連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第26週「幸せになりたい!」第156回 9月29日(土)放送より
脚本:北川悦吏子 演出:田中健二
最終回「半分、青い。」これほど激しく賛否が分かれた朝ドラも近年ない
半分、青い。 メモリアルブック (ステラMOOK)

半分、青い。 メモリアルブック

156話はこんな話


2011年7月7日、つくし食堂で、そよ風ファンのお披露目パーティーが行われる。
出席者は、カンちゃん(山崎莉里那)、晴(松雪泰子)、宇太郎(滝藤賢一)、草太(上村海成)、里子(咲坂実杏)、大地(田中レイ)、弥一(谷原章介)、健人(小関裕太)、麗子(山田真歩) ブッチャー(矢本悠馬)、菜生(奈緒)、満(六角精児)、富子(広岡由里子)、木田原五郎(高木渉)、幸子(池谷のぶえ)、ボクテ(志尊淳)、正人(中村倫也)とずらり。

取材中、鈴愛(永野芽郁)は、そよ風のファンの名まえの変更を思いつく。
その名は・・・マザー。
母親への思いを託したものだった。

こばやん、再登場


そよ風ファンの取材に来た地元の新聞記者は、こばやんこと小林(森優作)だった。
高校時代、鈴愛の初恋というか初デートの相手である。

扇風機をつくった鈴愛に「回るものが好きでしたね」と指摘するこばやん。
エキレビレビューでは40話から、鈴愛のまわるもの好きに注目していた。


こばやんの台詞は「くるくる」になっていたが、回想の鈴愛は「ぐるぐる」と言っているのと「グルグル定規」の名まえからも、レビューでは「ぐるぐる」に統一した。
40話での指摘後、100円ショップ篇で、元住吉の“かたつむり”が登場し、モチーフとして渦が意識されていることは確信につながったものだ。

また、こばやんとデートした明治村には「蝸牛庵」という名の建物(やどかりのように幾度となく住まいを変えた幸田露伴の家のひとつ)で、があり、彼が鈴愛と渦の関連性を指摘するのは、最適な人物であると考えられる。彼はぐるぐる回り道することなく「初志貫徹」して新聞記者になった。このドラマのなかでは珍しいブレない人物という点もおもしろい。

それはともかく、こばやんは本来結ばれるべきだった鈴愛と律を最初に引き離した人物である。
鈴愛がこばやんとデートするとき、律はもやもやした気分を持て余していた(18、19話あたり)。
こばやんは、一瞬の気の迷いとはいえ「僕が守ります」と鈴愛に宣言までしている。

あれから20年以上の時が経ち、鈴愛と律は、各々、恋、結婚、子ども誕生、離婚などを体験し、回り回って、
最終回。155話では律が「あいつを守るために生まれた」と確信を語っていた。
「リツのそばにいられますように」と鈴愛は短冊に願いを書き、律は「鈴愛を幸せにできますように」と大団円を迎える。

佐藤健の「俺でいいの」のトーンがまたキラートーンであった。

「律しかだめだ 私の律は律だけなんで ひとりだけなんで」などと鈴愛の言い方はぶっきらぼうではあるが、いろんな人に目移りしたがオンリー・ユーといことであろう。
ふられた正人にも涼次にも「やり直さないか」と言われ断って、こばやんにも再会したのちの、律。律儀(相手が律だけに?)というか、負けっぱなしじゃいられない性分というのか今が一番な感じにこだわる気持ちもわからなくはない。

最後の最後、律が鈴愛に、雨の音がきれいに聞こえる傘をプレゼントする。
晴、鈴愛、カンちゃんの三人で傘を差すと、きれいな音が鳴ってきて、世界は美しい青に変わる。

この傘は、高校卒業するときの会話(29話)を律が覚えていたという流れになっている。

鈴愛「律、左側に雨が降る感じ、教えてよ」
律「傘に落ちる雨の音ってあんまきれいな音じゃないから 右だけくらいがちょうどいいんやないの」
29話のレビューで、この鈴愛の台詞は渾身の告白じゃないかと書いた。それを未成熟な律は交わしてしまったが、これまた時を経て、愛し方がわからないと悩みながら、ついに、彼なりの愛の表現を示すことができたのだろう。彼は愛し方がわからないのではなく、誰を本当に愛しているかわからなかったのだ。
なぜなら、ドラマがはじまった頃、佐藤健がインタビューで「恋愛するタイミングを逃してしまった2人であって、お互い、好きなんだろうけれど、あまりにも小さい時から一緒にいて、好きなことに気付けなかった。オトナになって離れてから気づくような関係で(後略)」(スポニチ2018年4月15日配信記事より )と語っていたから。佐藤健は早くからドラマの核を語っていたのである。


