2020年に始まった実写『岸辺露伴は動かない』シリーズのキャスト&スタッフが再結集した映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』。今回の舞台はフランス、パリのルーヴル美術館。

人気漫画家・岸辺露伴(高橋一生/青年期:長尾謙杜)の過去につながる「この世で最も黒く、邪悪な絵」の謎を追い、露伴と担当編集の泉京香(飯豊まりえ)のコンビが旅立つ。シリーズをけん引してきた高橋と飯豊は、『岸辺露伴は動かない』ひいては『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズのオリジナリティーをどこに感じているのか? 撮影の舞台裏と共に語ってもらった。

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■『ジョジョ』は哲学書

――1987年に連載開始された、荒木飛呂彦による『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズは、今年2月にスタートにした第9部『The JOJOLands』に至るまで世界的人気を保持し続けています。『岸辺露伴は動かない』を含めたシリーズ独自の魅力を、お二人はどう分析されていますか?

高橋:漫画にはアニメ化やゲーム化、実写化などなど、さまざまな出力方法があると思いますし、作劇の面白さや画(え)自体の面白さなど、総合力が詰まったものです。ですが『ジョジョ』はそれらを全て度外視して、荒木先生の哲学が詰まっています。ある種、『ジョジョ』は哲学書だと思います。

僕は「人間がどう対応していくのか」という表向きの出力よりも、その出力が起こっている内部にフォーカスを当てて描写していくのが荒木先生だと感じています。ただ単純に勝つだけだったら勝てるけれど、こういう勝ち方はしたくない――これこそまさに哲学だと思いますし、それが主人公だけではなくて多くの登場人物たちに共通しています。

露伴が登場する第4部『ダイヤモンドは砕けない』でいうと、露伴もそうですし、敵側である吉良吉影も“動機”をちゃんと語ってくれます。あれは、少年誌においてはある意味危険なことだとも思うんです。切り取った手を紙袋に入れて持ち歩きながら生活していて、それなのに「静かに暮らしたい」という猟奇的な感覚…。あれを当時理解できている子どもがいたんだろうか?と思うと同時に、しっかりと筋道が通っているから納得できてしまう気持ちも確かにあって。


「人間は突拍子もないジャンプの仕方を志向してしまう」という人間学といいますか、「人間とはこういうもの」という提示を虚構の世界の中で描いているのが『ジョジョ』の面白さ、そしてとんでもなさだと思います。

飯豊:今まで出会った『ジョジョ』ファンの方々は、「(『ジョジョ』を知らない人が)どうしたら『ジョジョ』にハマってくれるのだろう」というような、作品への愛がすごいと感じました。

――人生哲学であり、人間賛歌ですもんね。

飯豊:一生さんがおっしゃられたように、生き方や生きざまの物語だからこそなのでしょうね。ファンの方々の集いなども含めて、なかなか他では見られない熱量のあるシリーズだと感じます。

――漫画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は、荒木先生がルーヴル美術館からバンド・デシネ(フランス語圏の漫画)プロジェクトの依頼を受け、描き下ろした作品です。高橋さんは「第一期の撮影時、演出の(渡辺)一貴さんと、あくまで夢の話として『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』の話をしていました。いつか実際に、パリで撮影が出来たら、と」とおっしゃっていましたが、決定した際にはお二人でどんなお話をされましたか?

高橋:実は何も話していないんです。第1期から冗談めかして話していて「そのお芝居は『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』のために取っておいてください」なんてことを言われていました。まさか本当に作品として立ち上がるとは思っていませんでしたが、冗談で言っていたようなことが本当になったことに対する驚きはほとんどありませんでした。自然に来てしまったような、不思議な感覚です。

飯豊:本当に驚く間もないくらいでした。
「もしかしたら続編があるかも」というお話はいただいていましたが、まさか『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を映画化されるとは予想していなかったのでうれしかったです。

高橋:撮影では、非常にスムーズに日本からパリに行くまでの流れを作ってくださっていたので、まるで縫い目なく臨むことができました。

――その体制も影響しているのかもしれませんが、本シリーズの持つ怪奇的なエッセンスが舞台をパリに移しても続いているのが新鮮でした。

■パリでも崩れない『岸辺露伴』スタッフのチームワーク

高橋:ちょっと先回りしてお話ししますと、今回はルーヴルで終わらない話です。あるルーツに回帰していく物語ですから、それもあるのかもしれません。僕は一昔前の日本映画とフランス映画が互いに影響しあっていた時代のことを想起しました。

