舞台、映画、ドラマ、そしてバラエティ番組に至るまで、常に第一線を走り続けてきた俳優・鹿賀丈史。74歳となった今も「若い人から学ぶことが多い」と現状に満足せず、芝居への情熱を滾らせる。
そんな 鹿賀が出演を熱望した作品が、宮本亞門が監督を務めるショートフィルム『生きがい IKIGAI』だ。2024年1月1日、芸名「鹿賀」の由来ともなった故郷・石川(加賀)を襲った能登半島地震。鹿賀は、未曾有の災害に心を痛めるなか、自身の俳優人生そのものを問うようなタイトルを冠したこの作品に出演したことで、俳優という仕事への強い思いや、哲学が改めて浮かび上がってきたという。
【写真】鹿賀丈史、ダンディズムあふれる撮りおろしショット
■「やりましょう」――故郷への祈りを込め、迷うことなく決断
「芸名をいただいた故郷ですからね」とつぶやいた鹿賀。地震のあと、豪雨による水害にも見舞われた能登。「どうして能登にこんなことが続くんだろう……」と穏やかな語り口とは裏腹に、その瞳の奥には故郷を思う深い痛みが滲む。
2024年の元日、日本中が悲しみに暮れた能登半島地震。石川県出身の鹿賀にとって、それは決して人ごとではなかった。被災地の惨状、遅々として進まない援助。心を苛まれる日々を送る中、一本の電話が彼の心を動かす。演出家の宮本亞門からだった。
「亞門さんから『能登の人に少しでも元気になっていただけるようなショートフィルムを撮りたい』という連絡があったんです。
僕は台本も読まずに『やりましょう、やりましょう』って即答しました」。
そこには損得勘定はない。ただ、俳優として自分にできることがあるのなら――。その一心で現場に向かった。本作で鹿賀が演じたのは、元教師で“黒鬼”と呼ばれる山本信三。災害によって全てを失い、生きる気力すらなくした男だ。家の下敷きになり「これでやっと死ねる」とまで思う絶望的な役どころだ。
「僕も一人暮らしですから、いつ自分の身に起こってもおかしくない。人ごとではないんです。山本という男を通して、災害に遭った人間がどう立ち直っていくか。亞門さんも誠心誠意込めて作っていて、台本を読んだ時、これはいい映画になるだろうなと思いました」。
故郷への祈りを自身の芝居に昇華させ、魂を込めて挑んだ山本という役。
鹿賀自身も身につまされる思いがあった。「人って人との関わり合いがなくなってしまうと、本当に孤独を強く感じてしまう。特に男性が一人で老後を暮らすとなると、それはなおさらなんですよね」と深く山本に感情移入したという。
■劇団四季、松田優作、そしてレ・ミゼラブル――出会いが俳優を育てる
53年という俳優人生は、幸運な出会いの連続だったと鹿賀は振り返る。劇団四季での鮮烈なデビュー、そして映像の世界への扉を開けてくれた松田優作との出会い。それは、彼のキャリアを語る上で欠かすことのできない大きな転機だった。
「出発が劇団四季で、『ジーザス・クライスト=スーパースター』という素晴らしい作品で主演デビューさせてもらいました。22の時でしたけれど、本当にラッキーな出発でした。そこから初の映画作品となった『野獣死すべし』で松田優作さんと出会って。僕は劇団育ち、優作さんはテレビ・映画育ち。彼はもう大スターでしたけど、すごく優しくて面白かった。どうしても一緒にいると優作さんの芝居に引っ張られてしまうことがありました。
そんなとき『おい鹿賀、それちょっとやめたほうがいいぞ』なんてフランクに言ってくれる人でした」。
劇団四季との出会い、映画との出会い、そして37歳で『レ・ミゼラブル』というまた大きなミュージカルとの出会い。「これだけいろんな作品に恵まれてきた俳優も、そんなにはいないのかもしれないなと思います。そして今回ショートフィルムでしたが、とても内容の詰まった作品に出演できました。こんなラッキーでツキのある俳優はいないですよね」と笑う。
舞台で培った表現力と、映像で求められるリアリティ。その違いに戸惑うことはなかったのか――。しかし鹿賀は「同じものだと思っています」と断言する。
「劇団の時も、舞台だからって特に大きな声を出すとか、そういうことよりもリアリティのある芝居を……と思っていましたから。映像の現場に行って違う芝居とはあまり思わなかったですね。ただ、映像の方がスクリーンを通して、より奥深いものになる。自分が演じているその奥まで見られるということは感じます」。
その根底には、演じることへの純粋な喜びがある。「役について『こうやろう』なんて考えている時間が一番楽しいんです。稽古で俳優同士が『こうでもない、ああでもない』とものを作り上げていくプロセスが面白い」。半世紀を経てもなお、その探求心は尽きることがない。
■「年を重ねたからといって芝居が上手くなるわけじゃない」
こうした芝居への飽くなき追求は、若い俳優と接するときにも強く意識しているという。本作では、生きることに希望を失った山本が、小林虎之介演じるボランティアで働く青年との交流によって、閉ざしていた心を開く。
「小林くんは、出番が遅かったのですが、初日からずっと現場にいて撮影を見ている。とても熱心な方だなと思っていました。でも芝居に入るととても肩の力が抜けてナチュラルなんです。リアリティのある芝居をするので、非常にやりやすかった。作り物ではない芝居になったのは彼のおかげ。とても感謝しています」。
若い人と芝居をすることが「とても嬉しい」と語っていた鹿賀。そこにはキャリア関係なく、どんな相手からでも学んだり、影響を受けたりすることがあるというスタンスからきている。どの現場に行っても一番年上になった今、鹿賀の視線は常に未来を担う若い世代に向けられている。彼らの持つ瑞々しい感性から刺激を受けることで、自らをアップデートし続けられるというのだ。
「年を重ねて芝居が良くなるかって言ったら、別にそうでもないっていう気がするんです、僕は。年を重ねた味は出るかもしれないですけれど、決して芝居が上手くなるわけじゃない。どっちかっていうと衰えていくことの方が多いかもしれない」。
だからこそどんな相手に対しても自分に正直に接し、謙虚な姿勢で向き合うことを大切にしているという。
74歳になった今も、朝晩の発声練習は欠かさない。そのストイックさは、俳優という仕事への深い敬意の表れだ。「いい台本、いい監督、いい芝居仲間に巡り合う。それが一番面白い。
そこには年齢も性別も関係ない。若い人との出会いも、そういうキャッチボールができて面白いですよね。やっぱり芝居をしている時が、一番生きがいを感じますから」。
俳優業を“生きがい”とためらいなく語った鹿賀の横顔は、一人の表現者としての喜びに満ち溢れているように感じられた。挑戦を恐れず、変化を楽しみ、出会いに感謝する。鹿賀丈史の俳優道は、これからも続いていく。(取材・文:磯部正和 写真:松林満美)
ショートフィルム『生きがい IKIGAI』は、7月11日全国順次公開。石川県で先行公開中。
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