累計発行部数5万部を突破した『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』。社員教育の一環として取り入れる企業も増えてきたように、西洋美術史は「グローバル社会における必須の教養」として注目を集めている。


今回は、慶応大学大学院時代に美術史学を専攻し、著書に「ビジネス書大賞2018」の準大賞にも選ばれた『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、教養を使いこなすための実践的な方法を説いた『知的戦闘力を高める 独学の技法』などがある山口周氏へインタビューを行った。日本のビジネスパーソンが美術に関心の薄いことを課題視しているという。(取材・構成/前田浩弥)

「情報」に惑わされ、好きな絵が選べない日本人

 先日、あるギャラリーのオーナーとお話をしました。彼は「日本人の絵の買い方には大きな特徴がある」と言います。

 その特徴とは、「名前を知られている人の絵しか売れない」ということ。

 欧米の人たちは、街のギャラリーで無名の人たちの絵を眺め、「この絵はいい!」と感じたものを素直に買います。一方、日本人は、「マーケットでどう評価されているか」「誰が描いたのか」「評論家はどう言っているのか」と、何かにつけて情報を集めてから買おうとする。だから結果的に「名前を知られている人の絵しか売れない」らしいのです。

 このお話を聞いて「なるほど、確かにな」と共感しながら、私は自身が講師を務めるリーダーシップ研修の光景を思い出していました。

 私が行うリーダーシップ研修では、受講者に7枚の絵を見せて、「自分の好きな絵、これはいい!と気に入った絵を1枚選んでください」と投げかけます。

 みなさん「あれかな」「これかな」と楽しみながら選び始めるのですが、途中で私が「7枚のうち4枚は、歴史上の傑作と呼ばれている絵で、残りの3枚は幼稚園児が描いたものです」とタネを明かすと、絵を選ぶ手がピタッと止まります。「幼稚園児が描いた絵を選んだらバカにされる」と考えるのか、そこから一切、どの絵も選べなくなってしまいます。

 なかには「ヒントをください」と言ってくる受講生もいます。「自分の好きな絵を選んでください」とお願いしているのに、いつの間にか「どの絵が歴史上の傑作でしょう」というクイズになってしまっているのです。

「自分の好きな絵」には正解がありません。もちろん、他人にヒントを聞くようなものでもありません。強いていえば、「自分が好きだと思った絵」を選ぶのが正解です。

 それなのに、大企業の幹部を務めている優秀な方でも、そんな単純なことが見えなくなってしまう。これが「情報」の怖さです。

自分の内面を信じて貫けば「イノベーション」が起こる

 「好きな絵を選ぶ」のと「リーダーシップ」がどう結びつくのかと不思議に思われた方もいるでしょう。しかし実際、リーダーの仕事とは、好きな絵を選ぶようなものなのです。

 AとBとC。事業の候補が3つあったときに、どれにするかを決めるのがリーダーの仕事です。しかし今の日本には、「経営企画はなんと言っているんだ」「コンサルティング会社はどの事業がいいと言っているんだ」「財務分析の結果を見せてくれ」なんて情報ばかりを求めて、決められないリーダーが増えています。

 このようなリーダーは、仮にすべての情報がそろったとしても、自分で決めることはできないでしょう。そうして優柔不断に迷っている間に、「なんとなく、このビジネスはいいと感じる!」という直感で決断するシリコンバレーの企業に、市場のシェアをかっさらわれるのです。

「決断のスピードが遅い」というレベルの話ではなく、「決断の軸を外側に求める癖がついていて、自分で決断できない」のです。寂しい話です。

 自分の好きな絵が選べない。その理由は「自分の価値観と世間の評価がずれてしまっているのが露呈するのが怖いから」なのでしょう。

 しかし、考えてみてください。ありとあらゆる情報を集めて、世の中ですでに評価のいいものばかりを選んでいたら、イノベーションなんて起こるわけがありません。イノベーションとは、世の中からすると「あんなの、ものになるのか」といわれているアイデアを「これだ!」と選び、信じぬくことです。まさに「自分の好きな絵を選ぶ」ことなのです。

 今でこそ日本中で展覧会が開かれている伊藤若冲ですが、少し前までは埋もれた存在でした。若冲の評価が確立されるずっと前から、アメリカの美術収集家であるジョー・プライスさんは若冲の絵に魅せられ、「彼の絵はすごい。

