成田からエチオピアの首都アディスアベバにはエチオピア航空のバンコクや香港経由便があるが、乗り換えを含めて18時間ほどかかる。今回はドバイで1泊したが、旅の第一印象は「遠い」だ。
下の写真はようやくたどり着いたアディスアベバのボレ国際空港。2019年1月27日に中国の援助で国際線専用のターミナル2が開業した。入国にはビザが必要だが、空港でかんたんに取得できる。
ご覧のようにターミナルの手荷物受取場は大混雑だが、たまたま機上で知り合ったアディスアベバ在住の日本人によると、1時間程度で出られればいい方で、手荷物を受け取って空港を出るまで2時間以上かかることもあるようだ。
海外に出稼ぎに行って一時帰国するエチオピア人が大量の荷物を持ち込むためで、ベルトコンベアを大型液晶テレビなどが次々と流れてくる。関税の関係で、家電製品は海外で購入した方が安いようだ。
空港を出るとタクシー会社のベストを着た呼び込みがいるので、黄色の政府系タクシーに案内してもらう。空港から市内のホテルへは300ブル(約1200円)。それ以外に青色のタクシーもあり、これは個人営業で古い車両が多い。
エチオピアでも近年はタクシーアプリが普及し、現地在住の外国人はアプリでタクシーを呼ぶようだが、今回は使ってみる機会はなかった。
エチオピアは深い崖によって隔てられた80以上の民族集団が共存する多民族国家エチオピアはアフリカ大陸を南北に縦断する大地溝帯(グレート・リフト・バレー)に位置し、紅海とアデン湾によってアフリカとアラビア半島に分かれる。約1000~500万年前にマントル対流が大地溝帯周辺の地殻を押し上げ、アディスアベバのあるエチオピア中部から北部にかけては標高2000メートルを超える高地になった。ローマ(1960年)と東京(1964年)のオリンピックのマラソン競技で2大会連続優勝を果たしたアベベ・ビキラが有名だが、エチオピアが優れた長距離ランナーを輩出するのは心肺機能が高地に適応したためだ。
エチオピア高原は降水量が多く、平均気温も16度と冷涼で、ナイル川(青ナイル)の水源となるタナ湖など豊富な水資源を擁している。それにもかかわらず歴史上、たびたび旱魃の被害を受けてきたことから、「誰がエチオピアの水を奪っているのか?」が問われることもある。
だが飛行機から地上を見ると、この謎はすぐに解ける。下はアディスアベバ近郊だが、地表の浸食が激しいため、切り立った崖と崖のあいだにわずかに平らな台地が残っている様子がわかる。
こちらは北部の都市ラリベラ近郊で、広い平地に街がつくられているが、主要道路からすこし行くとたちまち険しい崖に突き当たる。こうした地形では、隣の台地に水源があったとしても、その水を引いてくることができない。この物理的制約によって、豊富な水資源がありながらもしばしば水不足に悩まされるのだ。
エチオピアは80以上の民族集団が共存する多民族国家で、公用語のアムハラ語以外に州ごとの公用語や少数民族の言語なども話されている。このような民族・言語の分化も特異な地形から説明できるだろう。直線距離では近くても深い崖によって隔てられ互いの交流がなければ、やがて異なる言葉を話すようになるのだ。
エチオピアには8カ所の世界遺産があり、北部にあるラリベラ、アクスム、ゴンダールがキリスト教(エチオピア正教)の遺構を伝えてよく知られている。
地形を見ればわかるように、エチオピアの都市間をバスで移動するのはものすごく大変だが、エチオピア航空が近距離の国内便を運航しているので、この3つの世界遺産を効率よく回ることも可能だ。今回はアクスムをあきらめ、アディスアベバ→ラリベラ→ゴンダールを空路で移動し、ゴンダールから南のタナ湖湖畔にあるバハルダールまでは車を使い、そこからアディスアベバに戻る2泊3日の旅程にした(かなりハードだったので、もうすこし余裕をもったほうがいい)。
エチオピアは観光業が貴重な外貨収入源になっており、観光地にはどこも「政府公認ガイド」がいる。大学には観光学科があり、そこを卒業するとライセンスが取得できるようだ。これはかなりシステマティックにできていて、いったんガイドを雇うとあとはなにもすることはないが、逆にいうとガイドなしで観光するのはほぼ不可能だ。