こうした相互関係でいうと、アンドレイ・タルコフスキー監督がまさにそうです(『惑星ソラリス』ほか。黒澤明監督と盟友だった)。このシリーズにはタルコフスキー監督の作品が持つ不可思議な世界観を感じていて、それが今回ルーヴルで撮ることができて、日本に戻ってきて根源的な話になっていく。非常に良く作られた脚本だなと思いながら芝居をしていました。色味もある意味欧米的ではないですし、起承転結の軸がズレていて映画としてアーティーなものになっている感覚はありました。

――その世界観を生み出したのは、高橋さんが常々おっしゃっている「総合力」かと思います。
『岸辺露伴は動かない』チームならではの特徴はどういったところにあると感じますか?


高橋:アイデアの持ち寄り方に押しつけがないことだと思います。このチームには「自分はこういうものを用意してきました!」と主張してくる人が誰一人いないんです。それこそ「用意、スタート」となってお芝居をしているなかで総合芸術的に見えてくるのですが、露伴邸では、本棚の中身や「こんなペンを用意してくれたんだ」「原稿はこの位置でデフォルトになっているのか」といった発見がたくさんあります。それはやはり総合力だと思います。

そして、積み重ねてきた時間も感じます。それぞれが『岸辺露伴』とその世界像を持ち寄った結果、依り代として全部を受けてやっていくわけですが、出演者に渡してくれるまでの総合力の高さとさりげなさが毎回とてもうれしいです。

飯豊:撮影の合間に本棚を見てみると、毎回本の種類が変わっていて、しかもそのエピソードにまつわる書籍を置いてくださっているのですごく面白いです。

――そうしたチームワークが、パリという異国の地の撮影でも崩れないのは素晴らしいですね。

高橋:もし一貴さんが「せっかく海外に来たんだし、もったいないからいっぱい撮っておこう」となったらどうしよう…なんて思っていたのですが、全くの杞憂(きゆう)に終わりました。今まで通りに作り込んで、サッと終わりました。それは、一貴さんの中で完全にビジョンが決まっているから。僕は2016年頃からご一緒していますが、海外撮影でも全く浮足立っていなくて「好き…」と思いました(笑)。
日仏のスタッフ間の意見の相違もなく、潔くて気持ちのいい現場でした。

――本作では露伴の過去が描かれますが、どのように芝居を構築されましたか?

高橋:僕は第1期の頃のお芝居に戻して、よりリアリティーを強めた感覚があります。僕が第1期から第3期でやらせていただいたことは、そのまま荒木先生が『ダイヤモンドは砕けない』『岸辺露伴は動かない』で行われたことにも通じるところがあります。露伴は作品ごとに、人間性が全く違うくらいの乖離(かいり)を見せる人物です。ですが、1人の人間において大切なものや向き合うことが違えば、本質的なものまで変わってしまうのではないか?と感じますし、そうした人間の個性の曖昧さをこれまでは実験させていただいてきました。その上で今回は、そうしたアプローチを試しました。

飯豊:泉くんとしては、長年一緒に漫画家と担当編集というバディとして過ごしてきて、露伴先生を支えられるようになったり、少しは信頼してもらえるようになったのかな?と、今回の台本を読ませていただいたときにそう感じて、その部分は意識して撮影に臨みました。ただ、もちろん根本的な部分は変えず、今回も楽しく演じさせていただきました。

高橋:露伴にとって、泉くんはある意味一番の強敵だと思います。彼は“動かない”のに、毎回“動かす”ネタを持ってきてしまうわけですから。そして劇中のセリフにもありますが、本当に感心しているところもある。露伴の中で「この人の持ってくるものは、自分の対応の仕方によってはもろ刃の剣だけれど自分の漫画のためになるかもしれない」とは、どこかで考えているのかもしれません。
そういった意味では、ある種の信頼は生まれていると感じます。

(取材・文:SYO 写真:小川遼)

 映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は全国公開中。

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