藤原璋子(不詳 [Public domain], via Wikimedia Commons

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。最近では、女性・女系天皇論争の皇位継承者問題や秋篠宮家の長女・眞子さまの婚約者・小室圭を巡る一連の騒動などが注目されているものの、実は、こんなのは大した騒動ではなかった……? 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

養女に手を出すタフなおじいちゃん・白河法皇

―――第1回では、平安時代の天皇家にさかのぼり、白河法皇(1053~1129)のエピソードをうかがいました。

白河法皇にはイケメンかつ家柄が良い友人・藤原公実(ふじわらのきんざね)がおり、彼が亡くなった後、公実の娘の璋子を引き取ったんですよね。しかし、父娘という関係を超えた「あやしい」ことをしていた……と『今鏡』という歴史物語に書かれていたみたいですが、「あやしいこと」って一体なんでしょうか?

堀江宏樹(以下、堀江) 当時、璋子ちゃんの年齢は小学生くらいでしょうか。最高権力者・白河法皇のもとを、現在でいえば総理大臣にあたる関白が用事で訪れたのです。すると、御簾のむこうの白河法皇は、何を思ったか「璋子の足を自分のふところに差し込んでいた」というのです! 美少女を両腕で抱っこしているだけでは飽き足らず、彼女の足を自分の胸に密着させようとしていたのでしょう。季節についての詳しい記述はありませんが、寒い日だったのかも(笑)。璋子の足が冷たいということで、それを「私が温めてやらなきゃ」とでも思ったのでしょうか。

そして、総理大臣にあたる関白に対し、白河法皇は「私は今、手が離せないんだ~」などと言ってのけたかもしれません。それにしても、わざわざ自分の胸をカイロがわりに、ポカポカしてやる必要もないわけですが(笑)。

 そして、文芸評論家・白洲正子が執筆した『西行』によれば璋子ちゃんが13歳の時、白河法皇はどうにも我慢ができなくなり、彼女と“肉体的”に結ばれ、彼女を自分の寵姫の一人にしてしまったようです……。

―――13歳って……。ロリコンというか、現在なら犯罪ですよ! そして二人の年齢差は48歳。璋子が13歳ということは、白河法皇は61歳。

還暦過ぎて、夜の方もお元気だったということですね。天皇だった方がそんな、加藤茶より衝撃的な関係を持っていたとは、付いていけません!

堀江 権力者は、業が深いんですよ。ただ、この頃は初潮を迎えれば成人したという感覚があり結婚もしていたので、そう考えれば大丈夫なんです。それ以前の年齢の女子との関係だと、当時でも変態枠なんですが。しかし……養女と養父の関係という近親相姦チックなところに加え、璋子はかつて自分の愛した男の忘れ形見ですからねぇ。おまけに、というか白河法皇、現代の年齢感覚でいえば76歳くらいに相当するので、周囲から、相当「お元気」だと思われていたでしょう。

確実に“変態枠”のお話だと思われます……。

天皇に寵愛された、いわくつきの“養女”――66歳と18歳の知られざる関係【日本のアウト皇室史】
大河ドラマ『平清盛』(チャンネル銀河)公式サイトより

―――資料によると、さらにびっくりな「事実」があるんですよね。璋子ちゃんに固執する一方、白河法皇は彼女の“幸せな結婚”ものぞんでいて、自分の孫で、後に鳥羽天皇となる皇子と璋子を結婚させています。しかし、璋子は結婚後も、夫と寝所をともにすることを拒み続けたという記録があるのですが、もしかして“おじいさん好き”だったとか?