料金はエチピアの通貨ブル(1ブル≒3.8円)か米ドルで支払うことができる。ブルと米ドルの換算はけっこういい加減で、ブルで払った方が安く上がることが多い。
きわめて興味深いエチオピアの歴史や宗教についてはあらためて紹介するとして、以下、外国人がエチオピアを旅行するとどのようなことになるかざっと説明しよう。
岩窟教会のあるラリベラはエチオピアでもっとも人気のある観光地のひとつだが、空港に降りてもタクシー乗り場はない。その代わり、あなたの名前をボードに書いたホテルからの送迎が待っているはずだ。
これは私もはじめての体験なのだが、Expediaでよさそうなホテルを予約しただけで、送迎を頼んだわけでもなければ便名すら伝えていないのに、なぜか満面の笑顔の男性が待ちかまえている。アディスアベバからラリベラへの直行便が1日1便なので、それに合わせてやってくるようだ(エチオピア航空のサイトで検索すると、経由便を使えばアディスアベバからラリベラへはあと2便あるが、その場合はどうなるかわからない)。
空港からラリベラの街まではかなり遠く、旅行ガイドブックでは30分となっているが、途中は舗装されていない悪路もあり運転はかなり大変だ。それにもかかわらずなぜわざわざやってくるかというと、彼はツアーコーディネーターで、ホテルに着くまでの間にラリベラ滞在中の旅程を決めるのだ。
私は翌日の午後にゴンダールに移動することにしていたが、これは1泊コースの定番で、「じゃあ今日の午後と明日の午前中に教会を訪れて、それから空港まで送っていくから、パッケージでいくら」みたいな話になって、悪路でがたがた揺れる車内で声を張り上げて交渉する気にはぜんぜんならないので、よくわからないままに「じゃあそれで」と話はまとまった。
ホテルに到着するとコーディネーターにお金を払い、「30分後にガイドがロビーに迎えに来るからね」といって彼は去って行った。考えてみれば領収書も受け取っておらず、連絡先もわからず、大丈夫かと思いながらロビーで待っていると、レセプションの女の子が「ガイドはちょっと遅れていて、あと5分で来るから」と教えてくれた。
コーディネーターはホテルから宿泊者名簿を提供されており(だから送迎に来ることができる)、トラブルはホテルの責任になるから、Tripadviserなどで高い評価を得ているホテルを選べば問題はなさそうだ。
ラリベラのホテルから岩窟教会群までは徒歩で20分くらいだが、世界遺産にもかかわらず観光客向けの案内はほとんど出ておらず、ガイドがいないとそもそもどっちに向けて歩き出せばいいかもわからない。ガイドを付けない旅行者を見たのは長期滞在らしい1組だけで、こうした事情を知っているかどうかにかかわらず、けっきょく全員がベルトコンベアのように同じシステムに載せられることになるようだ。
ガイドは達者な英語を話す若い男性で、主要な教会はすべて案内してくれた。驚いたのは、時間の余裕があったにもかかわらず土産物屋に案内しようとしなかったことで、「じゃあよい旅を」といってさっさと帰っていった。2日間のガイド代にホテルと空港の送迎を加えて150ドル(+チップ)だった。
バハルダールは雨季の終わりの10月に訪れるべきゴンダールはラリベラよりはずいぶん都会で、空港にはタクシーが待っており、道路もちゃんと舗装されている。
ホテルに着いたあと、世界遺産のゴンダール城を訪れようと300ブル(約1200円)でトゥクトゥク(オート三輪タクシー)を頼んだ。
すでに午後4時を過ぎていたが、城にはやはり公認ガイドが待っていて、それ以外の主要な観光地2つを含めて1300ブル(約5200円)で案内してくれるという。翌日の午前中に行こうと思っていたのだが、なんとなく断り切れずに任せることにした。
ガイドは私が雇ったトゥクトゥクドライバーと交渉して、宗教画で有名なダブラ・ブラハン・セラシエ教会と、巨大な沐浴場があるファシリデス王のプールにも連れて行ってくれた。
