市庁にほど近いソウル中心部に、100年前に建てられたとも言われる古い韓国家屋を利用したゲストハウス、「大元(テーウォン)旅館」がある。韓国におけるバックパッカーホテルの先駆けとして知られ、日本人のファンも多いこの家が、再開発により近いうちになくなってしまう。
町内の撤去工事が進み、隣も既に空き地となっている、そんな同旅館を訪れた。
伝統的なつくりの玄関をくぐると、韓国家屋らしく家の中心に中庭があり、そこが宿泊客のリビングルームとなっている。それぞれの個室はオンドル(床暖房)仕様で、床に直接布団を敷くタイプであり、韓国の庶民的な旅館を思わせる。
もちろん、宿泊費を抑えたいバックパッカーのために、空間は共用で寝床だけ借りるドミトリータイプの部屋もある。宿泊料はドミトリーで1泊1万5000ウォン、個室で2万ウォンから(現在100ウォン=8.37円)。
25年間この旅館を運営してきた、主人のキム・ヨンギルさんにお話を聞いた。
かつては妓生(キーセン)の住む家だったと言われるこの建物、1970年ごろから別の主人により一般的な旅館として使われてきたが、1985年にキムさんが、外国人向けの安宿として運営を開始した。
当時、韓国に外国人バックパッカーを受け入れる安宿はほとんどなく、大元旅館がその先駆けとなった。オープン当時は1泊3500ウォンで寝床を提供しており、1986年のアジア大会の際には、中庭にもベッドを設置するほどの盛況ぶりだったそう。
今や多数のガイドブックに紹介され、世界各国のバックパッカーにその存在を知られているが、息子さんが日本語を話せることから、特に日本からの旅行者が多いという。長年のリピーターも多く、1年に3~4度も訪れる常連客も。
旅人同士の交流の場となる中庭のリビングも喜ばれており、ここで見知らぬ人たちが意気投合し、遅くまでマッコリを飲みかわすこともあるとか。
キムさんに旅館での思い出を聞いた。「キムチを漬けていたところ、泊まっていたお客さんたちが、皆でそれを手伝ってくれたんです。そこでおすそわけしたところ、日本からありがとうという手紙を送ってくれました」。
宿泊客のひとりが酔って財布をなくしてしまったところ、他のお客さんたちが自発的に探しはじめ、ゴミ袋の中からとうとう見つけ出したという事件も、忘れられない思い出だ。
取材当日に宿を利用していた、日本人の常連客に話を聞くと、大元旅館の魅力は何といっても、旅の情報が得られること、そしてキムさんご夫妻の人柄にあると話す。「ここの常連たちはみんな、おじさん、おばさんを慕ってやってくるんですよ」。
撤去工事が始まり、旅館を閉めるのはいつになるかわからないが、今年中にはそうなるのではとキムさんは話す。だが、愛着のある建物はなくなるものの、大元旅館の息が途絶えるわけではない。
いよいよ撤去工事が始まった2006年に、息子さん夫婦が「新大元旅館」をオープンした。旧大元旅館から徒歩10分ほどの場所に位置するこの宿は、旧館と同様、古い韓国家屋を改修して利用していることが特徴だ。
新館は設備が新しいため、女性客に喜ばれているそう。
大元旅館が閉店となった後は、キムさん夫妻とは新しい宿で出会うことができるだろう。だがその前に、古き大元旅館に思い出を持つかつてのバックパーカーたちは、早めにここを訪れておきたい。
(清水2000)
町内の撤去工事が進み、隣も既に空き地となっている、そんな同旅館を訪れた。
伝統的なつくりの玄関をくぐると、韓国家屋らしく家の中心に中庭があり、そこが宿泊客のリビングルームとなっている。それぞれの個室はオンドル(床暖房)仕様で、床に直接布団を敷くタイプであり、韓国の庶民的な旅館を思わせる。
もちろん、宿泊費を抑えたいバックパッカーのために、空間は共用で寝床だけ借りるドミトリータイプの部屋もある。宿泊料はドミトリーで1泊1万5000ウォン、個室で2万ウォンから(現在100ウォン=8.37円)。
25年間この旅館を運営してきた、主人のキム・ヨンギルさんにお話を聞いた。
かつては妓生(キーセン)の住む家だったと言われるこの建物、1970年ごろから別の主人により一般的な旅館として使われてきたが、1985年にキムさんが、外国人向けの安宿として運営を開始した。
当時、韓国に外国人バックパッカーを受け入れる安宿はほとんどなく、大元旅館がその先駆けとなった。オープン当時は1泊3500ウォンで寝床を提供しており、1986年のアジア大会の際には、中庭にもベッドを設置するほどの盛況ぶりだったそう。
今や多数のガイドブックに紹介され、世界各国のバックパッカーにその存在を知られているが、息子さんが日本語を話せることから、特に日本からの旅行者が多いという。長年のリピーターも多く、1年に3~4度も訪れる常連客も。
旅人同士の交流の場となる中庭のリビングも喜ばれており、ここで見知らぬ人たちが意気投合し、遅くまでマッコリを飲みかわすこともあるとか。
大元旅館で出会い、結婚したカップルも少なくない。
キムさんに旅館での思い出を聞いた。「キムチを漬けていたところ、泊まっていたお客さんたちが、皆でそれを手伝ってくれたんです。そこでおすそわけしたところ、日本からありがとうという手紙を送ってくれました」。
宿泊客のひとりが酔って財布をなくしてしまったところ、他のお客さんたちが自発的に探しはじめ、ゴミ袋の中からとうとう見つけ出したという事件も、忘れられない思い出だ。
取材当日に宿を利用していた、日本人の常連客に話を聞くと、大元旅館の魅力は何といっても、旅の情報が得られること、そしてキムさんご夫妻の人柄にあると話す。「ここの常連たちはみんな、おじさん、おばさんを慕ってやってくるんですよ」。
撤去工事が始まり、旅館を閉めるのはいつになるかわからないが、今年中にはそうなるのではとキムさんは話す。だが、愛着のある建物はなくなるものの、大元旅館の息が途絶えるわけではない。
いよいよ撤去工事が始まった2006年に、息子さん夫婦が「新大元旅館」をオープンした。旧大元旅館から徒歩10分ほどの場所に位置するこの宿は、旧館と同様、古い韓国家屋を改修して利用していることが特徴だ。
新館は設備が新しいため、女性客に喜ばれているそう。
一方、昔ながらの大元旅館に思い入れがあり、あえてそちらを選ぶ人も少なくないという。
大元旅館が閉店となった後は、キムさん夫妻とは新しい宿で出会うことができるだろう。だがその前に、古き大元旅館に思い出を持つかつてのバックパーカーたちは、早めにここを訪れておきたい。
(清水2000)
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