(Part1)
ーー海外を理解したときに見えてくる、日本との文化の違いはどんなところですか?
稲船 日本人には凝り固まった部分があって、だれかが「良い」っていうまで誰も動かないところがありますね。「デッドライジング2」というゲームのプロモーションで「屍病汚染 DEAD RISING」*という映画を撮って大勢の前で上映したんですが、笑ってほしくて編集した部分でも日本では真剣に観ている。アメリカでは大笑いしながら観るのに。
ーー改造車椅子がバーンと出てきて悪者をやっつけるところとか。
稲船 日本人はシリアスな血まみれのゾンビが出てくるような映画で笑うと思ってない。だから「笑いたい」と思っても我慢するんですよね。「笑っていいのかな、ここ?」って。おくゆかしさかもしれないけど、これが簡単にいえる文化の違いです。
ーーこれからはB級好きじゃなくて海外志向と言おうと思います!「屍病汚染」はこれまで開発されてきたゲームと違って映画です。演出で違う部分はありましたか?
稲船 ゲームの場合は「え? どういう意味?」と思われた時点で進まなくなっちゃう。だから、次はこっちからあっちに行ってね、とプレイヤーに説明しないといけない。
ーーゲームの文法をパロディにしているんですね。
稲船 「屍病汚染」はゲームと映画の間で演出しているから、単純に映画の方程式にあてはめるといらないシーンがある。それは分かっています。
ーー逆に映画を強く意識して演出した部分もありますか?
稲船 ゲームだったら基本的に主人公は最初から最後まで強くていい。プレイヤーは最初からバットでガンガン敵をぶっとばす。爽快です。でも、「屍病汚染」は 80 分の中で主人公がだんだん勇気をもっていく話にしたかった。ホラー映画では、かよわい人間が追われていく過程でだんだん強くなっていって、最後にはモンスターや殺人鬼よりも強くなります。だからそれに則って、一人きりになったら絶対生き延びられないような車椅子の少年を主人公にしました。そこからスタートして、お兄ちゃんに助けられてヒロインに励まされてハンディキャップを心で補って強く成長していくんです。
ーー最初のほうで言ったことが意外な形で実現して人が死ぬところは「バタリアン」や「ショーン・オブ・ザ・デッド」を思い出しました。監督する上で特定のゾンビ映画をイメージされましたか?
稲船 特定の映画というよりも、ぼくが今まで観てきたゾンビ映画のエッセンスを入れました。あとは、あくまでプロモーションですから、「デッドライジング2」を一番意識しています。ゾンビ化を抑制する「Zombrex」というクスリが重要であるとか、今回の売りとして武器を改造できるので、車椅子と他の武器を足してすごく強い改造車椅子になるとか。プロモーションじゃなくて単にゾンビ映画を撮りなさいといわれたら、全然違うものを撮ります。ほんとはやりたいんですけどね!
*屍病汚染 DEAD RISING
「デッドライジング2」のプロモーションとして撮影された稲船敬二監督の第一作。自己中、他力本願な車椅子の少年が兄やヒロインが闘う姿を見て成長、行く手に立ちふさがるゾンビやサイコに改造車椅子で立ち向かう。B級ガジェットが楽しい正調ゾンビ映画。もちろんゾンビは歩きます。,公式サイトで無料配信されていますが、DVD には配信とは異なるもう一つのエンディングも収録されているそうです。
「私もそれ観たいんですけどね!」と思いました(その場では緊張して言えなかった)。