その2回の対談の内容をまとめ、電子書籍としたものが3月19日に公開された『杜の輪舞曲(ロンド)』である。
紙媒体での発売はなく、電子書籍のみでの販売。読書フォーマットにはモリサワ社のMCBookが使われており、読みやすい。版元は、ソーシャルラーニング事業で実績のあるキャスタリア株式会社だ。
瀬名はすでに出版社を介在させない雑誌形式の電子書籍「AiR」の刊行に携わり、この方面での実験を開始している。紙の媒体には紙にふさわしいコンテンツがあるように、電子書籍にもそれにふさわしいコンテンツがあるべきだ、という主旨から本書は企画されている。現在電子書籍を手に取っているのは、おそらくは知の領域に深い関心を持っている読者のはずだ。そうした人々に向けた作品なのである。また、宮城県仙台市発のコンテンツということで、瀬名は「電子書籍は地方発のコンテンツでこそ面白さを発揮できる」との持論を実行に移した形になる。
冒頭、1回目の対談において、2人は仙台という街の印象について話しあっている。
仙台市に住んで15年になるという伊集院が語ったのは、「春から夏にかけての鮮やかさと夏の短さ」、そして住居のある泉区から見る空の印象である。9月から伊集院は「河北新報」に小説「青葉と天使」を連載している。これは江戸時代後期から明治時代に実在した「福の神」仙台四郎が現代に再臨したら、という構想から生まれた作品で、仙台という街に、人に優しいという大きな魅力があるからこそ生まれた小説だ。
静岡出身だがすでに人生の半分以上は仙台に住んでいるという瀬名は、この土地においては科学的な施設に対する関心が強く、市民との交流もよく図られていると語る。仙台の空の印象について瀬名も触れ、「自然から学ぶことと科学を学ぶことが、自分の中では近づいてきている」と話している。
自然や街、人との調和を保ちながら、遊び心を持って知を楽しむ。そうした態度を持ち続けることの意味と、自身の中にあるものを創作として形に残すために大切な要件とが、柔らかい調子で語られていく。興味を惹かれるのは、伊集院の「『創る』という上で一番大事なことは、『誠実』であることと『丁寧』であるということです」という言葉で、文章を綴るという作業だけではなく、ロボットのプログラミングなどといった理工学研究の分野、子供の教育や料理といった日常の行為にもその二点の話題が拡げられていく。ものづくりに関心がある読者は、二人の対話の中に必ず何かを発見することだろう。たとえば私は、文章を書き続けることにおいて「丁寧」とはどんなことなのか、伊集院が語った言葉に感銘を受けた。
未来について明るく語った作品である。その中には仙台市の冬の風物詩である「光のページェント」や夏の「七夕祭り」の写真も挿入され、在りし日の杜の都の姿が美しく保存されている。
だが、本書を手にするとき、誰もが3月11日に起きたあの災禍、東北地方太平洋沖大地震について思いを馳せるはずだ。ここに残されたような美しい街の姿を再び目にすることができるようになるのは、いったいいつの日になることか。
瀬名は、3月11日に仙台市にいて被災し、事務所が甚大な被害を蒙った。その瀬名が震災後に綴った文章の引用である。
――いまも宮城県では余震が続いており、停電中の地域も少なくありません。市民は節電に努めており、私たちは粛々と、しかし希望を持って暮らしています。電気とインターネット環境を必要とする電子書籍が、こうした被災地でいま読まれることは少ないかもしれません。被災地にも娯楽コンテンツは大切ですが、震災当初からその役割の多くはラジオが果たしています。
――しかしインターネットが復旧した日、私は事務所のパソコンでようやくブラウザを立ち上げ、初めてニュース映像やTwitterを拝見し、直接の被災地ではないたくさんの方々にも大きなご心労があったことを改めて強く実感し、深く考えさせられました。多くの情報と共にあったからこその不安は計り知れないものだったと察します。だからこそいま良質な楽しいコンテンツを、仙台から日本全国へ向けて発信することに、大きな意味があると感じました。
いかなることがあろうとも知と生の歩みを止めてはいけないという強い意志を、私はこの文章に感じた。