その1。小学生のころは爆破マニアだった。
その2。大学時代は千葉にある歯科大学に通っていた。同時期に『機動戦士ガンダムUC』原作者である福井晴敏も同じ沿線の大学に在籍していた。しかし、二人の間に面識はなく、実は飴村はガンダムを一度も見たことがない。
その3。西村寿行のハード・バイオレンス小説の愛好者として知られる飴村だが、実は村上春樹も愛読している。文庫に落ちた村上作品をずらりと本棚に揃えているらしい。
その4。いまだにネット環境にPCをつないでいない。どうしてもネットを見なければならない場合は、実兄にプリントアウトしてもらって見ている。
きりがないのでこれでおしまい。
飴村行は、『粘膜人間』で日本ホラー小説大賞長編賞を獲って2008年にデビューした、新進ホラー作家である。彼はデビュー第2作『粘膜蜥蜴』で日本推理作家協会賞を受賞した。この賞はミステリー作家の団体が主催しているもので、選考も作家・評論家によって行われる。つまり飴村は、同業者によってその実力を認められた作家なのである。同賞をデビュー第2作で獲得するのは珍しく(デビュー作には受賞権がないので、第2作が最速となる)、文庫オリジナルの作品で獲得した例は前例がない。それだけ周囲から期待されているということだ。
その飴村の長編第4作が1月27日に発売された。『爛れた闇の帝国』だ。作者にとっては、初の単行本の著書である。エキサイト・レビューはその刊行を記念し、飴村にインタビューを敢行した。間もなく記事で読んでもらえると思うので、今しばらくお待ちいただきたい。その前に新刊紹介である。
これまでの飴村の著作は『粘膜人間』『粘膜蜥蜴』『粘膜兄弟』と、すべて題名に〈粘膜〉の二文字が冠されていた。同一主人公が登場するというわけではない。ただ小説の時代がすべて先の戦争中に設定されており、われわれの知っているものとは、ちょっとだけ違う日本、ちょっとだけ違うアジアが出てくる。
『粘膜人間』では、身長190センチを超える巨漢の弟(ただし11歳!)の家庭内暴力に悩まされる兄たちが、河童に彼の殺害を依頼するところから物語が始まる。そう、この世界では河童がいるのが当たり前なのだ。第2章では、憲兵による過酷な拷問の場面がある。「髑髏」といって、おそらくこれまで日本の小説で書かれた中でもベスト10には入る、生理的な恐怖感を煽る拷問だ。食事をしながらこの場面を読むと、食欲が完全になくなるはずである。
次の『粘膜蜥蜴』では、日本が東南アジアの某所を占領していて、そこには「蜥蜴人間」がいるという設定になっている。安価な労働力としてその蜥蜴人間を国内に連れ帰り、使役しているのだ。この小説には、日本兵がマレー大陸の密林を進んでいるうちに巨大生物に襲われる場面が出てくる。一種の秘境小説なのである。
『粘膜兄弟』は前2作に比べると、やや怪奇描写は少な目で、代わりに戦争場面がふんだんに出てくる(飴村は戦記マニアだ)。この小説に登場するのは「フグリ豚」という奇怪な生物。主人公の双子の兄弟は、このフグリ豚を飼育して生計を立てているのである。
河童に髑髏に蜥蜴人間にフグリ豚。こんな感じで、幻想性と暴力要素とが不思議なバランスの上になりたっていたのが過去の〈粘膜〉シリーズだった。では、初の非〈粘膜〉作品である『爛れた闇の帝国』はどうなのか。
大きな違いは、時代設定の「半分」が現代であることだ。主人公の高井正矢は16歳。突如学校が嫌になって、親友にも告げずに退学してしまった。当然、無職。正矢の家族は母だけで、2DKのぼろアパートで生活している。その暮らしが、ちょっと困ったことになってしまうのである。
この欝展開だけでもたまらないが、残る半分のパートがさらなる絶望を味わわせてくれる。闇の中で目を覚ました男は、自分が全裸で壁に鎖でつながれていることを発見する。そばに置かれた衣服から、男は自分が帝国陸軍の上等兵であると認識するのだが、自分が誰なのかはまったく記憶がない。彼の前に、憲兵服を着た男が現れるのである。つながれた男はその憲兵らしき人物から、自分が「大罪」を犯したのだと告げられる。当然彼にそんな記憶はないのだが、憲兵は拷問によってそれを回復させると宣言し、驚くべき行動に出る。
高校中退、無職、家に居場所なし、一切の未来の展望なし、という苦境に落ちこんだ正也と、文字通り鎖につながれて拷問を受けさせられる男と、いったいどちらが辛いのだろうか。そして、この二重の悪夢は、いったいどういうつながりになっているのだろうか。作者は二人の場面を交互に見せながら物語を紡いでいく。
読後に改めて思ったのは、飴村行の「嫌なこと想像脳」の奥深さであった。身体の破壊レベルだけなら過去の〈粘膜〉シリーズのほうが上かもしれないが、それらの作品は遠い昭和の話だった。今回の作品は舞台が現代である。しかも状況設定が微妙にリアルだ。正矢の置かれた境遇を知って、他人事とは思えない恐怖、不安を感じる読者は多いだろう(ちなみに飴村にも、10年近くフリーターとして極貧生活を送った過去がある。詳しくはインタビューで)。そんな感情を人質にとって、飴村は読者を操ろうとしている。
嫌なもの、不快なものには一切触れたくない、綺麗なもの、無菌のものだけを見ていたい、という人には決してお薦めしない。そうした闇の要素があるからこそ光の部分が輝いて見えるのだと理解している人にとっては、絶対に読むべき一冊だと断言しておく。(杉江松恋)