かくして、156話、半年(ドラマのなかでは40年)かけて、ふたりは収まるところに収まり、巡り巡って運命の人と結ばれるロマンチックで多幸感あふれる物語としてまとまった。

以前、田中健二チーフディレクターにムック本の取材をしたとき、七夕生まれのふたりだから、離れ離れになった織姫と彦星のように巡り合うのだと言っていた。
また最終回放送後、華丸が土曜日で「あさイチ」がないため、Twitterで朝ドラ受けをして、そこで、こどもの頃の糸電話した川は七夕と関わっていたのではないかと解釈していた。
織姫と彦星は毎年毎年ぐるぐる出会いと別れを繰り返している。
彼らは“雨”が降ると会えない。その雨という障害を乗り越えて、ようやくふたりは一緒になったのだ。


蛇足ながら、半分、辛い。


お別れは気持ちよく終わりたいが、どうにも納得いかない視聴者もいるだろう。
なにしろ、これほど激しく賛否が分かれた朝ドラも近年ないのではないか。エキレビ!の編集長はこのドラマが大好きだった。

ここからは、きれいに終われない人に向け、ちょっと辛口でいきます。

漫画ももうすこしうまく使ってほしかった。
めぐりめぐって結ばれる物語は鈴愛がはじめて描いた漫画「神様のメモ」で描かれたことだった。
ボクテが気に入って自分でも描いてみてうまく描けなかった。そして、もう一度描いてみたいとこだわっていた漫画だ。
この漫画について最後、触れなかったのは、最終週に詰め込みすぎて尺が足りなかったのか、なんだかもったいないような。
もっとも視聴者は漫画のような終わり方を予想していたから、あえて出さなかったのかもしれない。
いずれにしても、最初にわくわくさせた“漫画”というモチーフは、師匠・秋風羽織と、親友・ボクテとユーコ(清野菜名)との出会いのための仕掛けに過ぎず、そう思えば漫画に関する描写の薄さも納得だ。
秋風がユーコのために描いた「A−girl」の続編も台詞だけでどんなものかわからない。ボクテの再トライ作も見たかった。
もうすこし漫画を小道具としてうまく使ってほしかったと思うのは漫画が好きな人だけだろうか。
唯一、漫画が功を奏したのは、北川悦吏子が昔から目をかけてきた漫画家・なかはら・ももたが鈴愛の中の人(劇中絵を担当)となり、スピンオフ漫画「半分、青っぽい。」を実際に上梓、ヒットさせたことに昇華したことである(これは辛口ではなくいい話です)。

良くも悪くも星野源だけ浮いていた気が。
脚本家セレクトの劇中使用曲を集めたアルバムも出て、音楽劇な側面もあったドラマでありながら、劇中で星野源の主題歌が意外と効果的に使用されることがなかった。
最終回は後半に過去を振り返る流れからそのままラストシーンまでかかっていたが、いわゆる主題歌でここぞというとき大音量で鳴らして盛り上げるようなトレンディドラマ手法は各話ほぼ採っていない。
毎日はじめに必ずかかることもあって、15分の短いドラマでは、クライマックスにまたかけるのも難しいのかもしれず。驚くほどこの主題歌だけ独立したものに感じられた。むしろそれで特別感があっていいのかもしれないが、あとから発表された二番以降がシアトリカルでエモーショナルだったので、うまく絡めたドラマも見てみたかった。

やっぱり若すぎた。
朝ドラでは女の一代記ものが多いため、若い俳優が登場人物の年老いるところまで演じることが多く、そのつど老けてみえないという意見が飛び交いつつ、そこはあたたかい目で見守るのがお約束。なかには、おお、なかなか巧いと思う俳優もいる。
それが今回、テクニックの問題ではなく、18歳(撮影時)と29歳の俳優が40歳で子供がいて離婚も経験した人物の恋愛を演じるのはさすがに難易度が高すぎたと思う。
長年連れ添った夫婦はなんとなくゆったりしていればほのぼのするし、子どもと接するのはこどものおかげで自然に見える。ただ、こと恋愛表現に関してはリアルにその年代が如実に出てしまうものだと感じる。
永野芽郁と佐藤健が演じる等身大の恋愛場面としてはとても美しいが、いろんな体験や感情の混ざった中年の恋愛の妙味には到達できないのは当然。だからこのドラマでは、誰しも何歳になっても脳内ではこんなふうに自分を美化するもの、と思うことにした。

