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「若い頃は一人旅が好きで、それこそ北海道の根室から九州の佐多岬、端から端まで全部行きました。不思議なものでその経験がいま活かされてます。依頼を頂くと、位置関係・場所っていうのが大体想像つくんです」。
わくわくさんとして抜擢を受けたのは28歳。今でこそどこへ行っても大人気で迎えられるが、当時の苦労を次のように振り返る。
「まともにテレビに出たことがなかったし、ど素人みたいなものでした。自分が主役なんて初めてで、NHKは何を考えてるんだっていうぐらい(笑)。自分でオンエアを見て『半年持たないだろう』と思っていました。スタッフは業界歴が20年以上の大ベテランばっかりでしたが、誰一人、こんな20年続くなんて思っていなかったでしょう」と不安な滑り出しであったことを振り返った。
「どうしても最初はノッポさんと比較されて、いろいろ言われたりもしました。だけど正直な話、そんなことを聞いてる余裕もないんです。
当初は幼稚園を訪れての工作教室も番組宣伝の色が強かったが、実地で子どもたちの反応に触れ、自らの“勉強の場”だとして挑んだ。そして1回1回、1ヵ所1ヵ所の子どもたちとの触れ合い、その積み重ねが現在に繋がるわくわくさんを形成してく。
「やっぱり子どもたちとものを作っている時が一番楽しいです。もちろん仕事という部分はありますけど、自分の中では一番楽しい時間。それがここまで続けられた最大の理由かもしれません。自分が楽しめる仕事、役に巡り合えた。本当にラッキーな人生です」。 普段は昔の日本映画や時代劇を観るのが好きというワクワクさんだが、「尊敬します」と名を挙げるのが、“斬られ役一筋”50年以上の俳優・福本清三。その理由を尋ねると、今後もわくわくさんに徹して生きようとする自身の思いがのぞいてくる。
「ブレない、本当の役者魂を感じて大好きです。ああいう風に私も70、80までわくちゃんをやっていたら、自分で自分を褒めてあげたい。
今後については、NHKの番組もなかなか行かない僻地を訪問して子どもたちとの工作教室、民放での工作番組を広めていくと語る。そしてわくわくさんらしい遊び心で「福本さんに斬られ方を教わって、1度でいいから時代劇で斬られ役をやってみたい(笑)」という夢も飛び出した。
「工作は失敗したっていいし、上手い・下手、出来・不出来は関係ないんです。子どもがやってみたい、表現したいことをその場でやらせてあげて、自分の指先を動かして、ものを作り出す喜びというものを知ってほしい」。
番組が終わっても、わくわくさんがゴロリやスタッフとともに発信した“もの作りの楽しさ”を伝える旅路は終わらない。(取材・文・写真:しべ超二)