堀江 そう! ていうか、璋子と白河法皇の関係は知れ渡っていて、白河法皇が正式に璋子と結婚させようとした相手から「ボクは彼女と結婚したくない」と断わられたりもしています。実際には、鴨川の水や僧兵以外にも、意のままにならないことがたくさんあったんですね(笑)。その一番が璋子だったのかも。

 さて、璋子は崇徳天皇“とも”仲良くなり、崇徳天皇となる皇子を産みます。ですが、その父親は鳥羽天皇ではなく、“白河法皇”であるという説があるのです。これは同時代から囁かれていました。昭和時代に角田文衛という大学者が、璋子の「生理周期」を彼女の侍女の書いた記録から計算したところ、オギノ式でいう危険日に白河法皇と璋子は会っていた……。しかもその頃は、夫・鳥羽天皇とはほとんど会ってもいなかったということもわかっています。この時、璋子18歳。

白河法皇66歳。ティーンの美少女から恋い慕われて、れっきとした恋愛が出来る「魔性のおじいちゃん」って、現代でもなかなかいませんよねぇ。

―――芸能人でたとえると、66歳の男性は吉幾三や水谷豊。18歳の美少女は浜辺美波ちゃん。ちょっと、想像するのはやめておきます……。話は戻りますが、璋子の夫はどういう反応を?

堀江 2012年NHK大河ドラマ『平清盛』では、伊東四朗演じる“タフマン”白河法皇に、檀れい演じる璋子が抱かれるというシーンが描かれましたが、ネット上では「こんなこと、描いてはいけない!」と主に政治的意識の高い方々による怒りの声が聞こえたとか。

 

 当然、璋子の夫・鳥羽天皇は反感を抱いたものの、史実でいうと“嫉妬”からくる具体的な言動や、白河法皇に当ったというような話はないようです……。鳥羽天皇も、一番エラい人が白河法皇であることがわかっており、彼に愛されなくてはなにも自分はできないと悟っていたからかも。

 あとね、璋子からすると、鳥羽からも白河からも愛されちゃう、モテる自分最高! みたいな感じで、名誉に思っていたのかもしれませんね。その後も彼女は自分自身に満足しており、気も強いんです。

天皇に寵愛された、いわくつきの“養女”――66歳と18歳の知られざる関係【日本のアウト皇室史】
堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

―――今でも、彼氏や夫がハイスペックだと、自分も同じレベルになったかのように勘違いする女性がいますよね~。まぁ璋子の場合、もともと家柄も良いですが……。その後、璋子は年上に飽きてしまったのか、17歳下の出家前の西行法師、俗名・佐藤義清(さとうのりきよ)とデキちゃっていたという「伝説」があるとか。

堀江 彼らと同時代ではなく、また正式な歴史の記録ではないものの、軍記物語『源平盛衰記』には、璋子に本気になりかけた西行が「私とセックスしたくらいで、彼氏面するのはしつこい」なんて言われて……という一節も出てきます。この言葉にショックを受けた西行は、結婚もしていて家族もいたのですが、何もかもを捨てて出家してしまったとか。

ところで、48歳年上の相手とのガチな恋愛って想像できますか?

―――いやー、私は無理かな……。男性というか、おじいちゃんにしか思えない!

堀江 正直でよろしいです(笑)。ただ、ときどき芸能界でもすごく若い子と、有名なシニアの「年の差カップル」って出てきたりするじゃないですか。それこそ加藤茶とか、離婚しちゃったけど虎舞竜の高橋ジョージ、沢尻エリカの話もそうですね。結局、わざわざかなり年上の男性と付き合うメリットって、彼の持っている財力・権力が大きな媚薬、フェロモンとして働くからかもしれない。「男は顔、イケメン万歳」とか言ってる女性とは価値観がまったく異なるかもしれません(笑) 

 若くて賢い女の子ほど、人生経験豊富で優秀な男性に「プロデュースしてほしい!」という欲求があるような気がするんです。だから権力者との関係は、成功への近道だけでなく、権力者と関わることで成長する自分を実感できるものなんでしょうかねぇ。

―――男社会だと、若い女が評価を得る手っ取り早い方法は、名声あるオジサンにプロデュースしてもらうことですもんね。でも、それって結構「ダサい」ことだと最近は思われてます(笑)。しかし、璋子さんみたいな女は、皇室はもちろん現代でも見かけません。

堀江 一昔前までは、プロデューサーとデキちゃってる女性アーティスト、すごく多かったよね。最近はみんな地に足ついてるから。そこまでして、成り上がりたくないっていう生き方が主流になってるんでしょうねぇ。

 次回以降も、歴史の中の破天荒な天皇家の方々の姿を追いかけていきたいと思います!

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
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