震災が急に出てきて驚いた。
朝ドラは「マッサン」や「あさが来た」など主人公が長年連れ添ったパートナーを最終週で亡くす物語は最終週まで盛り上がり視聴率も高い。
一方、「べっぴんさん」や「わろてんか」など何かを成し遂げてしまって余生のようになると尻つぼみで視聴率も落ち着いてしまう傾向が見られる。
「半分、青い。」が最終週で、扇風機の発明と歴史的災害と親友の死を描いたのは、最後まで視聴者が固唾をのんで見守るものにするためだった気がしないでない。

扇風機(風)が震災を機に改めて必要とされたという深い関連性があるものの、あらかじめドラマの概要として紹介されていた扇風機の発明と並行して震災が描かれたことは思いがけないものだった。
2010年、2011年と時代が進んでいくにつれ予感を抱いた人もいるかもしれないが、ふいに、あの出来事をつきつけられて動揺した人もいるだろう。
ネタバレに気を使ってのことらしいが、できたら、震災のことも描きます、と事前に心の準備をさせてほしかった。そうしたらまだ見たくない人は用心できたと思うのだ。
あの震災を思い出してしまう物語といえば、近年稀にみるヒット作となったアニメーション映画「君の名は。」がある。奇しくも、舞台が「半分、青い。」と同じく岐阜のこの物語はいっさい事前にその情報を伏せ、劇場で初めて見ての衝撃という演出の成功作だ。
互いの意識が入れ替わった少年少女のSF恋愛ものと思って見ていたら、彼らをつなぐ運命に、あの未曾有の出来事を思わせるような災害が絡んでいたことがわかる。あくまでも描かれているのは想像上の災害であるうえ、物語のなかで重要な出来事なため有無を言わせないものがあった。
すれ違いの男女を描いた元祖「君の名は」(昭和のヒット作、ただし朝ドラ化されたときは視聴率的には低く終わった)を現代ものにアップデートしたといえるところのある「半分、青い。」は、アニメの「君の名は。」の構造(ふいに起こる出来事の衝撃、現代日本人の共通体験を刺激し作品を見るものの身近に感じさせる)まで取り入れた野心作だったのではないか。
とすれば、もう少し練ってほしかったと思う人は少なくないに違いない。

朝ドラ史における位置づけ


朝ドラではこれまで、戦前、戦後、高度成長期、現代・・・と様々な時代を描いてきた。
「半分、青い。」ではバブル期を描くことも注目点のひとつだった。
高度成長を抜けバブルが来て浮かれまくった時代があっという間に終わり、昭和から平成になると日本は貧しくなった。
平成最後の東京で制作する朝ドラ(100作「なつぞら」は平成の終わりに重なる)として平成の出来事を描写したことは、これまで戦争が朝ドラに起こる最大の試練だったが今後は震災がそれに代わるその兆しかもしれず、今後、「半分、青い。」を参考に震災をどう描くか考えていくきっかけになったとしたら、このドラマの存在意義もあるだろう。

まとめてみた


そよ風ファンの商品の原案協力にバルミューダが抜擢されたきっかけは、寺尾玄社長がほぼ日刊イトイ新聞で糸井重里と行った対談を脚本家・北川悦吏子は読んだことだという。
80年代、糸井重里がつくったゲームの名前は「MOTHER」。こんなふうに縁がつながっているとはびっくり。
ただここでは、松雪泰子の主演作「Mother」(10年)を思い浮かべた人もいるだろう。次回「まんぷく」のナレーション芦田愛菜も出ているので。

「半分、青い。」の第1週のレビューで私は「半分、青い。」はいろいろなエピソードがビーズ細工のようにつながっていくと書いた。その見方は結局変わらず最後の最後で156個のパーツを使ったネックレスはくるりとつながったと感じている。それはでも端正にパーツがつながったものではなく、パーツもちょっとお高い石から素朴なビーズまで様々で。当然、大きさは不揃いで、つながる間隔も違っていて、すこしいびつなネックレス。それがとても好きな人も、う〜んちょっと私には合わないかなと思う人もいて。
でも、誰とも違うオンリーワンだった。
(木俣冬)