面白い」と感情の赴くままに買い漁っていました。すると世間が勝手に若冲を再評価し始め、勝手に値段が上がっていきました。

 プライスさんの「すごい」「面白い」という、内面から沸き立った感情に対して、世間の評価はあまりにも遅い。世間の評価なんて、その程度のものなのです。

 世の中は情報があふれています。しかし自分の感情は、自分だけのものです。「自分の感情に素直に決断する」。その先にこそ、現在日本が抱えている閉塞感を打破するヒントがあるはずです。

美術作品を見ているとき、誰もが「名探偵」になる

 私は子どものころ、祖父が持っていた山小屋の中で『世界美術全集』(平凡社)を見つけ、たまたま開いたページにあったフランシスコ・デ・ゴヤの「巨人」に心を動かされたのをきっかけに、美術の虜になりました。

 大学時代、初めて本格的に美術史の授業を受けたときは「こんなに楽しい勉強があるのか」と、夢のようでした。教室を暗くして、スライドを使って、実際の作品を1枚1枚映していく。隣の教室では「法学I」や「経済学原理」といった講義が行われている中で、私がいる空間だけが特殊で、神秘的に感じました。

 美術作品を見るとき、私は探偵になったような感覚に陥ります。

 美術作品は、描かれているものすべてに意味があります。シャーロック・ホームズが殺人現場を見て、数少ない情報からあるストーリーを紡いでいくように、美術作品に描かれている一つひとつの意味を味わっていくのです。

 たとえば、『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』の143ページに出てくる、ニコラ・プッサンの「アルカディアの牧人たち」。絵の中の彼らは、いったい何を見ているのでしょうか。

 答えは「石板」。「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリスのような石板を見ているのです。
 「アルカディアの牧人たち」は、この石板に何が書かれているのかを彼らが議論している場面を描いたものです。

 石板はとても細かく描かれています。そのため、絵の中の彼らが「何を見ているのか」を即座に判断するのは難しいかもしれません。しかしじっくりと見れば、そこにあるのは確かに石板です。そしてこの石板は、作者であるニコラ・プッサンが描かなければ、絶対に絵の中に入ってこなかったものです。

 わずかなスペースにわざわざ描いたからには、そこに絶対、意味がある。ニコラ・プッサンはなぜ、ここに石板を描いたのか――。

 そのようなことを想像するのが、私は大好きです。

感性を磨く「きっかけ」の1冊を

 私が『世界美術全集』(平凡社)をきっかけに美術の虜になったように、みなさんにもぜひ、そのような1冊と出会ってほしいと思います。

 しかし美術は、書籍で勉強するのがとても難しい分野だといえます。真剣に美術の勉強をしようと考えるならば、『美術全集』を買うのが一般的でしょう。五感をより浮動させるために、できるだけ大きな判型で勉強をしたいと考えるのが自然ですが、どんなに大きな判型の本でも、所詮は印刷物。現物のテクスチャーまでを読者に伝えることはできません。書籍で美術を学ぶには、どうしても限界があるのです。

 そのようななか『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』は売れ行きが大変好調だと聞いています。私も読ませていただきましたが、この本は作品の魅力を「エピソード」で補完していると感じます。作品そのものの説明はもちろん、その作品が成立するに至った裏にある歴史、政治、宗教、哲学などが詳細に描かれている。

美術の面白さとともに、歴史の面白さをわかりやすく伝えている本だと思います。

世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』を読んで、「ああ、美術史って面白いんだな」と感じる人もいるでしょう。ただ「面白いんだな」で終わるのではなく、そこから先、さらに深く学んでみたり、実際に美術館に行ってみたり、他の分野も学んでみたり……そのようなムーブメントが起こることを願っています。

 きっかけは何でもいいのです。日本のビジネスパーソンが今よりももっと美術に興味を持ち、「好きな絵」を自分で選べる人が増えてくれることを期待しています。

 先ほどお話したように、リーダーの仕事とは「好きな絵」を選ぶようなもの。「情報」に惑わされ過ぎず、決断の軸を外に求めない、そんなリーダーシップを持った人材が増えてくれることを願っています。

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