主人公のコロンバスはきまじめなゲーマーで童貞。「車道側を歩け」とか「ドアは開けてやれ」とかのモテマニュアルを守るように、「二回撃って止めを刺せ」「後部座席を確認しろ」などの32のルールを守ってゾンビから逃げ回る。コロンバスが作った32のルール。これはつまりゾンビ映画のお約束だ。
ゾンビ映画(というかホラー映画全般)にはお約束がある。車の後部座席からモンスターがおそいかかり、逃げてる途中で足がもつれ、一度仕留めたと思っても起き上がる。ファンはそのお約束も含めて楽しむ。ルール通りなら安心するし、外されれば驚く。これを逆手に取った作品に「ザ・フィースト」があった。正体不明のモンスター(残念ながらゾンビではない)が襲ってくるホラーで、登場人物は、勇敢なら”ヒーロー”、バカやって状況を悪化させるなら”マヌケ”など、ホラー映画によくあるキャラクターの役割で呼ばれる。ファンなら薄々気づいてた登場人物のお約束をぶっちゃけたわけだ。
そう、「ゾンビランド」はルールの映画だ。32のルールを持つコロンバスはもちろん、劇中の主要人物はゾンビも含めて全員ルールに囚われている。詐欺師姉妹のウィチタとリトルロックは「自分たち以外は信用しない」、革ジャン、ジーンズ、カウボーイハット姿でアメリカンマッチョを絵に描いたようなタラハシーは「どんな危険を侵してもトゥインキー(アメリカのお菓子)を食べる」。ゾンビが人肉のことしか考えてないことはいうまでもない。
ゾンビとヒトの対決は、それぞれが持つルールの対決だ。ゾンビのルールは「ヒトを襲う」、ヒトのルールは「ゾンビから逃げる」+「個人のこだわり」。ヒトのほうが視野が広くて反省も予測もできるから、当然「ゾンビから逃げる」の方が優れる。守っている限りヒトは負けない。しかし、「自分だけ助かろう」「肉親は助けたい」などの「個人のこだわり」が「ゾンビから逃げる」を曲げることで、「ヒトを襲う」を守り続けるゾンビに破滅させられる。これが今までのゾンビ映画だった。
「ゾンビランド」は逆だ。
このように前向きなノリだから悲壮感に欠けるし、不意打ちはできない(ルールでバレてるせい)、やられるときもゴア(血潮や内臓の残酷表現)が控えめなど、ゾンビの扱いもヒドい。だけど「ゾンビランド」は「ポップで前向きで分かりやすい」というこれまでにありそうでなかったニッチを埋めた貴重なゾンビ映画だと思う。ニッチのニッチを埋めたら一番メジャーになったというのも何だか良い話だと思う。(tk_zombie)