AKB総合プロデューサーであり作詞家の秋元康氏をして「プレッシャーをものともせず、30年間、時代の“センター”にいる」といわしめた林真理子。「有名になりたい!」「作家になりたい!」「結婚したい!」「子どもが欲しい!」――周囲からは無理だと言われながらも、自分の願いをすべて自力で叶えてきたベストセラー作家のエッセイ本『野心のすすめ』(講談社)が4月17日に発売された。


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 林真理子と言えば、82年のエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が大ベストセラーに。その後、『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞、『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞を受賞。日本を代表する国民的作家である。

 今回発売された『野心のすすめ』では、子供時代の辛い過去から、仕事への思い、女性が子どもを生むタイミングなどを論じる“野心と女の一生”まで赤裸々に告白。糸井重里に認められたくて銀色のジャンパースーツを着て目立とうとしたことなど、自らが駆け上がってきた懐かしい時代を振り返りながら、人々の野心がすっかり希薄になったいま、「もっと上を目指して挑戦してみようよ!」と提唱している。

 その気になる内容の一部も明らかになった。

●中学時代のいじめは凄絶
「林真理子を百回泣かせる会」まで生まれ、画びょうを持った手を無理やり握らされたり、プールに突き落とされたりした。しかし、「妄想力」に長けた林は、「彼らは私のことが好きなんだ……」と信じて疑わなかったという。

●お金がない
卒業後は4枚40円の食パンを食いつなぐ極貧の日々もあった。高給につられて2 年以上していたのが、「植毛クリニック」でのアルバイト。植毛の毛を注射針に入れていくあまりにも地味なアルバイトをしていた。


●全敗の就職試験
就職試験では40 社以上からすべて不採用。その不採用通知の束を林はリボンでくくって、宝物にしていた。いつかきっと自分は有名になる、その時に自分のところへ取材に来た人に「あなたの会社も落ちちゃって-」と笑い話をしながらその束を見せる日がくると信じていたから。

●ひどい仕打ち
昔は出版社の人間からもひどいことをされた。ある女性誌で、メイクのページの出演依頼で、「私もお化粧習いたいからいいですよ」と出かけて写真を撮ってもらったら「ブスの人のメイクはこうします」という別枠の扱いだった。

●出産と仕事
不妊治療を4年間。辛くて泣いたことも多かった日々。44 歳で出産。子どもを生んでつくづく良かったと思ったこと――それは自分にとって、いかに仕事が大切かという思いを再確認できたこと。出産後六日目には『週刊文春』に出産記二十枚を書いていたし、自分は本当に、書くことが好きなんだ、母親業に引っ張られないでやっていけると確信できた。

 最近は「偉くなりたい」と思う高校生が日本は圧倒的に少ないという調査結果が発表されたり、欲しがらない若者たちを指す「さとり世代」という言葉が広まっている。そんな“低め安定”の世情に真っ向からダメ出しをするのが、この『野心のすすめ』。
イジメ・挫折を体験し、お金・コネ・美貌のないない尽くしのどん底からどうやって階段を上がっていたのかが綴られているという。また野心の日常的な心得のアドバイスも盛り込まれている。

 平成版「成りあがり」とも言うべき、林の野心と強運が伝染して、人生の山登りを始めたくなるかも!? 『野心のすすめ』は4月17日、777円(税込)で発売。
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