葬儀屋、国税局、民事介入暴力専門の弁護士、医療機関、スーパー経営。日常生活とは地続きでありながら、その内情を詳しく知らない職業が数多く存在する。
普段は日の当たらないそんな職業をテーマや設定に置いて、重厚な人間ドラマとして数々の傑作映画を遺した映画作家がいる。故・伊丹十三監督だ。
「マルサの女」「タンポポ」…伊丹作品をフォトギャラリーで振り返る
 俳優、エッセイスト、イラストレーター、デザイナーとマルチな顔を持ち、日本映画界における成功した異業種映画監督のパイオニア的存在でもある。デビュー作であり大ヒット作となった映画「お葬式」を含む10作品の監督作すべての脚本を執筆し、それら作品は近年になってますます再評価を受けている。昨年の東京国際映画祭では、全作品のフィルム上映が行われ好評を博した。そんな中、日本映画専門チャンネルでは3月のBS放送開局を機に「伊丹十三劇場」と題し、伊丹監督作品を順次放送。大きな話題をよんだ。それを受けこの10月より、伊丹監督全作品を再度放映。そして10月6日よる9時放送の「伊丹十三劇場×日本映画レトロスペクティブ」では伊丹映画のミューズであり、妻で女優の宮本信子をゲストに招く。伊丹監督没後、多くを語らなかった宮本が初めて作品を振り返るとともに、1992年制作の映画「ミンボーの女」公開直後に起こった襲撃事件について当時の心境を明かした。

 同作は、市民を苦しめる暴力団に立ち向かう民事介入暴力(民暴)専門の女性弁護士を主人公にしたドラマだが、そのテーマゆえに伊丹監督は映画公開直後に5人組の暴漢に襲われ、重症を負った。「とてもショックでした」と心境を吐露する宮本は「小指の腱も切られてしまって、後遺症から彼の好きなギターを弾くことができなくなってしまいました。
顔も角度が違っていたら麻痺が残っていたかもしれない。本当に痛い目にあってしまったんです」と実害の大きさを物語る。そんな襲撃事件の衝撃さめやらぬ中、伊丹監督は映画「大病人」の製作を発表。襲撃事件後は身辺警護を受ける身となったが、世界各国の映画人から激賞の手紙を受け、伊丹監督は暴力に屈しない様を自ら体現した。宮本曰く、「そこには、こんなことで映画を作ることをやめない。映画を作るってことはそういうこと。表現の自由を貫こうとするならば、そういうこともあり得る」という覚悟があったからだという。

 しかし劇場のスクリーンが切り裂かれる事件も発生し、「ミンボーの女」の興行は自粛されてしまう。宮本自身は「妻としてもちろん心配だし、怖かった」というが「伊丹監督は、勇気を持って映画を作ろうと言っていました。誠実に生きていこうとするならば、怖いからといってウソで自分を抑えることは、表現者としてしてはいけないことだと思っていたんです」と代弁する。そんな伊丹監督の思いを受け止めた宮本も「映画はウソを本当のように作る娯楽。それに対して色々な意見と人がいれば、さまざまなことが起こるのは当たり前」と腹をくくっていた。
そしてこれらの経験は、遺作となった映画「マルタイの女」として世に送り出された。自らの悲劇的経験をアイディアの種として映画を製作してしまう伊丹監督のスピリットは、誰にも真似できないものだろう。

 偉大な映画人が突然の死を迎えてから、早14年。伊丹監督にとって映画とは「自分の本当に表現したい道具。本当に楽しいものみーつけ、みたいな(笑)。それが伊丹監督にとっての映画だったと思いますね」と説明する。そして宮本にとってこれら作品は「もう、宝のようなもの」。だが、これまで作品を観返したことはないという。「女優としての宮本信子というものを、この10作品で作ってもらった。同じものは2度できませんし、ですからこの13年間の10作品は、本当に濃密な時間でした」と感謝の念は尽きないが、その一方で「それはそれ。これからはこれからという風にならないといけないと思っています」と自身の中で一区切りつけたい思いもある。「年をとってから観ればいいと思っています。
今は一生懸命生きているから。それでいいじゃない?」。そんな言葉を笑顔とともに語る宮本の姿に、女優としての新たなる息吹を感じた。
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