[参考記事]
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そもそもルワンダに行こうと思ったのは、エチオピアの観光地を回ってもまだ日程に3日ほど余裕があったからだ。Google Mapを見ながらどこか行けそうなところはないかと探していて、この小さな国が目に留まった。
ルワンダはコンゴ民主共和国(旧ザイール)、ウガンダ、タンザニア、ブルンジに囲まれた東アフリカの内陸国だ。とはいえ、私のルワンダについての知識は映画『ホテル・ルワンダ』と、近年は経済開発に成功して「アフリカのシンガポール」「アフリカの奇跡」などと呼ばれているという程度しかなかった。
この旅をひと言でいうならば、「百聞は一見に如かず」だ。
アディスアベバからルワンダの首都ギガリへは非効率な航空ルートまず、ルワンダにはどのように行くのか。
アディスアベからはエチオピア航空を使うしかないのだが、出発の1週間ほど前になって搭乗予定の便がキャンセルされ、1時間ほど後の便に振り替えるとの連絡があった。それはいいとして、現地到着がずいぶん遅れている。
不思議に思って調べると、アディスアベバからルワンダの首都キガリに直行するのではなく、ブルンジのブジュンブラを経由するのだという。
タンガニーカ湖の北端にあるブジュンブラはキガリの南150キロほどのところにある。これは羽田から大阪に向かうのに岡山を経由するような話で、ものすごく非効率的だ。そのうえ、帰りもけっきょくこの不合理なルートになってしまった。
なぜこんなことになるかというと、ルワンダとブルンジに大きな「経済格差」があるからのようだ。航空会社とすればルワンダとブルンジの客をいっしょに運びたいが、機体整備などの事情で出発点/終着点をキガリにする必要がある。その結果、乗客にとっては迷惑きわまりないUターンルートになるらしい。
この原稿を書きながら調べると、キガリ国際空港にはカタールのドーハから大型機が乗り入れているほか、イスタンブール、アムステルダム、ブリュッセルなどからの直行便がある。またルワンダ航空がアフリカ各地のほかドバイ、ムンバイ、ロンドン、ブリュッセルなどに就航している。帰りはキガリからアディスアベバ経由でドバイに向かったのだが、ルワンダ航空の直行便を使えばよかった。――ただし午前0時半出発8時半到着(飛行時間6時間)の深夜便になる。
キガリ国際空港は地方都市の小さな空港といった感じで、ターミナルを出たところに両替所やATM、売店があり、その隣がタクシー乗り場になっている。
スーツケースを持って建物を出るとタクシー運転手が声をかけてくるので、行き先を継げる。車は新車同然で、運転手はスーツを着ていて、受け答えもちゃんとしている。空港から市内中心部のホテルまでは15000ルワンダフラン(約1500円)だった。
市内に向かうときは気づかなかったが、空港に入るときのチェックはものすごく厳重で、乗客はもちろん運転手もいったん降りて、車を強力な危険物探知システムに通す。
正直にいうと「アフリカのシンガポール」と聞いても半信半疑で、「そんなわけないでしょ」と思っていた。ルワンダの旅の驚きは、空港から市内に向かうところから始まる。
道路が整備されているのは当然として、まさにシンガポールのように、道路脇は芝生がきれいに刈り整えられ、ヤシやシュロなどの樹が植えられている。
市街地に近づくと驚きはさらに広がる。ビルはどれも新しく、看板や表示はすべて英語だ。しかしほんとうに驚いたのは、若い白人女性がごくふつうに道を歩いているのを見たときだ。
残念なことに、アフリカの都市のなかで旅行者が街歩きできるところはそれほど多くない。私はこれまでケープタウン(南アフリカ)、ハボローネ(ボツワナ)、アンタナナリヴ(マダガスカル)、アディスアベバ(エチオピア)を歩いたが、どこも白人の姿を見たことはほとんどなかった(ケープタウンはビーチ沿いに白人地区がつくられ、ダウンタウンは黒人の町になっており、インド系のひとをたまに見かける程度だ)。白人の、それも若い女性が歩いているなどというのはちょっと信じがたいのだ。
下の写真はキガリ中心部で、オフィスビルやショッピングセンター、政府系施設などの新しいビルが建ち並び、広い歩道がつくられている。ここでも地元のひとたちに混じって、ビジネスで滞在しているらしいスーツ姿の白人女性が、連れ立って世間話をしながら歩いていた。
もうひとつ驚いたのは、地元の若者がごくふつうに英語を話すことだ。
映画『ホテル・ルワンダ』の舞台になったのは老舗ホテルのミル・コリンズだが、坂の下のわかりにくいところにあって、地図を見ながらうろうろしていると、オフィスビルの駐車場の管理をしている若者が「どこに行くの?」と訊いてきた。「ミル・コリンズを探してるんだ」というと、「ああ、それなら通りの向こうの道をちょっといって、左手に階段があるからそこを下って、ふたつ並んだ建物の向こう側だよ」と教えてくれた。
もともとルワンダは第一次世界大戦以降ベルギーの植民地で、独立してからもフランスの影響が強く、ブルンジとともにフランス語圏だったが、ジェノサイドのあとに権力を掌握した現政権が強力な英語化政策を進め、若者たちの多くは小学校から英語で授業を受けているのだという。
ルワンダではジェノサイド後にベビーブームが訪れ、人口の6割がその後に生まれた。会話のなかにも“before Genocide”“after Genocide”という言葉がふつうに出てくる(日本の「戦前」「戦後」と同じだ)。ルワンダの虐殺についてはあらためて取り上げたいが、彼らの親の多くは国外難民で、現政権とともに移住してきたため、その子どもたちにとってジェノサイドはまったく体験のない「歴史」なのだという。
