ギャグの巨匠・赤塚不二夫は、漫画の常識をぶち壊すことで無数のギャグを生み出してきた。たとえば利き腕を使わずに左手だけで描いた漫画。あえて極太の線で劇画調に描いた漫画。読むひとの実時間と同じ時間の流れで話が進行する漫画。原寸大の漫画……。他の作家がやっていないことならなんでもやっていた。
そうした赤塚ギャグに多大な影響を受けた作家のひとりに、唐沢なをきがいる。
唐沢なをきといえば、まずは特撮やアニメを題材にした「おたくネタ」、様々な過去の名作を下敷きにした「パロディ」、そして赤塚流の「メタギャグ」という3つの特徴がある。もちろん、唐沢なをき作品においてそれぞれの特徴は切り離せるものではなく、有機的に絡み合って唐沢ワールドを形成しているのだけど、それでもやはりメタなギャグを前面に出している作品が、個人的には抜群におもしろく感じられる。
1998年に初版が発行され、この度めでたく文庫になった『怪奇版画男』は、そんな唐沢なをきギャグの頂点ともいうべき怪作だ。
主人公は版画男と呼ばれる謎の人物。こいつがいきなり出没しては勝手な論理で大暴れして、周囲の人々を煙に巻いたのちに去っていくというシュールなドタバタギャグだが、これが絵はもちろんタイトルもフキダシもすべて木版画で描画しているのだ(フキダシ内のセリフだけはゴム版で)。
木版画、わかりますよね? 木の板を彫刻刀でコリコリ掘って、墨を塗って、半紙を当てて、バレンでグリグリ刷るやつ。
漫画の制作作業というのは時間との戦いだ。「ビッグスピリッツ21」にこの作品の連載が開始された1998年当時の漫画界では、すでに作業の効率化を図るためにコンピュータが導入されはじめていた。なのに、そうした動きと逆行するように、唐沢なをきは板を彫刻刀で彫っていた。
なぜ、唐沢なをきはそんなわざわざ手間のかかる手法を選んだのだろうか。だってしょうがないよ。そこがギャグなんだもの! 版画で漫画描いたらおもしろいよねー、なんてシャレとして思いつくことはあっても、普通の作家はやらない。原稿料的にも割に合わないからね。でも、それをやってしまうのが唐沢なをきというひとなのだ。
第一話。
版画男は、忙しさにかまけて年賀状を出さなかったサラリーマンの山田さんを激しく責め立てる。「年賀状は版画の花道」だと。かかかかっと物凄い早業で木の電柱(古い!)に彫りつける「年賀」の逆版文字。しまいにゃインクを山田さんにたっぷり塗り込み、巨大半紙をかぶせてバレンでこすり、見事な人間拓を刷り上げて去っていく。何がなんだかわからない。
第一話で年賀状ネタをやっちゃって、この後どうするんだろうと思いきや、芋判、魚拓、指紋といった「凸版ネタ」を繰り出してきて笑いをとる。さらには、麻雀牌や将棋の駒に刺青といった「彫るものネタ」まで織り交ぜてきて、版画という言葉の解釈の広さを見せつける。このあたりの“ネタが追い打ちをかけてくる感じ”は、唐沢なをき漫画の真骨頂だ。
そういえば、赤塚漫画の有名ギャグのひとつに「停電」というのがあった。
そして、赤塚チルドレンを自認する唐沢なをきは、版画という題材のなかでこのギャグのパロディもやってみせている。
人生に絶望し、命を捨てるためにさまよってきた青年が、雪に閉ざされた山小屋で死を待っている。そこになぜか版画男も同室している。「版画を彫って元気を出せ!」と、版画男の意味不明なハイテンションに振り回されながら青年が彫ったのは、一面真っ白に彫り上げた作品で、タイトルが「ホワイトアウト」。
何も彫らずに「闇夜」とすることもできたはずだが、それじゃ版画のメタギャグにはなっても、赤塚漫画への返歌にはならない。ここは、ちゃんと敬愛する大先輩へのリスペクトが感じられる名場面(版画)といえるだろう。
そして連作『怪奇版画男』の終盤は、まさかの2色刷り、4色刷りとエスカレートしていって、最後、文庫化にあたって追加収録されたエピソードでは、彫り物ネタの飛び道具を持ってきてあっといわせる。これはぜひ、現物を購入して確かめてほしい。
(とみさわ昭仁)