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ホテルマンとなる前は20年近く、アナウンサーとして働いていたという。報道やスポーツ、バラエティとジャンルを問わず忙しい毎日を送っていたそうだが、心機一転、なぜホテルマンへの転職を決意したのかを伺った。
「元々、アナウンサーの仕事は知人からの紹介で、ローカル局ならではといいますかテレビやラジオ、番組のジャンルも問わず様々な仕事をしていました。ただ、あくまでも期間ごとの契約だったため、その後の人生を考えるにあたり、正社員としての転職を考えはじめたのがきっかけでしたね」。
アナウンサーからホテルマンへの転職というのは、世間的にあまり多く聞かれるものではない。いうなればまったくの異業種への転職、現在の仕事内容を語って頂くと共に、それぞれの仕事における共通点や違いについても聞いてみた。
「ホテルのフロント係として、ご来館頂いたお客さまをお出迎えしたり、電話予約への対応などが日課ですね。一日ごとに早番、中番、遅番と時間帯もまちまちです。アナウンサーと共通しているのは、人と向き合うということでしょうか。ただ、スタジオの中からカメラの先にいる視聴者へ語りかけるのと違い、目の前で接するということに初めは戸惑いもありました」。
「じかにお客さまと向き合う中で、笑顔を見られるのが何よりものやりがいですね。また、アナウンサーだった頃を振り返る瞬間もあるのですが、自分に足りない部分が今になってまた見えてきたように思います。テレビ局ではスタッフが段取りを組み、“居心地のよい状況”を作ってくれていた。でも今は、自分がお客さまへその環境を提供するようになった。
おもてなしといえば月並みだが、齊藤さんは「相手の立場をふまえた気づかいや心配りを大切にしながら成長していきたい」と語っていた。そして最後に、東日本大震災の被災地としても記憶に強く残ったホテルの所在地、南三陸町への思いも伺った。
「初めて訪れた面接のとき、ロビーの窓から見えた志津川湾の景観が素晴らしかったのを今でも覚えています。『自然豊かで心優しい海の町』というのが、南三陸町の何よりもの魅力だと思います。今後も、ホテルへのお客さまだけではなく、南三陸町へ憧れる人たちが一人でも増えることを願いつつ仕事へまい進していきたいと思います」。
齊藤さんの勤務先である南三陸町ホテル観洋では、震災の爪痕を辿る「語り部バス」も運行している。