治安もよく快適なルワンダの難点は観光する場所が少ないことルワンダのキガリにはマリオットなど高級ホテルのほか、洒落たブティックホテルも次々とできて、レストランもクオリティが高い。2日目の夜はホテルで勧められたインド料理店に行ったのだが、メニューやサービス、味も銀座の高級店と遜色のない本格派だった(価格はお酒を入れて1人4000~5000円程度)。
平日の夜にもかかわらず、8時を過ぎる頃には店内は半分以上埋まっていた。ほとんどは外国人で、白人が7割、アジア系(中国人)が3割という感じだが、日本人のグループもいた。旅行者というよりビジネスでこの国を訪れているようだ。
フレンチ、イタリアン、アメリカン(ステーキ)など、ほとんどがホテルに併設しているものの、このクラスのレストランが市内にはいくつもあるようだ。
ルワンダはほぼ赤道直下に位置しているが海抜1500メートル程度の高地で、気温は1年じゅう20度前後で安定している。雨期と乾季に分かれていて、私が訪れた5月中旬までは雨期だが、強い雨がしばらく降ると青空が広がる。治安もよく美味しいレストランもあって快適そのものだが、旅行者にとっての難点は観光する場所が少ないことだ。
ガイドブックを見ても、キガリの「観光名所」は虐殺記念館くらいしか載っていない。ホテルのツーリストデスクに聞いてみたが、提案されたのは日帰りのサファリだけだった。
私は動物にさしたる興味があるわけではなく、サファリも南アフリカ(ヨハネスブルク)とボツワナ(チョベ国立公園)で体験したのであまり気が進まなかったのだが、ほかにやることもないので、タンザニアとの国境にあるアカゲラ国立公園に行ってきた。
ここはインパラ、シマウマ、キリンなどのほか、乾季なら水場でアフリカゾウが間近で見られるようだ。草食動物が多いのは、ライオンやチーターがいないからだという。まる1日ガイド兼ドライバーと四輪駆動の車を借り切って300ドルだった。
ルワンダ観光で有名なのはキガリの北西にあるヴォルカン国立公園で、コンゴとの国境に接する火山群の山裾に広がっている。この一帯はマウンテンゴリラの生息地で、現在は8群が観察可能。
鉱物資源や観光資源があるわけでもなく、輸出用の農産物としては最近ようやく認知度が上がってきたコーヒーくらいしかないルワンダが、なぜここまで発展したのだろうか。
それは“独裁者”ポール・カガメ大統領が、この小国をアフリカ投資のハブにすることを目標に、徹底した治安対策や英語公用語化を断行したからのようだ。そのきわめて合理的な開発独裁はシンガポールの建国者リー・クアンユーとよく似ており、しばしば並び称される。
ルワンダへの投資は中国が先行しているが、アフリカ進出を考える欧米企業にとっても、安全確保に大きなコストをかけることなく従業員と家族を派遣できるのは大きなメリットだろう。
こうした戦略は、ルワンダ航空がアフリカの主要都市だけでなく、ジュバ(南スーダン)、ルーブルヴィル(ガボン)、ルサカ(サンビア)などにも定期便を運航していることからもわかる。キガリにヘッドオフィスを構えれば、従業員をアフリカじゅうに出張させることができるのだ。
ルワンダは「千の丘の国」といわれるほど丘陵が多く、キガリの市街地を取り囲む丘の上は高級住宅街になっている。下の写真のような住宅には外国人が住んでいるが、地元の中産階級向けのマンションや住宅地も続々と開発されている。
ルワンダのあとはドバイに1泊した。宿泊したのは空港にちかい「フェスティバルシティ」という大型ショッピングコンプレックスで、3つのホテルが併設されている。
これらの大規模開発は、おそらくは2022年にカタールで開催されるサッカー・ワールドカップを見据えたものだったのだろう。
ドバイとカタールの首都ドーハは300キロ程度しか離れておらず、東京―大阪間より近い。旅行者で混雑するカタールを避け、ドバイ空港近くのホテルに宿泊して日帰り観戦することもじゅうぶん可能だ。
ところが2017年に、サウジアラビアがイラン(およびシーア派の武装組織)を支援しているとしてカタールとの国交断絶を発表すると、ドバイを含むアラブ首長国連邦もそれに追随した。現在はドバイ―ドーハ間の直行便も運航を停止しており、2022年までに国交が回復するかどうかはわからない。
じつは今回の旅行は、最初はイランに行くつもりでドバイまでの往復便を押さえたのだが、そのあとになって5月5日からラマダンが始まることに気がついた。地元のひとたちが断食するなかで、旅行者用のレストランでこそこそと朝食や昼食を食べるのは楽しくなさそうなので、行き先を変更したのだ。
ラマダンの時期にマレーシアを訪れたことはあるが、アラブ圏は初めてだった。今回知ったのだが、外国人も利用するドバイのホテルやショッピングセンターでは、日が高いうちは黒いカーテンで店内を隠すことになっている。ラマダンに関係ない「異教徒」は、このカーテンをくぐって飲食するのだ。
昼食はホテルのレストランで食べたのだが、黒いカーテンで遮られているにもかかわらず、店内のいちばん奥のテーブルにアラブ系の男女4人グループが座っていた。コーヒーと水で談笑しているだけだが、ラマダン中は人前で飲料を飲むことさえはばかられるようだ。
そんな彼らの横で白人のグループが赤ワインのボトルを入れてステーキを食べている。その光景を見て、やはりイスラーム圏の旅行はラマダンを外してよかったと思った。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)。
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