです」と言っていたのを覚えていたので。
でも、「今回はこれをやろうか」という話ができてからは一気に話が動き出しました。映画になるまでの16年間も、島の人たちは相変わらず島で生きている、これからも生きていってほしい、というのが今回やりたかったことです。そして島の現在の美しい姿をスクリーンに映し出すというのももう一つのテーマになっていると思います。
与那国島に久しぶりに降り立ったとき、島のみなさんに「おかえり~」と声をかけていただけたのが嬉しかったです。
16年経っても変わらず暖かく応援していただいている島民の方々には感謝しかありません。
16年ぶりの撮影だったので、吉岡さんがコトー先生になれるのか少し心配もあったのですが、初日の往診のシーンの表情を見て声を聞いて、一瞬にして戻っていることに「あ、大丈夫だ」と安心しました。
まだまだ撮影中ですが、僕も、ファンの一人として、コトー先生が今どう過ごしているのか見届けたいと思います。
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