芥川賞受賞会見での発言が話題を呼んだ田中慎弥の原作を青山真治が映画化した『共喰い』。主人公・遠馬は性と暴力に包まれたひと夏の経験を経て大人に成長するが、主演の菅田将暉にとっても本作は「間違いなく転機」と言う作品になった。
「別にどう切り刻んでもらっても、切り刻まれてダメになるような小説ならそれまでなので。どれだけ切り刻まれて監督や役者が暴れ回っていようが、小説は小説で、映画は映画。小説と映画は表現として全然別物なので、ちゃんと小説と映画が対峙し合っている感じがしました」。
たしかに小説と映画は同じ『共喰い』ではあっても、また違った手触りを覚える。
「私の小説は遠馬という男の物語ですが、映画は最終的に女が男よりちょっと先に出るという終わり方で、女性が勝つじゃないですけど、ひどい目に遭った女たちがどう生きていくかというところまで見せてくれていたので、よかったなと思いました。ちゃんとすくい取ってくださったなと思います」。
映画は遠馬の産みの親である仁子、幼なじみの彼女・千種、そして父の愛人・琴子という、3人の女性が発する生命力が強く深い印象を残す。それを正面から浴びる形となった菅田は、遠馬として感じたことをそれぞれ次のように云う。
「仁子さんといると、愛がまぶしいんです。母性というか、飛び込んだらギュッとしてくれる感じというか。それはすごく感じるんですけど、父と母が今は別に暮らしてるっていうのも知っているし、いろんな大人のことを理解できないほど若い訳でもない。そうしたことを遠馬なりに考えた上で思春期だしなんだか素直になれない感じで。でも休みの日だったら仁子さんのところへ行って釣りをしたり、ご飯を食べたりとなんだかんだ顔を出していて、本当に嫌だったら街から出て行けばいいのに、そうせずあそこにいる理由は、やはり父と母がいるからなんです」。 業(ごう)のように離れられない父と母がいる一方、他人でありながらやはり遠馬が深い関係を結んでいくのが千種と琴子だ。
「千種は単純に好きな女の子っていうのはあるかもしれないですけど、自分と向き合ってくれる女性。甘やかしてくれるとはまた違うけど、遠馬が男でいられる、パートナーのような相手が千種です。琴子さんは一番距離が遠い、得体のしれない人だったはずなのに、出て行くって話をされた時、すごく涙が出てきました。意外とそういう相手の時に素直に感情が出るというのが不思議な体験でした」。
昭和最後の夏を舞台に、3人の女たちとの間で様々な感情・体験をし遠馬が大人になっていく、そんな生まれ変わりの物語でもある。
「それぞれが分かりやすいぐらい遠馬に対してメッセージがある気がしていました。“女性の強さ”のようなものは感じました。僕も女性に対して何か絶対的なものは感じますし、遠馬も最後そういうようなものを感じたんじゃないかと思います」と菅田。そして「生命を生める、赤ちゃんが女性から産まれるってスゴいな」とも感じたと話すが、あたかも生命を生み出すように、遠馬は女性たちの手により新たな自分へ変わっていくのかもしれない。
「映画は映画として独立して、女を描いてくれたなという。そこは女優さんたちが、本当に文字通り体現してくれたなっていう感じです。原作者としても観客としても、小説とは違う形で、別の世界として成立してるなっていうのが分かるし、そのことには原作者として嫌ではなく、むしろこういう終わり方もあったかという感じです」(田中)。
遠馬が体験した生まれ変わりを、菅田も本作で同じように体験し、最後にこう締めくくる。
「スイスで青年部の方々に賞を頂いたのからもわかるように(※ロカルノ国際映画祭でYOUTH JURY AWARD最優秀作品賞を受賞)遠馬の苦悩というかモヤモヤした感じっていうのは、僕も感じていましたし、たぶんみんな同じように感じることだと思うんです。今回この作品で初めて海外の映画祭にも行けましたし、新たな世界が見れたので、間違いなく転機だと思います。原作を書いてくださった田中先生、監督を含めみなさんに感謝です。現場でいろんなことを感じたし、それを踏まえて今後も頑張ろう、ちゃんと生きようと思いました。
映画『共喰い』は9月7日より全国ロードショー
