8月に東京・青山劇場で実現することが決まった「貫地谷しほり北島マヤ」の舞台。以前「『北島マヤ』のような突出した演技力ゆえ? 貫地谷しほりの異質な存在感」(2012年7月掲載)記事でご紹介したように、貫地谷の類まれなる演技力には、「天才女優」「カメレオン女優」などの評価に加えて「『ガラスの仮面』の北島マヤみたい」という意見も一部に根強くあった。


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 そんなわけで、一部の人たちの妄想を現実にする夢のような舞台化だと思うのだが、ネット上では「(年齢的に)中学生役はキツイ」「もっと若いほうが」といった声がチラホラ。ただし、大竹しのぶが北島マヤを演じたときは30歳だったことを考えれば、たいした問題ではないだろう。

 また、「マヤ役は有村架純主演でドラマ化して欲しい」などの「流行りモノ」を期待する声や、単に好きな女優を希望する声が一部あるものの、一般的には『ガラスの仮面』の北島マヤというと、ドラマ版で演じた安達祐実のイメージを持っている人が圧倒的に多いよう。

 しかし原作への忠実度で考えると、多くの人がイメージする安達祐実はあまり似合っていなかったように思う。なにしろマヤを演じるには、安達祐実は造形的に派手すぎて可愛すぎたからだ。

 女優の「好き・嫌い」とか「人気度」とかを除いて、冷静に考えてみたい。
北島マヤは「地味で、平凡な子」であり、「ひとたび仮面をかぶると、輝きを放つ」人だ。もちろん別に「貫地谷しほり=地味」などとディスっているわけではない。貫地谷は演技によって自分の明度・彩度を自在に変えることができる人だからこそ、マヤにこれ以上ないほどハマッていると思うのだ。

 たとえば、貫地谷しほりの知名度を一気に高めた朝ドラ『ちりとてちん』の作品内での変身ぶりをふり返ってみたい。
 「地味で後ろ向きでサエないB子」を演じていた貫地谷は、最初はどことなくずんぐりむっくり、見た目にもパッとしない雰囲気だった。にもかかわらず、少しずつ落語家として成長していき、自信を身につけ、「おかみさん」になっていく過程で、どんどん美しくなっていく。


 和服姿で高座に上がるとき、まっすぐ伸びた背筋と、すっとした首筋、パッと輝く明るい顔に「あれ? この人、こんなにキレイな人だったっけ」と不思議に思った視聴者はたくさんいたことだろう。

 「演じる役ごとに顔が変わる」だけでなく、「役の中でもどんどん変わっていく」ことができるのが、貫地谷しほりなのだと思う。

 国内海外問わず、実力派俳優などには、ときどき「役作りのために太る」「役作りのために毛髪も抜く」といった人がいるけれど、女優の場合は男優に比べてあまりそういった機会がない気がする。

 貫地谷も、「B子の最初は太っておこう」とか「途中でキレイになろう」とかいったプランはなかっただろうに、明らかに後半で美しくなっていっている。

 太ったり毛髪を抜いたりと、「徹底した役作りをする」タイプの俳優さんが「努力の人・姫川亜弓」だとするなら、「仮面をかぶるだけでなりきることができる」貫地谷はやっぱり北島マヤだと思う。

 舞台の上で、「地味で平凡なマヤ」が、仮面をかぶることでいかに輝きを放つのか、その光の強さ・明るさの違いを見極めたい。
(文:田幸和歌子