なにも知らない観光客がゴンダール城に来ると、この3つをまとめて案内するのが定番のコースになっているようだ。別々に行くのはけっこう大変なので、たしかによくできている。若いトゥクトゥクドライバーは、あちこち連れまわされたにもかかわらず追加料金を請求しなかった。
ゴンダール観光が初日で済んだことで、翌日は余裕をもってバハルダールに向かうことができた。
バハルダールからアディスアベバへの便が夜8時なので、ゴンダールを昼過ぎに出ればいいかと思ったら、電話で話したガイドは「そんなのではぜんぜん間に合わない」という。半信半疑で午前10時出発にしたのだが、実際に行ってみてその理由が分かった。バハルダールからブルーナイルの滝までは30キロほどだが、その間はずっと舗装されていない悪路なのだ。
片道1時間以上かけ、ボートで川を渡り、そこからさらに20分ほど歩いてようやく滝にたどりつく。それが下の写真だが、こんなに苦労したのに、雨期の始まりでもっとも水量が少ない時期だとのことで、わずかしか水が流れていない。
電力開発で上流に2つのダムがつくられて水量は減ったものの、雨期の終わりの10月にはこの全体が滝になるという。旅のコスパを考えれば、訪れる時期を考えた方がいいかもしれない。
バハルダールはエチオピア最大の湖であるタナ湖の湖畔にある。高級ホテルもいくつかあるので、ここでもう1泊してもよかった。湖の島にはエチオピア正教の教会や修道院があり、午前中ならクルーズで訪れることができる。
ゴンダールからバハルダールまでは、丸1日車を借り切って300ドル+雑費1500ブルだった。
アディスアベバに戻って、翌日は市内を観光した。アフリカ有数の都市で、近年は中国資本による都市開発が進んでいるというものの、高層ビルはまだ少ない。
アディスアベバは外国人でも街歩きができる数少ないアフリカの都市でもある。観光地では小銭を要求する子どもが寄ってくることがあるが、ネットの旅行記に書かれているように子どもたちに取り囲まれて閉口するようなことはなく、最近はずいぶん変わってきたようだ。
とはいえ、歩いている外国人はほとんどおらず、みな車で移動している。危険を感じるようなことはないが、貧困層や物乞いは多く、「スマートフォンに気をつけなよ」と注意されたりする。
アディスアベバでは英語がかなり通じるので、地図を見ながらおろおろしていると「どこに行きたいの?」と親切に教えてくれる。ストリートガイドだという若者が声をかけてくることはあるがしつこくはなく、「ちょっとこのへんを歩くだけだよ」というとすぐに去って行く。
エチオピアはムッソリーニ時代のイタリアに占領されたことがあり、当時つくられたイタリア人街はピアッツァ(広場)と呼ばれている。いまは地元のひと向けのブティックや宝飾店が集まっているが、そこに老舗のイタリアンレストランがある。
昼はこのレストランで食べたのだが平日なのにほぼ満席で、アディスアベバ在住の外国人と地元のビジネスマンが半々という感じだ。前菜とパスタで3000円という価格帯で、エチオピアでも中間層が確実に増えていることを感じた。
教会の周囲は下町で、入口には物売りなのか物乞いなのかわからないひとたちが集まっている。こんな場所まで歩いてくる外国人はほとんどいないので、博物館の案内人はツアーの予定が入っているとき以外は鍵をかけ、どこかほかの場所で休憩しているのだろう。
ラリベラのガイドは2日間案内したにもかかわらずいちども土産物屋に連れていかなかったし、ゴンダールのトゥクトゥクドライバーは予定外のコースをさんざん回らされても追加料金を請求しなかった。私の印象ではエチオピアのひとたちは淡白で、「それはいらないよ」というと「あっ、そうなの」という感じであっさり引き下がる。
「公認ガイド制度」を上手に活用して、お金を払ったらあとはぜんぶ任せておくと快適な旅行ができるのではないだろうか。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)。
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