原作とは異なるラストを描いた本作を田中はどう見たのか。そして菅田が本作を経て得た“力”を語る。@@cutter 映画化に際し「小説の『共喰い』こそが一番だと私は思っています。勝負です」――そんなコメントを発した田中だが、「小説がすごく良ければそれでいいじゃねぇかって小説家はどこかで思っているものなんですが、ちゃんと映画としてあんないい作品になっていたので、ありがたかったのと同時に悔しかったです」と本作を観ての感想を語る。
「別にどう切り刻んでもらっても、切り刻まれてダメになるような小説ならそれまでなので。どれだけ切り刻まれて監督や役者が暴れ回っていようが、小説は小説で、映画は映画。小説と映画は表現として全然別物なので、ちゃんと小説と映画が対峙し合っている感じがしました」。
たしかに小説と映画は同じ『共喰い』ではあっても、また違った手触りを覚える。
「私の小説は遠馬という男の物語ですが、映画は最終的に女が男よりちょっと先に出るという終わり方で、女性が勝つじゃないですけど、ひどい目に遭った女たちがどう生きていくかというところまで見せてくれていたので、よかったなと思いました。ちゃんとすくい取ってくださったなと思います」。
映画は遠馬の産みの親である仁子、幼なじみの彼女・千種、そして父の愛人・琴子という、3人の女性が発する生命力が強く深い印象を残す。それを正面から浴びる形となった菅田は、遠馬として感じたことをそれぞれ次のように云う。
まず母・仁子。
「仁子さんといると、愛がまぶしいんです。母性というか、飛び込んだらギュッとしてくれる感じというか。それはすごく感じるんですけど、父と母が今は別に暮らしてるっていうのも知っているし、いろんな大人のことを理解できないほど若い訳でもない。そうしたことを遠馬なりに考えた上で思春期だしなんだか素直になれない感じで。でも休みの日だったら仁子さんのところへ行って釣りをしたり、ご飯を食べたりとなんだかんだ顔を出していて、本当に嫌だったら街から出て行けばいいのに、そうせずあそこにいる理由は、やはり父と母がいるからなんです」。 業(ごう)のように離れられない父と母がいる一方、他人でありながらやはり遠馬が深い関係を結んでいくのが千種と琴子だ。
「千種は単純に好きな女の子っていうのはあるかもしれないですけど、自分と向き合ってくれる女性。甘やかしてくれるとはまた違うけど、遠馬が男でいられる、パートナーのような相手が千種です。琴子さんは一番距離が遠い、得体のしれない人だったはずなのに、出て行くって話をされた時、すごく涙が出てきました。意外とそういう相手の時に素直に感情が出るというのが不思議な体験でした」。
昭和最後の夏を舞台に、3人の女たちとの間で様々な感情・体験をし遠馬が大人になっていく、そんな生まれ変わりの物語でもある。
「それぞれが分かりやすいぐらい遠馬に対してメッセージがある気がしていました。“女性の強さ”のようなものは感じました。僕も女性に対して何か絶対的なものは感じますし、遠馬も最後そういうようなものを感じたんじゃないかと思います」と菅田。そして「生命を生める、赤ちゃんが女性から産まれるってスゴいな」とも感じたと話すが、あたかも生命を生み出すように、遠馬は女性たちの手により新たな自分へ変わっていくのかもしれない。
「映画は映画として独立して、女を描いてくれたなという。そこは女優さんたちが、本当に文字通り体現してくれたなっていう感じです。原作者としても観客としても、小説とは違う形で、別の世界として成立してるなっていうのが分かるし、そのことには原作者として嫌ではなく、むしろこういう終わり方もあったかという感じです」(田中)。
遠馬が体験した生まれ変わりを、菅田も本作で同じように体験し、最後にこう締めくくる。
「スイスで青年部の方々に賞を頂いたのからもわかるように(※ロカルノ国際映画祭でYOUTH JURY AWARD最優秀作品賞を受賞)遠馬の苦悩というかモヤモヤした感じっていうのは、僕も感じていましたし、たぶんみんな同じように感じることだと思うんです。今回この作品で初めて海外の映画祭にも行けましたし、新たな世界が見れたので、間違いなく転機だと思います。原作を書いてくださった田中先生、監督を含めみなさんに感謝です。現場でいろんなことを感じたし、それを踏まえて今後も頑張ろう、ちゃんと生きようと思いました。
ぜひ観てほしいです」。(取材・文・写真:しべ超二)
映画『共喰い』は9月7日より全国ロードショー
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