なんてねえ。
明るく言えるのはネット上くらいなもんでして、表立っては言えないっスよ。
まあオタク界隈の裾野が広がり、ロリコンの語の意味が曖昧になっているため昔ほど迫害されることがなくなったとはいえども、ロリコンの語は決して「正しい」意味として使われません。
具体的に言うと「そういう嗜好もあるよね」と「理解」はできても、「納得はできない」ということです。ロリコン側も「受け入れてもらおう」なんて思わないから、マリアナ海溝級の溝が誕生します。めでたしめでたし。お互い対岸だと思って諦めるしかない。
人間の性的嗜好の相互理解なんて、永遠に無理よね。十人十色もいいとこよ。
こんな現在に投げかけられた疑問符的作品が、日向まさみち『ロンリー・コンバット!』です。謳い文句は「年の差恋愛ラブストーリー」。うーん、甘酸っぱい。
しかし中身は序盤から吹き飛ばしております。
「ロリコンを患ったので、塾講師になった。」
しょっぱなから潔し。
さて「ロリコン」にもいろいろな種類がありまして。
「単にかわいい女の子を見ていられればそれでいい」というロリコンもいれば、「手を出していろいろしたい」というドロリとした願望を持ったロリコンもいます。中には「二次元にしか興味がありません」というロリコンもいます。
この主人公伏見イナリはその点でいうと1番のタイプのロリコン。「YESロリータ、NOタッチ」。あ、これ本文に出てきますから。僕の趣味ってだけじゃないですから。
誠実に塾講師のハードワーキングをこなし、魅力的なテキストを作り、教育のために労力を惜しまず8年塾に勤務しているという、むしろ褒められるような真面目な人間です。
ただ、ロリコンなのでかわいい女子中学生を見ているのが幸せというね。
ああ。
なので塾では女子中学生には厳しくしていて距離ができるという悲哀。不器用なんじゃなくて、これが精一杯。グギギですね。
特に自分のオタク趣味は明かしたら気持ち悪がられると感じているため、隠していました。
ところがある日、九重都という少女に呼び出されて人生が変わります。それまでは「女子中学生と甘いトークをしたいぜ!」なんて妄想をしていた彼のもとに来た彼女の最初の会話はなんと「みつどもえ」の話。
えっ、週刊少年チャンピオン読者なの!? 君はぼくか?!
話は二転三転し、イナリは塾長と親公認で(不純な動機を持ちつつ)都の家庭教師になるのですが、ここからが本作の恐ろしいところ。
楽観的な話なら「ロリコンの俺が家庭教師になって教え子とドキドキ☆」なわけですが、人を好きになるってそういうもんじゃないわけですよ。
イナリの趣味であるロリコン嗜好を、本人は「よいもの」と肯定しません。むしろ、それが恥ずべきこと、隠すべきことであると強く認識しています。
それだけの高いモラルが彼にあるからこそ、ロリコン趣味を保てているのもまた事実なのです。
こんな人間26歳が、本当に13歳の少女を一人の人間として愛してしまった時に、どのような行動を取るべきなのだろうか?
しかも少女都もイナリの事を強く、心から愛しています。両思いもいいところ、今にだって駆け落ち可能な「愛があれば大丈夫」状態。けれど本当に「愛があれば大丈夫」ですか?
世間の目は「ロリコン」というレッテルに決してやさしくはない。でもそれは事実なのだから、誠実に生きていくしかない。人の何倍も。
本作はオタクネタが数多く散りばめられており、それを探して読むだけでも相当ニヤニヤできます。
文体も軽快でサブキャラ達も魅力的。さくっと笑いながら読み進められるでしょう。
そして最後まで読んだ時に、ものすごく多くの疑問にかられるはずです。
性的嗜好と愛は関係するんだろうか?
人の持つ偏見はどこまでお互いに妥協できるのだろうか?
本当に人を愛した場合、その幸せをどう叶えたらよいのだろうか?
タイトルも最初てっきり「ロリータ・コンバット」だと思っていたら『ロンリー・コンバット!』でした。
あれー、「ロリータ」でいいじゃん、と途中まで思っていたのですが、読み終わって納得、これは「ロンリー」な戦いの物語なのです。
全部読み終わってから、表紙を外してみてください。
そこに、ロンリー・コンバットことイナリの戦いの道が描かれています。
ロリコンのみならず、様々なマイノリティーなコンプレックスを抱えた人に捧げたい一冊です。
……でもさ、夢くらいは、見てもいいよね。夢くらいは。
(たまごまご)