フリーライターの村崎百郎氏が、今年の7月23日、自宅を訊ねてきた自称読者だという男に刺殺された。村崎百郎とは、紫色の頭巾をかぶった巨漢の怪人で、他人様のゴミを漁ってプライバシーを暴いたり、社会の常識に唾を吐きかけるような文章をひたすら書き続けてきた、電波系鬼畜ライターだ。


デビュー以来一貫して「自分は狂人だ」と宣言し続けていた村崎氏だったが、その文章は一見暴力的でありながら、実はすべての人間が胸に秘めている闇を抉り出していて痛快だった。ときには、暴言の裏に社会の行く末を案じる様子を感じさせることさえあった。本人が自身を「狂人だ」と称するのを否定するつもりはないが、そこにある狂気は、世間一般が定義しているものとは少し違っていた。

狂気などというものは、本当は誰の心の中にもある。ただ、みんなそのことに気がついていないだけだ。そのことに気がついたなら、あとは、自分でコントロール出来るか、出来ないか、そのどちらかでしかない。もちろん村崎氏は、自分の中にある狂気に意識的であり、なおかつそれをコントロールできる人間だった。紫頭巾はそのための装置だった。

本書は、村崎氏によるいくつかの代表的な原稿を再録しつつ、生前に交流のあった作家や編集者たちによる証言をまとめたものだ。これによって、村崎百郎(黒田一郎)という人物がどういう人生を歩んできたのかが、浮き彫りにされている。ひとりの人間の人生を1冊の本にすべて納めるのは不可能だろうけれど、それでも村崎百郎がこの世に残してきた足跡は、370ページの中にかなり詰め込まれている。彼を思い、彼を振り返るには、これ以上ないほどの資料だろう。


事件が報道された直後、「鬼畜のような言動を売りにしてきたのだから、己のキャラに見合った最期だ」と、したり顔で言う者もいたようだが、生前の活動がどのようなものであれ(少なくとも極刑に値する罪を犯していないのなら)他人から命を奪われなければならない道理はない。

自分は、残念ながら村崎氏と直接の面識はなかったので、事件の一報を聞いたときには驚きこそしたものの、正直なところ“悲しい”という感情は湧かなかった。そのことが良かったのか悪かったのかはわからない。けれど、本書に書き連ねられた友人たちの言葉を読んでいると、いまさらながら深い悲しみを感じ、とてつもない喪失感が押し寄せてくる。まったく惜しいキチガイを亡くしたものだ。

この本を読み終えて、表紙を閉じ、あらためて古屋兎丸氏が描いた表紙イラストを見て少し泣いた。白いワイシャツに半ズボンで紫頭巾をかぶった小学生の村崎百郎が、両手に黒いゴミ袋を握り締めている。そのシルエットはまるでスペースシャトルのようだ。村崎百郎は地上での役目を終え、シャトルの形をした棺桶に乗り込み、ゴミの燃料を燃やしながら宇宙へ旅立っていった。(とみさわ昭仁)
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